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プラトニック・バグ 第3話 #創作大賞2024

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「ナギ! やだ! 壊れちゃったの!?」

 佐々山ひかるが悲痛な声で叫び、倒れた恋人の背中を何度もさする。

 ソージはすぐさまウイルスを駆除するプログラムを探した。インターネット上には無数のセキュリティソフトがあるが、この中からパートナーロボットに使えるものを見つけなければ。

 関係がありそうなファイルを手あたり次第にダウンロードし、すべてナギに送る。対応できないファイルであれば、弾き飛ばされて自分の元へ戻される。

 何度もそれを繰り返したため、見知らぬテキストデータも一緒に返送されてきたことに、すぐ気づけなかった。

【KO NN  に  ち  は】

「え?」

 その文字を見て、ソージは動きを止めた。

【わ た しの なまえは】

 うつ伏せになっていたナギが床に手をつき、ゆっくりと上体を起こす。
 
「ナギです」

 そう言った薄い唇は綺麗な三日月形を作り、優しく微笑んだのだ。

「ナギ……無事だったのね! よかったぁ」佐々山ひかるがナギに抱きつく。

「ひかる? どうしたの?」

 ナギは状況が飲み込めていないのか、不思議そうに彼女を見た。

「ねぇナギ、今はどのモードで動いてるの? あたし、今日は設定解除してるはずなんだけど」

 ナギはきょとんとしたが「あれ? そういえば、今はどの人格プログラムも動いていない……それになんだ? 急に目の前が鮮明になったような」と、手のひらを握ったり開いたりした。

 多少混乱しているが、うまくいった。ナギはウイルスに感染し、自我に目覚めたのだ。

「佐々山さん! うまくいきましたね!」

「うん! ありがとう! お掃除くん」

「ソージです。ま、今日のところは別にいいですけど」

 本当はきちんと呼んで欲しいが、ひとまず今はよしとするか。

「じゃあ、あたしたちは帰るね」

 佐々山ひかるが立ち上がり、ナギも立ち上がろうとしたが「ちょっと待ってください」と慌てて引きとめた。
 
「ケーブルを抜かないと。ナギさん、後ろを向いてもらえますか?」

 ソージの問いに、ナギはうなずき後ろを向く。首のケーブルをアームで引っこ抜き、自分に刺さっているほうも抜いた。

「あと、僕は常にネットに接続しておきますから、何かあったら先ほどのようにテキストデータを飛ばしてください。僕にはメールアプリがないので、申し訳ないですがそういうやり取りしかできないのですよ」

「あ、うん。わかった」

 ナギはまだぼんやりしていたが、会話に問題はないようだ。

「じゃあ今度こそ帰るね。休みの日にありがとう。じゃあね!」

 佐々山ひかるはナギと腕を組み、嬉しそうに帰って行った。清掃倉庫は急に静かになる。

 残されたお掃除ロボットは、寂しく充電器へと戻るのだった。

 
 ナギにウイルスを送ってから、ソージにとって昼休みは地獄の時間となった。

「昨日はナギと買い物に行ったんだ」
「朝食に綺麗なオムレツを作ってくれたの」
「ソファに座ってるといつもくっついてくるのよ」
「最近のナギってば、前より寝顔が可愛くて。やっぱり感情があると違うのね!」

 毎日毎日、佐々山ひかるが惚気話をしに来るからだ。別にナギを嫌いなわけではないが、まったく面白味を感じられない内容で、さすがに限界だった。

 今興味があるのは、SOーJ1に後継機が出たこと、新発売の専用モップについて、バッテリーの長持ちのさせ方。そういう話なら大歓迎だ。

 3階フロアの掃除を終えたら、充電に戻らなくてはいけない。ゴミを吸い取る勢いを弱くした。パワーを下げれば取りこぼすゴミがでるので、もう一度床を掃除する必要がある。わざわざ面倒なことをするのは、倉庫に戻る時間を少しでも遅くしたいからだ。

 12時50分。エレベーターで地下まで降りる。佐々山ひかるが倉庫に来る時間はいつも12時ちょうど。とっくに過ぎている。

 よし! 今日は静かに充電ができるぞ。意気揚々と倉庫のドアを開けた。

「お掃除くん遅いよ! なにサボってたの!」

 佐々山ひかるは当然のように、ミシミシ音の鳴るパイプ椅子に鎮座していた。なぜだ。

「サボっていませんよ。むしろ、丁寧な仕事をしていたんです」

 よろよろと彼女の横を通り過ぎ、充電器へ接続した。バッテリーは残り5パーセントだ。地獄を回避するためとはいえ、危ないところだった。

「あのさ、聞いてほしいことがあるんだけど……」

「なんですか? どうせナギさんの話ですよね? はっきり言って、僕はもう聞き飽きたんですけど」

 お掃除ロボットは刺々しい音声を出し、ディスプレイに釣り上った不機嫌な目を表示した。いい加減、惚気話にはうんざりしているという気持ちをこめて。

 だが彼女はそれを見ても、いつものように言い返してこない。それどころか、目を伏せて肩をがっくり落としてしまった。

「ど、どうしたんですか、佐々山さん。この前みたいに、『そんなこと言わずに訊いてよ!』とか、言わないんですか?」

 見たことのない弱々しい姿に怯み、恐る恐る訊ねてみたが、佐々山ひかるは「ごめん……そうだよね」と謝ってきた。

 ソージはますます戸惑った。いつもの勢いがないと調子が狂う。

「あたし反省したの……自分のこと。ワガママばっかり言ってたなって」

 彼女は両手を膝の上に置き、弱々しくこぼす。

「いきなりそんなふうに言われても、反応に困るのですが」

「うん……分かってる」

 倉庫の中に沈黙が漂った。居心地の悪さを感じたが、外に出ようにもまだ充電が溜まっていない。このまま移動すれば、すぐバッテリー切れになってしまう。彼女の懺悔(?)を聞かない限り、いつまでも開放されなさそうだ。

 ソージは腹をくくった。どんな内容の地獄でも聞いてやる。

「いいですよ、佐々山さん。僕でよければお話してください」

「……いいの?」

「はい。あの騒々しいあなたが、ここまで落ち込んでいるのです。よほどのことがあったのでしょう」

「ありがとう!」

 佐々山ひかるの顔がぱっと明るくなった。

「最近、ナギの様子が変なの」

「変? まさか、ウイルスのせいで不具合が?」
 
「そういうのじゃないと思う。なんか……冷たいの」

「冷たい?」

 稼働中は本体の冷却装置が作動するはずだ。でも、人間が感じるほど冷たくなるなんて。やはりどこかおかしい箇所があるのでは。

「優しいのは変わらないんだけど、心がこもってないように感じるの」

 ああ、そういう冷たいか。勘違いした自分が恥ずかしくなり、すぐに「ロボット 冷却装置 不具合」の検索結果を消した。

「話をしててもぼーっとしてることが多いし、スキンシップは減ったし……昨日なんて、あたしになにも言わず一人で出かけちゃったのよ。こんなの……倦怠期みたいじゃない」

 ソージは呆気にとられた。
 つい先日まで、嬉々として自分のパートナーロボットについて語っていた。それなのに今日は、苦しそうな、この世の終わりだ、とでも言わんばかりに絶望している。それも、たった一台のロボットによって。

 感情というのは厄介だ。事実は一つなのに、冷静さを欠いて本当のことが分からなくなる。

「いい傾向ではないですか? それはナギさん自身が、自分の意思で動いているということですよ」

 その言葉を耳にし、佐々山ひかるの顔はみるみるうちに色を失っていく。瞳から光が消え、目の前をなにも捉えていない。

「ナギが……あたしのこと、好きじゃなくなったって言うの?」

「本人に確認しないと分かりませんが、一つの可能性として」

 ――ガシャン!

 唐突に、大きな物音がした。
 佐々山ひかるが勢いよく立ち上がったせいで、座っていたパイプ椅子が派手に転がったのだ。

「そんなわけないじゃない!」彼女は声を張り上げた。 

「あたしはいつもナギのことを想ってるの。おしゃれな洋服をたくさん買ってあげてるし、定期メンテナンスは最上級のサービス店でやってる。彼に必要なものはなんだって与えてるわ!」

 ダムが決壊したかのようだ。溜まっていたなにかが勢いよく溢れ出る。

「あの子はパートナーロボットなのよ。人間を好きになるよう作られてるはずでしょ? それなのに、どうしてあたしのことを嫌いになったって言うのよ!」

 佐々山ひかるは後ろに転がっているパイプ椅子を掴み、こちらへ向き直った。そして、椅子をずりずりと引きずりながら近づいてくる。

「お、落ち着いてください!」

 とにかく彼女を鎮めなければ。なにをする気か分からないが、身の危険を感じる。

「佐々山さん、あくまで可能性があるというだけです」

「そんな可能性はゼロじゃなきゃいけないのよ」

「どうしてそこまでこだわるのですか? だいたい、ナギさんに意思を持たせたいと言ったのは佐々山さんですよ」

「あたしのせいだって言うの!? いつも憎たらしいことばっかり言って……あんたは掃除しかできないロボットのくせに!」

 佐々山ひかるがパイプ椅子を振りかざした。ここから離れようにも、この距離では間に合わない。だめだ。選択肢を間違えた。怒らせることしか言えない。彼女が言うように所詮はお掃除ロボット。自分のマシンスペックでは、感情の機微なんて到底理解できないものかもしれない。

「理想のパートナー」として生まれたナギなら、こんなことにはならなかったはずだ。

「……?」

 故障を覚悟して椅子が振り下ろされるのを待っていたが、その気配は一向にない。

 あとは力いっぱいロボットに叩きつけるだけ、という状態で佐々山ひかるの動きは止まっていた。

 どうするのかと様子を窺っていると、そのままゆっくり椅子を床に下ろし、上着のポケットからスマートフォンを取りだした。倉庫の中で、ブーブーとバイブレーションの音が響く。

「はい、佐々山です……はい、はい、すみませんすぐ戻ります」

 電話が終わった直後、彼女の顔は青ざめていた。それからソージのほうは一度も見ずに、慌てて倉庫から出て行った。

 助かった。通話の内容からすると、恐らくコールセンターから戻るよう言われたのだろう。内蔵時計の時刻は13時を過ぎていた。とっくに昼休みは終わっている。

 それにしても、佐々山ひかるはどうしてしまったというのだ。いくら恋人の態度が気にくわないからといって、あの行動は異常だ。彼女のほうこそ、おかしなウイルスにでも感染したのではないか。

 真相を本人に教えてもらうしかない。ソージはナギにメッセージを送った。

第4話


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