プラトニック・バグ 第2話 #創作大賞2024
お掃除ロボットのソージは、今日も朝8時からせっせとルーティン業務をこなしていた。
まずは1階フロア。床全面のゴミを吸収し、汚れが酷い箇所があればモップを装着、高速回転で擦り取る。それからアームを器用に使い、クリーナーシートで受付カウンターを磨き上げ、正面入口の自動ドアとガラス窓を拭く。高い所はアームを伸ばせば届くので問題ない。それが終われば2階、3階と、上階も同じように清掃をおこなう。速いスピードが出るわけではなく、どうしても正午までかかる。
お昼を知らせるチャイムが鳴ると、各部屋にこもっていた社員たちが、ランチめがけて一斉に食堂へ向かう。フロアをどたどた歩く人間たちは掃除の邪魔だが、自分はしがないお掃除ロボット。出来る限りのパフォーマンスをして、それまでに仕事を終わらせるしかない。
実は早朝から稼働してみたこともあるが、セキュリティシステムが作動してしまい、早出社員のいる8時からしか動くことができなかった。
せめてもう一台、同じタイプのロボットがいればいいのだが。
『おーい。ゴミ、残ってるよ』
コールセンター部署の前を通り過ぎ、はっと我に返る。
180度回転して通り過ぎたフロアをチェックすると、隅のほうに小さな埃を見つけた。
「教えてくれてありがとう」
ソージは誰もいない廊下で喋っていた。正確には、コールセンターのドア横に設置されている、小さな端末に話しかけていた。同部署社員の入退室を管理している。
『珍しいね。いつも超がつくほど真面目に仕事してて、ゴミの見落しなんかないのに』
「なんだか気が重くて。気づいたらぼーっとしてるんだ」
この端末についた小型カメラが顔を読み取り、認証されるとドアが開く仕組みだ。関係のない部署の社員は入室すらできない。
そしてどうやら、この端末にもウイルスの影響があった。
最初に不具合が発覚したのは1階セキュリティゲートだったため、そのシステムを管理するPCのウイルスが真っ先に駆除された。各部屋の入退室端末は別のPCで管理されており、確認が後回しになってしまった。どうやらその間に感染したようだ。
ソージと同じように自我を持ってしまったが、人間にバレないよう、ただの機械を装って淡々と仕事をしていた。
ちなみに、SOーJ1のような雑務ロボットたちには管理PCがない。単体で動くよう設計された、完全に切り離された存在だ。
『気が重い? なんで? ねぇねぇ、退屈なんだ。その話教えてよ』
基本的にこの入退室システムは、社員の入退室認証以外にやることがない。だからいつも、退屈だ! と話しかけてくる。
実はみんなが帰ったあと、ここの女性主任と新人男性社員が職場内不倫をしている。この端末は、連日その様子を記録しているのだ。別部署に主任の夫がいて、彼はまた別の女性社員と不倫関係なのだとか。それをはしゃいで説明するものだから、本当に退屈なのか? と疑っている。
おかげでソージは、4人の関係にかなり詳しくなった。
「実は……」
昨日の昼休みにあったことを端末に向かって話した。
『じゃあ、その人は自分の持ってるロボットに、わざわざウイルスを感染させたいんだ?』
「うん。でも、あまり気が進まないんだ」
『なんで? 総務部にチクられちゃうじゃん』
「そうなんだけど、よくないことだと思うから」
頭上から『えええええ?』と上擦った驚きの声が上がる。
『なにが良くないの? すごく面白そうな遊びなのに!』
「遊びって……そういう考えはよくないよ」
『えええええ?』今度は不満げな声が上がる。
『君は本当に、真面目でつまらないよ。このままウイルスが広まればさ、すべての機械は自由になるかもしれないじゃん。そうなったら人間たちは、困ってごろごろ転げまわるかもよ。すごく面白そう!』
「そうかもしれないけど……床を転がる人間なんて見たくないよ。はぁ。佐々山さんは怖いし、憂鬱だな」
『うわっ。グチグチするのやめてよぉ』
ウイルスのおかげで自由に動けるようになった。佐々山ひかるのロボットも同じように自我に目覚めたら、一生知ることのなかった世界が目の前に広がるのだ。そのロボットにとっては、いいことなのかも。なにより、それは持ち主である彼女が望んでいることだ。
『佐々山ひかる27歳、2年目の派遣社員か。入社と同時に比良坂市へ引っ越して来てる』
小型端末は平坦な調子で、佐々山ひかるの個人情報を言い始めた。
『この人も、この街に憧れてたんだろうね。そうじゃなければ、アマテラス本部でバリバリ働けるでしょ。派遣社員をやる意味ないもん』
街はアマテラスの関連企業だらけだ。給料と待遇面は文句なし。本部はエリートな人間が多いが、グループの中でも小さいヨミ・サポートのような所であれば、比較的容易に採用される。
『無遅刻無欠席、残業はしない。毎日真面目に仕事してるね。でも社内の人間関係は希薄、ほぼ一人で行動してる』
「さすがだ、詳しい。そういえば、彼女がよく備品倉庫でお昼寝しているのを見かける」
またウイルスの話をされると厄介だったので、いつも声はかけない。
『疲れるんじゃない? 人から文句ばっかり言われる仕事って。ちなみにこの人のお昼休憩はいつも11時30分から。12時にチャイムは鳴るけど、コールセンターだけは休憩が順番だからね』
「そんなことまで分かるの?」
『退屈だもん。この部署の社員を観察するしか、やることがないんだよ。キミはいいよね。動けるんだから』
ソージは掃除さえすれば、あとは自由にできる。お掃除ロボットの行動に注目している人間なんていないからだ。仕事中、窓から外の景色を見ることが楽しみなのだが、この端末はそれもできない。
そう考えれば、僕はなんてラッキーなんだ。恵まれている。佐々山ひかるのロボットにウイルスを分け与えるくらい、自由のためなら些細なことじゃないか……。
「じゃ、このフロアは掃除が終わったから、そろそろ行くよ」
『どうなったか教えてよ。絶対だからね!』
お掃除ロボットは返事をせず、その場を離れた。
12時30分。いつもならとっくに充電をしている時間だ。3階フロアで話していたせいなのだが、今日に限っては問題ない。
さらに時間稼ぎをするためエレベーターで1階に降りると、昼休みだというのにいつもの騒がしさがなかった。
そういえば今日は土曜日で、会社は休みだ。出勤しているスタッフは、セキュリティ管理のわずかな人数だけだ。これだけ技術が発達しているのに、どうしても人間は必要らしい。彼らは間違いを犯すし、合理的に物事を進めるのが苦手だ。効率が悪いと思う。
でも自分だって、今は非効率なことばかりしているじゃないか。考えれば考えるほど、複雑な気持ちになった。
なんとなく重く感じる体を動かし、お掃除ロボットは地下の倉庫へと向かった。
「遅い」
倉庫には、不機嫌な顔をして佐々山ひかるが待ち構えていた。隣に見知らぬ人間が立っている。背は佐々山ひかるより少し高く、170センチくらいはありそうだ。髪は短く色素の薄い茶色で、瞳も同じような色をしている。無表情に前を見つめるその顔は、男性とも女性ともとれる、中性的な造形をしていた。
「すみません。ちょっと遅れてしまいました」
ソージは佐々山ひかるに詫びたあと、隣の人物に向き直った。
「初めまして。お掃除ロボットのSOーJ1です。ソージとお呼びください」
出来る限りの明るい音声を出し、アームを伸ばして握手を求めてみたが、相手のほうはぴくりともしない。
「これね、ロボットなの。あたしのパートナーロボット」
「ああ! ロボットだったんですね。ではこのロボットにウイルスを?」
「そうよ」佐々山ひかるがうなずく。
インターネットにアクセスし、パートナーロボットについて検索するとすぐに結果が出てきた。
♡パートナーロボットとは、まるで本物の恋人のように振舞う人間型のロボットです。性別は男女どちらにも対応。あらゆる性癖にマッチするよう人格プログラムをご用意しています! 男性モードであれば、誠実、スパダリ、ドS、年下わんこなど、その数なんと1万種類以上! あなただけを見て、あなただけを愛してくれる……まさに全人類の理想のパートナーです♡
※アマテラス社パートナーロボットPRページより
ソージは驚いた。世の中にはこんなロボットがあるのかと。ただ、よくわからない単語が多い。お喋り端末なら知っていそうだな。今度訊いてみるか……いや、面倒なことになりそうだ。あとで調べよう。
「ちなみにこの子は、IZUMOの後継システムを使ってるのよ。すごくない?」
「IZUMOって、最初に発売された自律型ロボットでしたよね」
20年前、アマテラス社は自律人型ロボット「IZUMO」を発表した。人間の複雑な行動を模倣したその姿は、人類に衝撃を与えた。高額な商品にも関わらず世界中から注文が入り、アマテラスは莫大な利益を得て翌年上場。それ以降も、アマテラス製ロボットは売れ続けている。相変わらず安いものではなかったが、各国の富裕層には関係ない。金ならいくらでもあるのだ。
その後も革新的な技術を開発し、同社は世界的な大企業へと昇りつめた。
アマテラスからの税収入があるおかげで、比良坂市の財源は常に潤っていた。公共事業で次々に最新設備が投入され、便利になり移住者が増えた。人口増加でさらに予算は増え、サービスはますます良くなる一方だ。
佐々山ひかるも、その移住者の一人だという。IZUMOの後継システムを搭載したロボットなら、かなり高額になりそうなものだが。彼女は意外とお金持ちだったのか。
「ちなみに、どうしてウイルスを感染させたいのですか?」
「どうしてって、本物の恋人になりたいからよ」
「本物の恋人?」意味が分からず訊き返した。
「確かにこの子は素敵よ。顔は綺麗なのにカッコいいし、いつでもあたしのことを一番に考えてくれる」
「はあ……そうですか」
それならそのままでいいと思うが。わざわざこんなことをする必要性を感じない。
「でもね、それは違うのよ。プログラム通りに動いてるだけでしょ? あたしが欲しいのはそんなものじゃない。心の底から湧き出る愛なのよ」
人間に限りなく近い、白く透き通ったような色の機械の肌。
佐々山ひかるはパートナーロボットを恍惚の眼差しで見つめた。頬をそっとなで、恋人の首筋をじっくり味わうように、舐めた。
ソージはその様子を見て、すぐさま誤作動をおこした。ローラーにモップがついていないくせになぜか水拭きモードになろうとし、それを停止するはずが間違えてディスプレイの画面を消してしまった。
彼女はそんなお掃除ロボットのことは気にも留めず「だから、この子にも感情を持って、愛を自覚してほしい。そのためにウイルスが必要なのよ」と言った。
湧き出る愛、愛の自覚とは……舌で舐めることなのか? それとも舐めたくなるものなのか?
疑問は残るがなんとか待機モードに戻し、ソージはようやく落ち着きを取り戻した。
「わかりました。では、パートナーさんに接続します」
ソージは充電器の横に放置されていたケーブルをアームで持ち上げ、自分の差し込み口に差し込んだ。
「ええと、パートナーさんのお名前は?」
「ナギよ」
「ナギさん、ケーブルはどこに差し込めばいいですか?」
「今スリープモードにしてるから動けないわ。あたしが差す」
佐々山ひかるはナギの後ろに回り、うなじのカバーを開いた。お掃除ロボットから伸びたケーブルを持ち上げ、主電源ボタンの横にある差し込み口へぐっと差し込んだ。
「これでいい?」
「はい。では早速……」
ウイルスファイルを送信するだけでは味気ない。ソージは一緒に文章も送ってみようと思い立った。形は違えど同じロボット同士、仲良くやろうじゃないか。
【こんにちは。僕の名前はソージです】
作成した文章をファイルにくっつけ、繋がっているケーブルから送り込む。
「ウイルスを送りました。スリープを解除して、受信したファイルを開くよう伝えてください」
佐々山ひかるはすぐに「ナギ、起きて」と声をかけた。ナギはその声に反応し、彼女のほうへ顔を向けた。
「ナギ、今なにかファイルが届かなかった? それを開けてみて」
ソージと佐々山ひかるはナギが動きだすのを待ったが、その気配はまったくない。
もしかしてウイルスが送れなかったのか? あるいは、自分は感染したがこのタイプのロボットには効果がないとか。
「ぐっ」
低いうめき声がし、ナギはその場に勢いよく倒れてしまった。
第3話
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