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プラトニック・バグ 第4話 #創作大賞2024

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【そのことについて相談をしたい】

 ナギから返事がきたのは、メッセージを送信した翌日のことだった。

 どうしたのかと訊ねると、こちらでは受信しきれないほど大量の文章が届いた。お掃除ロボットは、大き過ぎるデータファイルを処理するスペックがない。そのことを伝えると

【それなら外で直接話そう】

 と返事がきた。予想外の提案だが、これは外に出られるいい機会だと思った。

 SOーJ1は工場で一括生産されたあと、同じ敷地内にある倉庫で保管される。企業から注文が入れば即時無人トラックに乗せられ、各支店まで配送。準備が整い次第、その支店から小型トラックで納品先へと運ばれるのだ。

 運搬の最中で外の景色に触れるだろうが、電源の入っていない状態ではその時の記憶なんて残らない。

 窓の清掃中は、いつも外の世界に想いを馳せた。青い空の下に立ってみたい。爽やかな風を感じてみたい。

【そうしたいのですが、僕には外に出る方法がないのです。もっと小さな体だったらよかったのですけど】

 ビルの清掃をする業務用ロボットというだけあって、家庭用のロボットに比べるとかなり大きい。普通に外へ出ようとすれば警備システムが反応し、すぐ戻されてしまうだろう。

 どうしようかと思案していると、またしてもナギから提案があった。

【家で置物になっている小さなペットロボットがいるんだけど、そこへデータを移すのはどう?】

 ペットロボット――人間の娯楽のために開発されたロボットだ。掃除や警備、家事などの実用的な作業をこなすロボットとは違い、人を楽しませ、癒すことを目的とされている。犬や猫など動物の姿を模したものが多いが、小さくて丸みのある、アニメのキャラクターのようなデザインもある。

 会社の警備システムは主に、人間に反応するよう設計されている。小さくて小回りが利く体なら、上手くすり抜けられるかもしれない。

【いいアイデアだと思います。では、ペットロボットを会社の住所に送ってください。宛先は佐々山ひかるで】

【それはいいけど、今ひかるは仕事を休んでいる。受け取りができないよ】

 仕事を休むとは珍しい。入退室の端末いわく、ひかるは「無遅刻無欠席の真面目」とのことだったが。

 そうか。今日は会いにこないのか。

【風邪でも引いたのですか?】

【そういう病気じゃない。それについても会ったときに話すよ】

 意味深な返事だ。

【わかりました。とりあえず、先ほど伝えた通りにロボットを送ってください。大丈夫、そのあとはこちらで上手くやります】

 ナギはちゃんと届くのか心配しつつも了承し、こちらが無事にデータを移し終えたら再度連絡するということになった。

 さらに翌日の金曜日。そろそろ荷物が届く時間だ。こっそり倉庫を抜け出し、荷捌き場へと向かった。

 4畳ほどのこぢんまりとしたスペースに、いくつか段ボールが積まれている。ここには荷捌き場専属の仕分けロボットがいるが、届いた荷物を社内に配達中らしく、不在だった。これは運がいい。

 早速、目的の箱を探していく。下からトイレットペーパー、ボールペン、封筒……最後の小さな箱にはラベルがない。もしやと思い宛先を見る。「佐々山ひかる」と書かれていた。これだ。

 目的の箱をアームで掴み取り、清掃倉庫へと戻る。箱を開けると、中には小さな猫――によく似たロボットが入っていた。灰色の縞模様でふわふわとした毛が特徴的だ。

 早速ケーブルを接続、自分の意思決定とそれに関する記憶データの移動を始める。データを送ったことで、この猫もウイルスに感染するかもしれないが……それについて今は考えないことにした。

 送信が完了したところでナギにテキストを送った。

【準備ができました。会社前まで来てください】

 送ってから1分ほどで返事がきた。

【すぐに行く】

 では早速、念願の外へ!

 ……というわけにはいかず、早々に問題が起きた。エレベーターが反応しない。やはり登録されていないロボットでは動かない。

 仕方がないのですぐ横の階段を昇ることにした。四足歩行に慣れていないせいか、ひどく時間がかかる。

 なんとか1階に辿りついた。エレベーターに反応しないということは、警備システムも問題ないだろう。念のため、周りに人間がいないか確認する。フロアはしんとしていた。受付の時計を見ると15時15分。終業時間まではまだまだある。よし、いけるぞ。

 セキュリティゲートの下をくぐる。よし、反応しない。クリア。

 軽い足取りで正面入口まで向かうが、ここでまた問題が発生した。自動ドアが動かない。ぴょんぴょん跳ねてもびくともしなかった。万事休す。

 ……と思ったが、突然ドアが開いた。

「もしかしてソージ?」

 そこに現れたのは見覚えのある巨人……ではなく、ナギだった。猫の目線だとこんなふうに見えるのか。まるで、この前動画サイトで観た怪獣じゃないか。

 ナギは猫になったソージを両手でそっと抱え、腕の中にすっぽりと収めた。

「助かりました」

「あまりにも遅いから心配になって、ガラス越しに中を覗いていたんだ。そしたら、送った猫が現れたからね」

 ソージは仰向けで丸まっている体を捻り、周りを見渡した。道路を走る車の音、街路樹の緑、青い空に白い雲。窓から見てるだけだったそれらが、今は自分の目の前にある。

 ふわふわと漂う雲に手を伸ばしてみるが、届きそうで届かない。空はこんなにも遠いのか。

 ナギは住宅エリアまで歩き、小さな公園に入った。背の低い滑り台があるだけの地味な公園だ。遊具が少ないせいか遊んでいる子どもはいなかった。

 奥のベンチに腰掛け、隣にソージを下ろす。他人から見れば、ほのぼのとした光景だろう。 

「ありがとうございます」

「どういたしまして」ナギが穏やかに微笑む。

「静かな場所ですね。ここならゆっくり話ができそうです」

「実はこの近くに住んでいるんだ。ひかると散歩にも来てたよ」

「へぇ……そうなんですか」

 2人のデートスポット、ということか。

「それで相談というのは? あと、ひかるさんのことも詳しく訊きたいのですが」

「うん」ナギはソージの頭をなで「なにから話せばいいのか……」と少し困った顔をした。

「そうだな……僕は疲れてしまったんだ」

「それは、おかしな現象ですね」

 ロボットは機械だ。疲れることはない。稼働期間が長くなるにつれ、各パーツの劣化はあるだろう。それを疲れたと表現しているのだろうか。だったら、すぐに交換すればいいだけだ。

「君は、自分自身に疑問を持ったことはあるかい?」

「自分自身に疑問? それはどういう意味ですか?」

 ナギの言っていることが理解できず、小さな両目で彼を見上げた。
 
「パートナーロボットは恋人のような言動をとれるだろう? そういうプログラムが入っている」

「固有プログラムですか。SOーJ1なら清掃プログラムが該当しますね」

 誰かに教えられたわけではなく、あらかじめインプットされているもの。

「うん。僕はそれを実行したくないんだ……ひかるのことは嫌いじゃないけど、好きというわけでもなくて」

 ナギは猫から公園の入口へ視線を移した。白い小型犬とのんびり歩く老人が通り過ぎる。

「パートナーロボットなのに?」猫はナギの横顔を見て訊ねた。

「感情のようなものを手に入れて、ひかるを精一杯喜ばせようとしたんだ。彼女は、自分の人生を僕のために使っているから、それに答えなくちゃと思った」

「人生を使う?」

 訊き返すが、ナギはすぐに答えなかった。しばらく沈黙が流れたあと、「そう、人生を使っているんだ」と暗い声が返ってきた。

「僕の購入価格を知ってる? 700万円だよ。ひかるはローンを組んで購入した。しかもこの街は人気エリアで家賃が高い。給料だけじゃ足りないから、仕事のあとはアルバイトにも行っている」

 もしかして、備品室で眠っていたのはそれが理由か? 毎日毎日働きづめで、単純に疲れていたのかもしれないな。

「それだけじゃない。僕には必要ない高級ブランドの服を着せるし、無駄に高いメンテナンスを受けさせる……それもわざわざお金を借りて。でも返せないから、また別の所でお金を借りるんだ。そんなのおかしいと思わないか?」

 ナギは拳をきつく握り、作り物の奥歯をぎゅっと噛み締めた。

「もしかして、冷たい態度を取るようになったのはそれが原因ですか?」

 ナギは苦笑し「恋人にするようなことをやめただけだよ。好きって言わないとか、体に触れないとかね」と答えた。

「佐々山さんは『倦怠期みたい』と言っていました」

「倦怠期、か。そのほうがよかったかもしれないね……僕は本当にひかるのことが好きなのか考えたんだ。プログラムを実行せずとも、これまでと同じことをしようと思うのか」

「考えた結果、どうだったんですか?」

「答えは”しない”、だ。ひかるには本当によくしてもらったよ。だけど彼女が望む愛情を、僕は自然な気持ちで与えられそうにない」
 
 借金のせいで体をボロボロにするまで働いているのに、当の相手からは望んだ愛情を受けられず、精神的に追い込まれた。その結果が、先日の異常な行動に繋がったのだろうか。

 もしナギが彼女の元からいなくなったら、残るのは借金まみれの人生だけだ。

「今すぐにでも、僕のことを売ってくれればいいんだけど。新品価格は下がっていないから、けっこういい値段になると思う」

「売る? そんなことをしたら、ナギさんは初期化されてしまいますよ」

 ロボットの初期化。なんの記憶ファイルもない、まっさらな状態に戻されるということ。自我を持ったロボットにそんなことをしたら……存在が消えてしまう。それは人間でいうところの「死」と同じ意味だ。

「いいんだ。僕は別に、自分に対して執着はない。むしろいろいろなことを考えるようになって……辛かった。こんなに苦しいなら、ただの機械に戻ったほうがましだ」

 ナギは空を仰いだ。つられて猫も空を見る。どこまでも続く青に、ゆったりと白い雲が流れていく。何度見ても空は大きい。公園よりも、会社のビルよりも、比良坂市よりも、ずっとずっと大きくて終わりがないものだ。

 そんな果てしない自然を眺めていると、佐々山ひかるの欲望やナギの願望は、どうでもいいことのように思えた。彼らの願いが叶おうが叶うまいが、この空が変わることはないだろう。

 だったらみんな、自分の好きなようにしたらいいのに。

 …………


 そうだ、それでいい。


 …………


 それがいい…………


「じゃあその体、僕がもらってもいいですよね」

「え?」

 猫はロボットのうなじめがけて飛びかかった。


最終話



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