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「面白い」が男と女でちがう

私は思い違いをしていました。

面白い話というのは決まっていると。

いわゆる『芸人』さんが行う
漫才やコントこそが面白い話だと。

前フリがあってとんでもない事件が起こって
展開が二転三転してキレイなオチがつく。

いわゆる起承転結モノこそが面白い話であり
起承転結がない話はただの雑談に過ぎないと。

だって、その証拠に
マンガ、ドラマ、小説、映画、絵本のどれもが
起承転結モノであふれているじゃないかと。

緻密な伏線を見事に回収するコンテンツは
どれも神作品ともてはやされるじゃないかと。

そのような思いで学生時代を過ごしてきたのだが
なにかがおかしい。

男友達と話すときは問題ない。
『芸人』っぽく話せる人が面白さの中心であり
当然のように人気者になれる。理解できる。

問題は女友達と話すときだ。
話す内容がちっとも頭に入ってこない。
ぜんぜん、話が起承転結になっていない。
(えっ、これって何が面白いの?)と悩む。

面白い話の捉え方が男と女でちがっている
ということに気付いたのは社会人になってから。

男は緩急のあるドラマを面白いと感じ
女は体験を共感することに面白さを感じる。

男は作品そのものに気持ちのベクトルが向くが
女は自分と相手の心の動きにベクトルが向く。
これはもう、全然次元の違うものだ。
理解できなくて当然だった。

これに気づいてからものの見方が変わった。

たとえば、
自分の好きなコンテンツを人に勧めたいとき
男性相手だったら作品を熱く語ればいいけど
女性相手に作品をゴリ押ししても無駄。
推せば推すほど引かれてしまう。
コンテンツはあくまで道具。
二人の関係性をプラスにする道具にすぎない。

道具にばかり固執してないで、女性の気持ちに
寄り添った会話を重視したほうがよっぽど
コンテンツを好きになってもらえる。

最近気づいたのだけど
嫁との会話が楽しいのは
嫁の思考パターンが男性寄りな部分が
大きいからではなかろうか。

もちろん女性的思考パターンが主だけど
男性的な『面白い』を分かってくれるから
会話が面白いのではないか。

私も女性的な『面白い』を身に着けて
嫁との会話を面白いと思ってもらえるように
男女の機微を学んでいきたい。
会話って面白い。


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