見出し画像

今日は短めで。映画評論はしたくない、だから、ただそれだけ

最近、アマプラからNetflixに変更した。前はNetflixだったんだけど、節約にもなるし変更したんだと記憶している。でもAmazonに汚染恐怖があるから、なにかプライムで購入したりしなければ関係ないけど落ち着かなかったのは事実だ。それでも、本に映画に音楽まで月額500円でなんとかなるのはすごいと思う。それと同時に、そんな安価で何かが成り立っているということに、はっきりとした言葉ではないが恐ろしさに近いものもの感じている。そりゃ、テレビの受信料が月額2,000円近くするのは高すぎると思われても仕方ないだろうと思う。

最近、YouTubeをすごく、みている、というより、ラジオみたいに聞くことが増えたけど、高学歴だったり、社会にエースだった人が、その会社を辞めて、YouTubeという自由度が高いことへ、そしてやろうと思えば、末広がりでやるべきこと、やりたいことが広がっていく世界に進出しているように感じる。以前は、ちょっと社会からはみ出たり、学歴にコンプレックスがあったり、そんな感じの人が多かったように思う。このながれは、企業や個人事業主の増加と親密であるようにも思う。よくわからんけど。

話はかわって、Netflixで、mother!を観た
観た理由としては、ジェニファー・ローレンスが好きだからだ。彼女が出演している、世界に一つのプレイブックが大好きだ。レオンやファイトクラブのような、ベストオブベストで、名前をあげるのがいっそ気恥ずかしいくらいの名作を除けば、わたしが好きな映画は、世界に一つのプレイブックと、あとクロワッサンで朝食を、である。ちなみに邦画であれば、釣りバカ日誌の1を除けば、川の底からこんにちはと今のところ、勝手に震えてろであり、洋画と邦画のあいだであれば、カモメ食堂という王道中の王道が好きかもしれない。

話は戻って、mother!は予告もしらず、ただ、ジェニファーローレンスが出てるから観たんだけど、途中でのやめ時がまったくわからない映画で止められなかった。

というのも、胸糞悪くて、いつとめていいかわからなかったのだ笑
始終やってふ訪問客の無礼な振る舞いに、ジャエニファーがいつブチギレて、正義と常識と良心の鉄槌を振りかざすのか、それしか考えられなくなった。あぁ、早くしてくれ、はやくキレてほしいと思った。ある意味、こんな映画初めてだった。映画にはシーンがあって、映画館で見ている以外は、好きな時に止められるが、それはやはり、止めてもいいタイミングというのが、作中のなかにいくつか散りばめられているからだ思う。けれど、mother!に限っては、もやもやとするものがありすぎて、止められないのだ。もし、監督が、観る側が決して、映画を手元の停止ボタンで止められないように作ったのだといったなら、その意味でこれはまったく新しい映画であったと思う。

それにしても、予告も見ない、短い三行ほどあらすじはざっとみたが、作品の本質にまったく触れてない文章でまさかこうなるとは思わなかった

ジェニファーローレンスは、そのまえに、ジョイをみて、最後が、ん?って思ってそれからのmother!だったので、次に観ることができたら、やっぱりジェニファーローレンスが出ているとすごく面白い!ってなりたいなーと思った

やっぱり、演じる人が選ぶ脚本や監督が、観る側=わたし、感性に合う合わないはあると思うのだ

もう公開から何年も経つから書くけれど、世界の一つのプレイブックで、失意の女性役のジェニファーローレンスに対して、

ー彼女は折れた翼が治りかけてる。

ー彼女は繊細なアーティストだ。そんな女性の邪魔をするな

(本当のセリフはもっと長く、さらに素敵だ)

このときに、ふわりとだけ、下を向きながら微笑む彼女の顔と赤毛の美しさが忘れられない

ついでに、伝説のゴールデングローブ賞のオープニングもどうぞ

笑顔にならずにいられない。どんな作品も、ホラーもサスペンスもインディーズも救いがないものも、恋愛も何もかも、人が作りだすということと、その蓋を一つあけるということは、こういう笑いに満ちてるのかなと思う。思いたい



お力添えありがとうございます。