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有用性の呪縛を解き放つ

あなたが何らかの意味をもって生きている。というのは幻想。

勉強や資格、音楽や芸術などは「なんの役に立つのか」

有用性に支配された資本主義社会では、すべて「なんの役に立つのか」と考え(仕事だと分かりやすいですね)、最後には自分自身の価値ですらこの有用性の観点から計ろうとしますが、

バタイユは自己の存在、それ自体に価値があることと考えました。

主観的にみれば意思が先立ち、何をどう考え、身体を使ってそれをできるかと振る舞いますが、客観的に見れば人はその辺の石と変わらず、ただ存在しているに過ぎません。

特定の勉強や芸術がスゴク面白いと感じる人は、その人にとって将来なんの役に立つかなどはどうでも良くて、ただその瞬間が充実しているからやっている。こんな人は、至高性の原理で生きているといえます。

至高性が豊かになると幸せに感じる扉が少し開くような気がします。

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