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図書No.003 & 004: 『頑張らなくても意外と死なないからざっくり生きてこ』 & 『お前のために生きてないから大丈夫です』 by カマたく

カマたくさんの著書の、仏教味がすごい。

執着をなくせば、悩みもしない

『頑張らなくても意外と死なないからざっくり生きてこ』目次(第1章)人間関係

 1冊目のもくじの初っ端から、お釈迦さまの教えでいちばんよく目にするやつが書いてある。

 最終章(第4章)の最後のテーマは、こんなふうに締め括られていく。

執着を捨てれば、人生はどこでも、なんでも楽しくなるわ。「これがある」を見すぎるから「これがない」が気になるの。

『頑張らなくても意外と死なないからざっくり生きてこ』p173

 おお。田があれば 田に悩み、家があれば 家に悩む。田がなければ 田がほしいと悩み、家がなければ 家がほしいと悩む。仏説無量寿経ですね。

無がいちばん楽よ。何かがあることに執着するのが、不幸の始まり。今いる場所、たどりついた先にたまたま存在する楽しいことを見てればいい。「ある」「ない」ばっかり見る人は、どんなに成功したって、「ない」ものを見つけちゃう。

『頑張らなくても意外と死なないからざっくり生きてこ』p173

 中道からの縁起からの小欲知足。あれ?やはり道を同じくする先輩でしたか……?

どこに行ったって不満は絶対に出るから。「足るを知る」という考え方よ。

『頑張らなくても意外と死なないからざっくり生きてこ』p173

 (書いてる!やっぱり!)

私たちは現状、生きてる。それだけでオッケーよ。何にも執着せず、考えず、どこに行っても「楽しい!」を拾って勝手に生きてくわ。そんなに開き直るなって?いいじゃない。自分の人生なんだから!

『頑張らなくても意外と死なないからざっくり生きてこ』p173

 ですよね。南無阿弥陀仏をめぐまれた私の人生、気づけばおおよそ悩むということがなくなり、もちろん娑婆のしがらみは諸々あれど、気持ちの上では身軽な日暮らし。勝手な身の上にも命が生きて、ごはんもおいしく、猫もかわいく、有難いことこの上なし。

 いやー、カマたく先輩(私より若いけど)、尊敬です。今、この時、全私を代表する野生のブッダだと言いたい。そういば先日、真宗大谷派のイベントにゲスト出演されていましたもんね。納得。

 そんなカマたくさんの本、2冊目は、寄せられたお悩みに応えていくスタイル。30個目に出てきた「女性というだけでナメられるのがしんどい、社会的にも不利な人生、女性でいることが苦痛」という相談に対するアンサーを読んで、愛しさのかわりに驚き、あとはやはり切なさと心強さとを覚えた。

ナメられない女も、ナメられる男もいる。悲しいし残念なことだけど「女性」に付け込んでくる最低なヤツらはまだまだこの社会には多いんだと思う。電車でぶつかってくる他人とか、避けようもなくてムカつくわよね。だけど他人じゃない周りの人との関係は、その人と自分が地道に作っていくしかない。

『お前のために生きてないから大丈夫です』p.114

 LGBT理解増進法の成立に因み、しきりに「ジェンダー」という言葉を聞いたような気がする2023年6月。一方で、私は一年ほど前から「仏教×ジェンダー」の勉強会をオンラインで開催するご縁に遇っていた。その開始にあたり、関連文献をいろいろと探したときに、真宗大谷派常讃寺(石川県野々市市)副住職、藤場芳子先生の書かれた文章を目にし、強く印象に残った。奇しくもこの勉強会の最終回(8回目)のゲストに藤場先生がご出講くださる運びとなり、あらためて、その文章を読みなおしたところだった。

私は「菩提心を発して、女身を厭悪せん」という点に着目したいと思う。「厭う」とは、しつこくていやになる、もうたくさんだと思うことで、上から押さえられた重圧を感じることを表す。女性であるがゆえにこうむるさまざまな差別。それは、はらってもはらってもしつこく続く。この感覚を味わったことのある女性は多いと思う。その差別を厭わせるものは、本当の人間になっていこうとする菩提心なのだということである。「女身を厭悪せん」とは「女性が女性であることを厭わなければならない、そういう世を厭う」という意味ではないだろうか。厭うべきものが見えたということは、厭うべきものが発見できたということであるから、女が女であることを卑下することではなく、むしろ卑下し差別してきた者、男性に対して、一人の人間として関係を結ぶことを宣言しているのである。したがって、第三十五願はむしろ男性に発せられた願だといってもよいのではないかと思う。

『ジェンダーイコールな仏教をめざして/「女人性」という差別(藤場芳子)』

 仏説無量寿経、阿弥陀如来の四十八願のうち、ジェンダーと切っても切れない第三十五願について書かれた箇所は、このように結ばれている。

 一人の人間である自分が、一人の人間である周囲の誰かと、一緒に、地道に、関係を作っていくこと。驕らず、かといって無駄に遜ることもなく、ひとつずつ淡々と。性に限らず、ナチュラルボーン的なことは、イコール私そのものではなく、またその人そのものでもなく、ただそれだけのことなのだ。それを、歯を食いしばって、踏ん張って、立ち向かうような気持ちで対処して、事実立ち向かわなければならないこともしばしばだなんて、本当はとても馬鹿馬鹿しく、この世は心底疲れるな。

 カマたくさんの本に戻ると、続きはこうだ。

社会を変えようと思うと大変だけど、自分の半径数メートルだけでも、おかしいと思うことはおかしいと言っていい。「女性だから」と考えるとさらにムカつくから、とりあえず目の前の苦痛を減らす対策を考えましょう。「女が」「社会が」の前に、あなたが不利にならないように、あなたが行動する。あなたはすでにハッキリ嫌なことは嫌って言えてる。その一言が、呪いをとく一つの要素になり得ると思う。

『お前のために生きてないから大丈夫です』p.114

 仕方ない。私が不利にならないように、今しばらく行動し続けるとするか。できるだけ疲れないように、がんばろう。幸いなことに、ひとりではないし。


※ 藤場芳子先生の掲載文はこちらから引用しています。

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