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ライブハウスでうたってる人の詞にはやっぱり『怒り』が多かったように思う。



絶妙な不協和音
右三角ボタンを押したくなりつつも
このまま聴いてしまうそのころには
リズムに乗れている
そんな音楽


インプットして出てくる言葉をそのまま頭の中の言葉がなくなるまでアウトプットする言語化訓練は、noteを描き続けることで活性化される。
描き続けること2018年2月から早4年。
恒例の手帳整理をしてたんだけど、唄うことを志してからもうすぐ10年が経とうとしている。
2017年10月 新宿Zirco。
最後に唄ったライブから5年が経った。
こうして可視化して、奥へぶわっと広げて見てみると長かったな〜というのが率直な感想で。あっという間だな〜と思う自分もいて。色々なことがあったな〜としみじみ。
noteの最後にはよく、『今日も』という言葉を残した。
新しいことを構想中!というのは今もずっと続いていて、形にするまで諦めない、というより形にするしかないともいえる。
なぜならそのことばかり考えているから。何年かかったとしても最後までやり切るということは変わらない。
○年までに、○歳までに、そんな言葉に意味はない。
『創ることが全て』
そうやって言えるようになるところまで来ました。やっと。
何かに依存しないと崩れてしまいそうで、それしかできなかった自分の弱さと、その弱さを認めることができなかった未熟さ、でもそうしてきた自分が見えたもの、感じたもの。
自己否定の塊だった私が、音楽という光にたくさん苦しんで泣いて、いきる喜びと温もりをもらったこと。
なぜわたしはここにいるんだろう?ここだと思うのだろう?
色んな矛盾を抱えながらも、少しずつ解きほぐして歩いてきた。
ライブハウスでうたってる人の詞にはやっぱり『怒り』が多かったように思う。それは直接的なものではなく言葉の奥の奥の奥底にある言葉にならないもの。
たくさんのうたってる人の『想い』の詰まった場所。ある意味パワースポットというか。
だから中途半端な気持ちでいくと飲まれちゃうんだよな、その大きな怪物に。
やるせなさ、悔しさ、負けない!って言葉たち。
言霊の住む場所。
全部の感情を、大切な感情を、ライブに詰め込んで、うたって弾いて、叩いて。
ライブハウス育ちのひとの曲はだから聞いてなかった。突き刺さりすぎるから。
自分のために作られた曲なんじゃないかって思うほどに共感しかなくて。聞いてるといろんな感情が起き上がってきて大変になる。それは友達が教えてくれた曲で、一緒に聴いたから平気だったけどすごく良くて。
少しドキドキしながら一人でも聴いてみた。
その瞬間色んなことをぶわって思い出して、そのうたっているひとの気持ちや曲にすごい入りこんでしまった。ライブハウスに無性に行きたくなった。やっぱり音楽っていいね。素敵だね。ずっとここにいたい。この瞬間がたまらないんだ。



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