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コルシカ島・南仏旅行記(3)

 コルシカ島の人々は独自の価値観と文化を持っている。政治的観点から言うとこの島はフランス領土ということになっているが、「コルシカ島はフランスではない」と考えている人々も多い(実際、そのようなメッセージを街中で見かけた)。フランス本土から来た人々はあくまで「観光客」であり、季節が去れば通り過ぎてゆく異邦人にしか過ぎない。
 例えば、薬局に立ち寄った時のこと。グザビエと私はそれぞれ必要なものを買い、支払いを済ませようとしているところだった。すると店の電話が鳴った。その日は日曜日だったので、営業しているかどうかという客からの確認の電話だったらしい。すると女性はこう答えた。
「ムシュー、あなたのお電話に私が出たということは、つまり営業しているということです」(Monsieur, si je vous réponds, c'est que je suis ouverte.)
女性の言葉にはかすかなコルシカ島訛りがあったが、有無を言わさぬ気迫があった。その姿勢は凛としてさえいた。
その光景を見ていたグザビエが後にこう言った。
「ね、見たでしょう。あれが『コルシカ島民のエスプリ』ってやつだよ。
『私は正しい。馬鹿なのはそっち」ってことさ」
確かに、日本だったら店員が客にあのような態度を示すことはありえないだろうと思う。

 コルシカ島の人々が尊大だと言いたいわけではない。彼らの大部分は観光客に慣れているためか、丁寧で礼儀正しい。ちょっとすれ違う時にだってちゃんと「失礼」と言う。ただ、やはりあくまで私たちは「よそ者」であり、彼らの土地をほんの少しのあいだ間借りしているに過ぎないのだと、私たちは折に触れて実感することになる。

 別荘に到着した翌日、川遊びでもしようかという話になった。アランの足首の怪我が懸念されたが、ゆっくりではあるものの、もう松葉杖なしで歩けるという。ではということで、ついでに食料や薬など必要なものを買いに行くため、近くの村まで行くことになった。

地元民でにぎわうカフェ

 買い物のついでにカフェに寄ることにした。おそらくそれは村に一軒、二軒あるかないかのカフェバーであろう。観光客というより地元住民らしき人々が目立つ。山を背にしたカフェテラスで飲み物を注文し、空気を胸いっぱいに吸い込む。昨日は旅の疲れが勝っていたが、こうしてゆったりと落ち着いて座っていると、なんだか細胞の隅々にまで新しいエネルギーが満ちてくるようだ。
 会計の時、店内の椅子にどっしりと構えている店主らしき女性に声をかけられた。昔はおそらく綺麗なブロンドだったのだろう、陽に当たって白っぽくなった髪をヘアバンドで止め、豊満な躰を黒いレースのカーディガンで覆っている。
「どこから来たの?キャンプでもしに来たのかい?」
「ああ、いえ、キャンプではないんですけど、ちょっとこれから川に行く予定で…」
「川?なんていう川だい?」
「えーと…」
ただでさえ地理感覚のない私である(マダガスカル島とシチリア島を混同するなど日常茶飯事だ)。初めて訪れる土地の小さな村の川の名前など憶えているはずがない。
するとグザビエがやってきて助け船を出してくれた。

「僕らの家族がコルシカ島の出身なので、その関係で別荘を借りてここに来ているんです」
「家族?誰だい?あたしの知っている人かねえ?」
そこから誰それの家族がどうだとか話に花が咲き、女性はおもむろに店の隅に立てかけてあった写真を取り出した。
「ね、いい男だろ?あたしの主人さ。もう亡くなって随分経つけれどね」
話が長くなりそうだったので私は途中で失礼してお手洗いに行ったが、グザビエはその後も店主の話に付き合わされたらしい。家族によろしくと、それから木曜日の晩に開催される村のパーティーに来てくれと女性は何度も言ってくれた。そして私たちはそのカフェを後にした。

とある小川にて。水が透き通っている。

 そこからまた車に戻り、目のくらむような渓谷に囲まれた道をうねうねと下っていくと、道中のあちこちに美しい小川が流れているのが見えた。コルシカ島は自然に恵まれている。海も山も川も、みんないっぺんにそこにあって、何もかもを見たいから目がぐるぐると忙しい。
 適当なスポットに車を止め、岩場をそろそろと降り、いよいよ水の宮殿に足を踏み入れる。アランは川辺まで行かず、近くの岩場で待機しているという。私もあまり体調がよくなかったので、足先だけを水に浸たすに留める。水は透き通っていて、はっとするほど冷たい。水底の小石の色でさえ鮮やかに浮かび上がって見える。こんな風に川の水に足を入れるなんて何十年ぶりだろうと私はぼんやり考えていた。

 グザビエは文字通り水を得た魚のごとく、光のあふれる水の中へとどんどん入ってゆく。その光景があまりにも生き生きとしていたので、私もつい、もっと深くまで進んでみたくなった。しかしほんの少しならいいだろうと小岩に足をかけたのがいけなかった。藻のへばりついた岩はぬるぬるしていて、私は足を滑らせ、水の中に落ちた。しかも不用心極まりないことに、ズボンのポケットに携帯電話を入れたままだった。
「あー!携帯が!携帯が!」と叫びながら水の中でもがく私を撮影した動画は、アランの手中に永遠に収められることとなる。幸いなことに、携帯電話は無事だった。

 そんなこんなで大騒ぎの川遊びの帰り道、道中で牛の親子に遭遇した。コルシカ島では動物たちまでもがゆったりと生きている。自動車を恐れる気配など微塵もなく、道路の真ん中を堂々と横切ってゆく。
「ここはワイの家じゃ。好きにさせてもらうけのう」(なぜか広島弁)とでも言いたげである。コルシカ島の自然はどこまでもワイルドなのである。

目の前を牛が横切っていった。


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