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「自分自身」と共に生きる責任 【インタビュー記事】

 合同会社うみのなか商店 卜部小夜子様(以下、ハルさん)にインタビューをさせていただいたのは2022年でした。コロナ禍をきっかけに開室した「あかり図書室」は、穏やかな中に「はじまりとこれから」を予感させる、わくわくというか、緊張というか、何とも言えない雰囲気の空間だと私は感じました。

 2024年7月現在「あかり図書室」は、同ビル内の元の場所よりも広い部屋に移転しています。バンチブックプロジェクトはクラウドファンディングで設定金額の800%以上の販売に成功。生産拠点や布主(布提供者)も増加し、販売アイテムもどんどん増えています。

濱田もクラウドファンディングで購入しました♡
バンチブックプロジェクトは「北浜縫製」というブランド名で展開されています
ロゴがかっこいいですよね

 インタビューの中にはハルさんの根幹である「意志」や「責任」の源がこめられています。責任というのは、仕事にのみということではなく、自分自身とこの先もずっと付き合っていくということに対してなのだと思います。ハルさんがどのようにご自身と向き合っているのか、ぜひご覧いただきたいと思います。


「自分自身」と共に生きる責任 

 合同会社うみのなか商店 卜部小夜子氏 インタビュー

合同会社うみのなか商店 卜部小夜子様
本や文具を愛おしそうに見つめる眼差しが印象的です

【プロフィール】

卜部小夜子(うらべ さよこ) *愛称:ハル
 合同会社うみのなか商店代表社員。精神保健福祉士、産業カウンセラー、一般社団法人キャリアブレイク研究所理事。「働くとは」をテーマに、人はなぜ働くのか、働くというのはどういうことなのかを考え、検証する。福祉と民間が快適に混ざり合い、だれもが「こころをゆるめて」働く、そして生活することができる社会を目指している。
 障害者の雇用創出として、通常は廃棄してしまう高級ブランドのバンチブック(生地見本帳)をテーラーから譲り受け、高品質なオフィス雑貨を作り公正な対価を生み出す「バンチブックプロジェクト」がある。セルフケア分野としては、2021年4月、大阪ビジネス街の中心・北浜に建つ築100年ビルをリノベーションした船場ビルディングの一室に、街の保健室をイメージした「あかり図書室」を開室した。
 *インタビューは「あかり図書室」で行われた。

違和感から湧き上がる使命感

 ――私、最初に「あかり図書室」を知った時、衝撃を受けました。「心が少し弱った人」、「北浜(ビジネス街として知られる街)」、「早朝オープン」という掛け合わせが、私が考える「心の支援」の理想形だったからです。だから、そういう発想をしたハルさんの感性や性質に少しでも踏み込んで行けたらと思っています。では、「あかり図書室」のこだわりや想いをお聞かせいただけますか。

 ハル 私は企業の相談室でカウンセリング業務をすることが多かったのですが、そこではどうしてもリワーク(心身の不調で休職をした人が復職すること)を勧めないといけなくて、そこにずっと違和感があったんです。だから、カウンセリングほどハードルが高くなく、フラットで気軽に来られる場所を作りたいと思っていました。そんな時コロナ禍が始まり、企業でしんどい人がたくさん出て来て、「今やらないと」と変な使命感が湧いたんです。場所については、「働く人」が出勤前や昼休みに寄れるところ。時間については、出勤をしんどく感じる人が、仕事前に声出し、喉ならしのようにしゃべりながら、少し気持ちを変えることができればいいなと思い、朝7時半からにしています。

ビジネス街の真ん中で早朝からお昼まで開室しています
働く人が仕事前やお昼休みに訪れます

 ――「しゃべれる図書室」というのがコンセプトですよね。来られた方は、そんなにしゃべるものですか。

 ハル しゃべりに来る人がほとんどです。「カウンセリングに行って来る」を「図書室に行って来る」と言い換えるようなものですね。その方が言いやすいですから。だから本はただの「媒体」で、おしゃべりが目的ですね。

 ――その方々は、どこでここを知るのですか。

 ハル 基本的に口コミです。このビルの方が他の方に言ってくださったり。

 ――まさに私もそうでした。皆さん、どんな口コミに惹かれたんでしょうね。

 ハル 「しんどい」と相談を受けた方が、「こういうところがあるらしい」とか、「私も行って来た」という教え方をされるみたいですね。

 ――今の世の中で、宣伝にSNSを使わないということに不安はなかったですか。

 ハル そうなんですよね。周りからもSNS発信しないといけないと言われます。でも、私が使わない理由は二つあります。元々SNSが苦手ということ。見えない誰かに向かって言葉を発信するのはすごく怖いです。もうひとつは、たくさんの人に来て欲しいわけではないということ。広げるというより、必要な人にいつか届くといいなという感覚です。私にとっては、皆さんと話ができるこれくらいが良いのです。

疑問と怖れに正直でいる

 ――お仕事の変遷をおうかがいします。私の手元には、二〇一一年に始まった「奈良のママが仕事をつくる会」(以下、「奈良ママ」)の情報があります。これは、企業の相談室にお勤めの頃でしょうか。

 ハル いいえ。私、大学を卒業して十年間、高校の教員をしていたんです。

 ――何の科目を?

 ハル 英語です。でも英語教員という感覚はあまりなく、やんちゃな子や少し特性(発達障害など)を持つ子たちに生活指導や社会に出る指導をしていました。

 ――そういう子どもたちを多く受け入れている高校だったのですか。

 ハル 支援学校に入るほどではない子達が普通科の資格取得を目指す支援クラスがあり、そこをよく担当していました。でも次第に、高校の教員って生徒が卒業すると何もできないと思うようになりました。特性のある子たちが作業所や企業に就職しても続かない、社会にうまく入っていけないという状況を聞くのですが、学校業界の内側にいると、なぜそうなっているのかが全然見えない。そこで、「あちら側」が見たくて、十年で高校教員を辞め、税理士法人に入りました。税理士法人を選んだ理由は、色々な業種が見られると思ったからです。そこと同時進行で「奈良ママ」に所属していました。

 ――「奈良ママ」は、お母さんたちの仕事に関する活動ですか。

 ハル はい。きっかけは、税理士法人の中で様々な経営者と出会ったことです。ある女性の個人事業主から相談を受けました。育児のために退職せざるを得なかったけれど、スキルを持っているお母さんたちがいっぱいいる。でも、子どもに何かあった時には迷惑をかけるからと一人で仕事を受けられないでいると。そこで、一人でできないなら三人で仕事を受けたらうまく回るんじゃないかと。そういう発想で活動をしていました。

 ――その後の「奏(かなで)株式会社」(以下「奏」)の分業的な考えとつながりそうです。

 ハル 今考えればそうですね。でも、その時はただ必死でした。基本的に何か相談を持って来られてから考えることが多かったので。

 ――税理士法人の方はどうなりましたか。

 ハル 五年ぐらい経った頃です。「奈良ママ」は三~四年ぐらいの頃ですが、税理士先生が急に「もう仕事を辞める」って音信不通になっちゃったんです。顧問先が何百件とあったのに。

 ――えー!

 ハル 結果的には、新しい先生が受け容れてくれたのですが、その時に「雇用契約はイヤ。個人事業にして欲しい」と言いました。経営者がいきなりいなくなる経験をして、「雇用されている」ということがとても怖くなったんです。私はもう自分で責任を持てるようになりたいと。そこから業務委託の契約に変えてもらったんですね。そんな中で「奏」でW代表をしていた女性と出会いました。契約を変えて二年目ぐらいのことです。

 ――2017年ですね。

  ハル そうです。その頃は、話を聴く以外に財務や会計などの数字面の仕事もしていました。嫌いではないのですが、話を聴く脳と数字的な発想をする脳の切り替えが難しく、疲れてしまって。何か全然違うところに身をおきたいなと思い、宇治にある好きな窯元のところに、リフレッシュのためよく遊びに行っていました。私は、ゼロから一を生み出すことができるものづくりの人たちをすごく尊敬しているんです。「奏」のもう一人の代表も、お茶の先生やお箏をしていて、ものづくりの人と接点がありました。そこでまた、相談を受けたんです。ものづくりの人っていうのは数字面が全くできないことが多いと。

 ――そういうことは聞いたことがあります。

 ハル 事業をやって行くにはバランスを取らないといけないが、それがすごくストレスになっていると。でも私からすると、ものづくりのようにすごいことをする人たちは、数字のことより仕事に集中した方がいいと思ったんです。だったら切り放して分業しようと。経理の外注って何ら問題がないので、そういう経緯で会社を作ったんです。

 ――これは現在進行形ですか?

 ハル はい。今は、代表は外れてアドバイザーになっていますが、続いています。そして、それが現在の「合同会社うみのなか商店」(以下「うみのなか商店」)の仕事につながっています。

誰かの結論では前に進まない

 ――「それはイヤ」と意思表示をしながら進むところが面白いですね。世間から真逆に行くという印象を受けました。

 ハル それはよく言われます。天邪鬼かも知れないですね。教員免許を取った時も、そうでした。私は英語が全然できなくて、完全に理系で数学の成績が良かったので、学校の先生からはもちろん数学の教師になるものと思われていました。

 ――普通はそうですよね。

 ハル でも私は、数学は好きでできるし、できない気持ちが分からないから教えられない。英語はできない気持ちがとても分かるから、英語の教師になります、って。すると全員に、「いやいや、それはおかしい」と。

(二人で爆笑)

 ハル 「何でそういう発想になるの」って。

 ――面白いので、もう少し遡ってもいいですか? 高校生の頃はそういうエピソードがないですか? 逆走するのを自分で良しとする。あ、でも、逆走と思ってないですよね。

 ハル 思ってないです。でも、疑り深かったですね。みんながいいというものを疑う。例えば女子同士で、「あの人、ムカつくよね」、「そうよね、そうよね」となっても、どうしてみんな聞いただけで確かめずにそう思うんだろうって。確かめないと気が済まない。

 ――それって、あのー、ちょっと生き辛くなかったですか?

 ハル (笑)。みんなに「どうしてそんなにしんどい方ばかり行くの。なんで得意な方とか、できることに行かないの」と言われますね。最近やっと、「パチッとはまるところに来たね」って言われました。この「うみのなか商店」を作って、こういうことをやりたいって言ったら。初めてでした。

 ――ハルさんの場合、ひとつの方向だけだと辻褄が合わなくなる感じがしますよね。「うみのなか商店」って、すごくこういう感じに伸ばしているじゃないですか(手で枝葉を四方八方に伸ばすしぐさ)。

 ハル そうです。そうです。

 ――そうしてようやくハルさんの中で何か落ち着く感じ。

 ハル たぶん、それが代表になった一番の理由かも知れないですね。今は疑問に思うものを自分で事業にできる。それがストレスフリーで、私には合っていたんだなぁって感じます。

 ――ホームページで、「検証を毎日楽しくやっています」ってありますが、そういう意味での楽しみということなんですね。

 ハル そうなんです。自分でやってみて、違ったら違った、合っていたら合っていた。じゃあ次はこうして行こうと進める。私は、自分以外の誰かの結論では前に進めないんだと思います。

 ――それ、すごく納得できました。支援職の肩書きを持つ人って、支援の手が届きにくい狭間のところに手を伸ばしたい、でも伸ばせない、という思いを持っている人、多いじゃないですか。でも、ハルさんは、そこにたやすく手を伸ばせている。それは、「楽しみ」から始まっている。他の人とはそこが異なるのでしょうか。

 ハル かも知れないですね。

 ――支援をしようと思っていない?

 ハル あまりないです。精神保健福祉士資格を取ったのも、結局産業カウンセラーでは踏み出せなかったエリアがあったからで。カウンセラーの「傾聴して引き出して、後、産業医さんにお任せ」っていうところがもやもやしていたんです。その先をということで、支援というより、一緒に検証しよう、楽しいよ、と、楽しめる相手や範囲を増やす感覚ですね。

本にひたすら答えを求める

 ――「疑問に感じて確かめないと気が済まない」という性質ですが、時には気持ちがぺちゃんこになっちゃうこともあるかと思います。自分を見失わずにここまで進んで来たのは、「本を読む」ことに関係がありますか?

 ハル 私は元々人間関係が得意ではないんです。何か疑問を持った時の答え探しの場所が本だった。たぶん、他の人なら友達や親などに聞いたりすると思うのですが、私はそれがなかったのです。ひたすら答えを本に求めていたような感じです。

 ――それは小さい頃からですか?

 ハル もう物心ついた頃からですね。

 ――一番始めに答えを求めて手に取った本を覚えていますか?

 ハル 初めて読んだのは、横山光輝の『三国志』です。うち、父親が国語の教員なので、家に本がたくさんありました。でも自分用はあまりなく、それしか読めるものがなかったんです。

 ――漫画ですか?

 ハル はい。父の難しい本の中で唯一読めたのがそれで、ひたすら読んでいました。その後は手塚治虫ですね。

 ――それは、おいくつぐらいのときですか。

 ハル 小学校入ってからぐらい。あまり友達と遊ぶのが得意じゃなかったので、帰ってきたらそれを読んでいました。

 ――当時のハルさんは、『三国志』のどこに面白味を感じたのでしょう。

 ハル 一番覚えているエピソードは饅頭の由来です。昔、海が荒れて大洪水を起こす神様を鎮めるために人を生贄として捧げていた。でも、諸葛孔明が人間の頭をイメージして饅頭を作り、人の代わりとした。人々は、そんなことをしても治まらないと言ったが、それができた。諸葛孔明って、みんなが「できるわけない」ということをやって、結果的に「やっぱりやってよかった」となるエピソードが多くって。それは、何か自分に影響があったのかも知れないですね。ものは考えようだな、という。

 ――つながっている感じがしますよね。

 ハル 後は、ひたすら冒険ものを読んでいたなと。困難に立ち向かって乗り越えて生きて行く術のものを。『ハックルベリー・フィン』、『トムソーヤ』とか。そこからスタートして『ロビンソン・クルーソー』、『ドリトル先生航海記』とか。

 ――今まで困難を乗り越えた、乗り切ったエピソードはありますか。

 ハル 困難・・・・・・、困難・・・・・・。壁。壁的なものはありますね。

 ――「困難」ではなく「壁」なんですね。それは必ず超えられるものですか。

 ハル 超えるというよりは、アプローチを変えて行く感じですよね。何が正解かは分からないので、でも自分なりに納得した選択肢を選ぶっていう感じはあります。

 ――選択肢は、いっぱいあるんですね。

 ハル たぶん、答えって考えようによっては何でもいっぱいあると思うんです。見えないだけで。へんな発想とか色々な選択肢を考えるのは好きかも知れないです。

親への反発から自分の中に根拠を積み上げる

 ――「詰んだ」という経験は、あまりないのでしょうか。

 ハル その時には、次の何かをやっている気がします。教員でも、雇用から委託になる時でも、「この枠でもうできることはないな」と思った時には、結構スパッと切りましたね。じゃあ、別の枠に入ってやってみようと。

 ――そこには必ず意志がありますよね。「させられた」とか、「誰かのせいでこうなった」というのがない。

 ハル 誰かに言われて何かをしたっていうのは、あんまりないですね。うまく行かなかったときに、絶対その人へ怒りを抱いてしまう。何かあっても自分が悪いっていう状況がいいですね。

 ――それで自分を責め過ぎてしまったりしませんか。

 ハル 自分の器をそんなに大きいと思っていないし、元々能力もしょせん知れていると思っています。できなくてもそれが標準。できたら、お、やったね、ぐらい。だからまずはやってみて考える。

 ――人のせいにしないっていうのは、子どもの頃からですか。親御さんのせいにしたこととかも。

 ハル ええとね。私の一番のネックは、親のことを聞かれることです。そこが・・・・・・、だからそう、たぶんそこが、自分で決めたことをやって行こうと思った、ある意味、反面教師ですね。そうであるかも知れない。

 ――どういうところが反面に。

 ハル 父も母も教員だったので、外見(そとみ)は、とても良い夫婦、良い家庭です。でも、実情は「こうしろ」と押し付ける人だったんです。「お前は教師になるんだ」という風に。それに反発して生きて来ていますね。だから、私にとっては教員を選んだこともストレスでした。でもそこは、両親とは異なる形の教員になればいいかな、と折り合いをつけているつもりでいます。そういう反発心から「もう自分の責任は自分で取る」という決意がその頃からあったと思いますね。

 ――親の言うことは絶対聞かない、という決意ですね。

 ハル そうですね。根拠もなく理由も言われず、ただ一方的に言われるようなことです。

 ――根拠が欲しいという強い気持ちですね。ハルさんの疑問に思うものを事業化して検証するということにつながるように感じます。

 ハル そうです。私のやることは検証活動です。「働く」という大きなテーマを掲げていて、そこを「考える」「検証する」。自分で考えて、色々な方法で詳しく確かめる。これからもそれが私ですね。

(インタビュー:濱田 アキ)


あかり図書室
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