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気がかりな「りょーちん」 ー 心のしくみから先週の「おかえりモネ」(それでも海は)を解く

先週の「おかえりモネ」で浅野忠信演じる新次の飲酒のエピソードを通じてトラウマと依存症について触れましたが、もう一人メンタルヘルス的に気がかりなのは新次の息子「りょーちん」こと亮(永瀬廉)。
気がかりなのは、亮がとっても「いいこ」だからです。

というわけでこの話引きずります〜。

前回はこちら

気がかり1:依存症の父のケアという重荷

酩酊状態になった父に、母の十八番だった「かもめはかもめ」を歌って自分の大漁を一緒に祝おう、と叫ぶ亮。

ドラマには描かれていない彼の高校時代を想像する。

震災が起きたのは中学卒業時。
母を失い、家を失う。
生き残った父は「漁師」という天職を失い、アルコール依存症に。
そんな父親と2人(だけ)の慣れない、狭い、仮設住宅暮らし。

主人公モネを含む幼なじみたちとの交流は続いていただろう。
それがせめてもの救いだったのかと思う。

私が気がかりなのは、
新次がアルコール依存症になったために、
亮が新次の「保護者」の役割を担うことにならざるを得なかった
ことだ。

酒屋に「父にはお酒を売らないでほしい」とこっそり頼んだり、
酔い潰れた父を迎えに行ったり。
アルコールをめぐり様々に引き起こす父のもろもろの行動に
対応しなければならない。
ヤングケアラー、ですね。

【ヤングケアラー本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている18歳未満の子供のこと。
https://www.nhk.or.jp/shutoken/yc/

高校生、この16〜18歳という年齢の男の子に、
これはあんまりにもつらい。

父親同様、亮自身も
母や家を失った喪失感と深い悲しみを抱えている。
その上にアルコール依存症の父親のケア加わるのだから。

アルコールの力を借りて
喪失感や悲しみから目を逸らそうとしてきた新次。
しかし、亮は新次がアルコール依存症になったことで、
喪失感や深い悲しみから目を逸らさざるを得なかった。
悲しんでいるどころではなかった。本当は悲しいのに。つらいのに。
亮はなにもかも、ぜんぶ、丸ごと抱えた。

気がかり2:本当に漁師になりたかった?

そして高校を卒業した亮は父と同じ漁師という道を選ぶ。

新次の酩酊後、モネたち幼なじみは
ボードゲームをしながら「これから」について語り合う。
気象予報士を目指して勉強するモネ、家業の僧侶を次ぐ前に何かをしたいという三生、東京へいくことを決めた明日美、地元の役所で働くことにきめた悠人、水産試験場で牡蠣の養殖を研究をめざすモネの妹みーちゃん。
それぞれに未来を描き始める。

そこで亮は自分自身に言い聞かせるかのように
「俺たちはしたいことをしていいよな」
「俺らが、前を向くしかないんだ」という。
いちいちそんなこと言わなくたって、
したいことをして前を向けばよいだけなのに。

本当に亮は漁師になりたかったのか。
(ドラマで既に描かれていたのを私が見逃しただけかもしれないけど)

アルコール依存症の父の面倒をみることだけが目的であれば、
沖へ長期間出る漁師より地元で他の職業に就くという選択肢でもよかっただろう。

子供の頃から漁をする父親の姿はあこがれだったのだろうか。
それとも、心のどこかで
父と同じ漁師になったら、父親が喜ぶと思ったのか。

愛する人には、幸せでいてほしい。
だから無意識のうちに相手を喜ばせようとしてしまうことがある。
親であればなおさらだ。

それ自体は悪いことではない。

ただ、そこで親の喜びを優先して
自分自身の正直な気持ちを
全く無視していたのだとしたら
自分自身に対して不誠実
なことをしていることになる。

亮は、果たして自分の内なる声をちゃんと聞いた上で漁師になったのか。
いや、アルコール依存症の父を前に、内なる声を聞く余裕は果たしてあったのか。
心の底から、明るい気持ちで漁師になりたかったのだろうか。
何か置き去りにしたものはなかったのか。

抑圧された思いは、行き場を失い、どこかで歪みとなって外に現れる。
やりたいことをやっている誰かが羨ましくなったり、
自分のやりたいことがわからなくなったり、
仕事がつまらなくて生きること自体がつらくなったり。

永瀬廉のナイーブな(死語だな:w)感じが、「俺らが、前を向くしかないんだ」という響きに微かな悲壮感をただよわせる。
前を向くためにこの若者は悲しみも、喪失感も、夢も、なにもかもをグッと飲み込んでしまったんじゃないのかと思わせて、なんだか切ない気持ちになる。

3. まずは素直に悲しみを分かち合うことから。

「俺みたいに筋がいいんじゃないか」ー
わかりやすいほど親バカの新次。亮はまさに希望だ。

けれども思う。

亮がもしも心のどこかで
「父親の希望になるために」漁師をしているのなら、
きっといつかどこかに歪みはくる。

新次を幸せにしようエネルギーを使っていると
自分の幸せが「お留守」になってしまう。
心の境界線がひけなくなってしまう。

【こころのしくみポイント】境界線越え
「私の幸せ」「相手の幸せ」の線引きがあいまいになって
相手の幸せを願って、相手の望みを満たそうとすること。
無意識のうちに自分の幸せ/望みを満たすことが置き去りになり、生きる力を消耗させているので、中長期的には生きづらさにつながることも。

それを新次が知ったら
亮の愛情に感謝すると同時に、
自分が亮の人生に与えてしまった影響の大きさに
より深く傷つくだろう。

だから。

亮は自ら進んで新次の希望の光になろうとしなくていい。
亮は亮の人生を生きる。そうすれば自らの心が自身を照らす。

亜哉子(モネの母親)が娘のモネとみーちゃんに
「やりたいことをやりなさい」と伝えたように
親が最終的に心の深くで望むのは子供が子供自身の命を輝かせることだ。
漁師でなくなったとしても、亮が元気で幸せなら新次は幸せだろう。
(もちろん多少はがっかりするかもしれないけれど)。

そしてその前に
新次と亮に勧めたいのは、二人でともに悲しみを分かち合うこと。

亮はひとり船室で涙しなくていい。
新次もひとりで酒をあおらなくてもいい。
亮の大漁を無理して祝おうとするのではなく、
妻/母と共に祝えないことをともに素直に悲しむ。
「お母さんがいればよかったのに」と共に嘆く。
そしてたくさん思い出話をする。

【こころのしくみポイント】感情の溜め込み

あまりにも大きな精神的ダメージを受けた時、
私たちはそのショックから生き延びるために
瞬間的に感情を感じないようにフタをします。
しかし、その感情はなくなったわけではなく、心にいつもあるもの。
安全安心できる環境で、きちんと感情を感じながら
抱えていた感情を手放していくことが癒しにつながります。

焦らずに、喪失感を、悲しみを徹底的に感じることを
それぞれ自分に、相手に赦し、分かち合う。
自分の悲しみを見せ合えばいいのだ。
それは、決して後ろ向きなことではない。前を向く力の後押しになる。

おそらく「漁師の意地」とやらで、
そんなことはできない父子だろうけれど。

二人で一緒に存分に泣け!。

どうにも、そんなふうに言いたくなった、先週の「それでも海は」でした。

あらすじはこちら


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