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ウルトラマンの日、ジャミラを思う。(正義って何?)

今日、7月10日は「ウルトラマンの日」だそうですね。
ウルトラマンシリーズ、は子供の頃よくみていました。

今、大人になって思い返すと、ウルトラシリーズはなかなか哲学的でした。一番印象的なのは「ジャミラ」(怪獣の名前)。

宇宙で遭難しサバイバルしているうちに身体が変化して「ジャミラ」になった元宇宙飛行士。自分を見捨てた地球に訪れ復讐として様々なものを破壊したため、科学捜査隊&ウルトラマンに倒されてしまった、というお話です。

子供ながらに、モヤモヤが残りました。

ウルトラマンが地球を守ろうとしたことはわかるけど、
ジャミラを倒したことは、正しかったのか

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私が迷い込んでいたのは
「(相手のものを)壊す=悪いこと」という思いで「正しさ(正義)」を測っていたからなんだなあと思います。

「壊すことは、悪いこと」という思いが「正しい」となれば、ウルトラマンのしたことは悪いことになります。ジャミラの命を壊したのだから。

もちろん地球に破壊的行為をしたジャミラも「悪い」です。

でもね、ジャミラは遭難したのに探してもらえなくて(という話だったと思う、確か)絶望感や孤独感や悲しみなどがいっぱいだったのかと思います。それが恨みや憤りという感情に変化して復讐という行為になる。

だから、本当は、(地球だけでなく)復讐に至らしめてしまったジャミラの悲しみ"も"救ってほしかったのよね、ウルトラマンに。だって正義の味方なんだもん。

(「壊す」には「奪う」「損ねる」などダメージを与える行為全般が含まれる感じです)。

「壊すことは、悪いこと」というのは、自分にまつわるものが損なわれた時の悲しみや喪失感を長い歴史のなかで多くの人々が経験してきたからこそ生まれた思いです。
この思いそのものは、悲しみや喪失感を包む愛から生まれたものです。

けれど「壊すことは、悪いこと」という思いを「ものさし」にした瞬間に、この愛が見えにくくなります。

「壊した=悪い」「壊さなかった=いい」とそれだけになる。「壊した人は、悪いことをしたダメな人」扱いになってしまう。

そして「悪いことをしたダメな人」に対して、愛の眼差しが向けられることはあまりありません。それは、その人たちに愛の眼差しを向ければ、自分にまつわるものが損なわれる悲しみや喪失感が否定されたり見捨てられる気がしているからでしょう、心の奥深くで、ですが。

子供の私におきていたのはまさにこれでした。ジャミラを死に至らしめた、という点においては「ウルトラマン=悪い人」になっていました。
ウルトラマンはこれ以上の破壊から地球を守ろうとしていたという点においては「いい人=正義の人」だけに、「正義の人」と「悪人」が混在していてわけがわからなくなっていたのですね。

より多くの人(やもの)を破壊から守る - それは正義。
でも、正義を行わなかった人を見捨てることは、正義ではありません。
なぜなら、そこに愛や許しが伴わないから。
今は、そんなふうに思います。

今日の一言は、「ジャミラ」を見てモヤモヤしていた当時の自分にかけてあげようと思います。

自分の「間違い」を許せれば
他の人の「間違い」も許せるよ
正しさを目指さなくていいんだよ

今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。

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P.S.

今日の一言、投稿後に書き直しました。
最初は↓のように書いていたけど、
本当に言いたかったのは、上にあることです。

正しくないように見える相手。
どうして、わざわざ正しくないことをしようとしたのか
その気持ちを想像してごらん。


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