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6 時には、あいだを突き抜けてゆく

日々、人と人のあいだをていねいに捉えることがとても大切だと、くりかえし語ってきました。けれど、そのあいだを、時々突き抜けていくことを、わたし自身もまた希求していることに気づきました。
 ヨコトリでは多くのメディアの取材を受けました。釜ヶ崎のおじさんたちと横浜に行きたかったのでクラウドファンディングをして寄付集めをしたこともあって、わたしは取材を断ることなく受け続けました。釜芸がヨコトリで訴えたいことは?その後の展望は?そうした取材になんども答えながらも、違和感に喉が乾きました。わたしは問いを提示したのであって、それを考えるのはひとりひとりであって、わたしではない。わたしはわたしの問いをたてつづけるけれど、それはあなたの問いとは違うものだと思う。しかしメディア記事として活字になったことばは硬くて、まるで他人事のような文字の配列に見えました。アーティスティックディレクターの森村泰昌さんも同様の思いをしたそうです。ヨコトリ後、森村さんから釜芸の大学院の提案がありました。院ですから、ひとりひとり研究テーマを持って、調べたりまとめたり、言語化に励むことになります。この大学院のテーマは「じぶんのことばで美を語る。釜ヶ崎から美を語る」。美学学会の設立です。代表者や代弁者が語るのではなく、たどたどしくても、すっとしていなくても、みずからの身体で語るのです。まさしく、ココルームが柱としてきたミッションにたどり着きました。
 また釜芸はヨコトリの後、東北の福島や八戸、鳥取、奈良、西成高校、鶴見橋中学校などに出張講座を開いています。都市や過疎化の進む地方にとっては釜芸の取組みがつながりづくりや生き甲斐づくりとして捉えられます。教育機関では若い人たちが高齢者と出会う多世代交流の機会と、そして人権教育的な側面もありましょう。
 台湾ではココルームと釜芸の展覧会を二回開く機会をいただきました。都市の課題、地域課題、近代化のなかで失われた記憶を呼び覚ますこと、補助金もなく制度活用もしていないちいさなココルームが十数年活動をつづけていることに関心がもたれました。
 社会的な背景によって、アートの領域が広がっています。アートによるジェントリフィケーションも起こっています。そんななかで、何を果たしてゆくのか、連帯し、継続し、多様な人が居やすい場づくりの方法はあるのか、生きぬくためのアートの活動に関心が高まっていることを感じます。
 現場では、日々をていねいに大切にすることを大切にしていると、残念ながら関係や考えが固定化されがちです。そして、間を埋めることができない何かが立ちはだかることにも気づきます。
 これまで、何度も何もできなかったという経験をしてきました。お金も縁もない若者がやってきて話を聞いて、ココルームを寝床として提供しました。二週間ほど暮らし彼はスタッフを殴り、出て行ってもらわなければなりませんでした。またある時は、夜間に窓ガラスを割って侵入され喫茶店の売上げを盗まれました。翌日、ココルームに来るようになって数年かけてやっとコミュニケーションがとれるようになった人が釜ヶ崎から姿を消しました。何年もかけて関係を築いてきたとしても、何かの拍子に民族差別やマイノリティ差別など、人権を侵害するような人もいます。薬物でハイになった人や精神障害でコミュニケーションのとれない態度の人もきます。詐欺や恐喝めいた言動、暴力をふるう人もいます。包丁や鉄パイプを持って店内に入ってきた人もいました。まずは身を守るために警察を呼びます。自分たちでどうしようもない時はそうします。1日に4回警察を呼んだこともあります。また被害届をだすかどうかも、慎重に考えます。どんな場合でも、その時には感情を表すことを大事にしています。のちに、許して欲しいと言われても、いきなりは難しいのだから、嫌だとおもったことは表現しておくのです。恐怖や驚きのあまり声はでないものですが、「あ」でも「う」でもいいので、表すようにしています。もし自分が冷静に話せるなら異を伝え、これまでの考えを更新してから来て欲しいと伝えます。でも、たいていは膠着してうまくいきません。

 それでも、人生は一回きりで、誰も代わることもできなくて、自分の無力さを認めて、その上で自分の身体や精神を解放しながら、埋めきれない間を時々突き抜けてゆく。すると、ほんとうにすこし違う景色がみえてきたり、異なる角度のまなざしが世界を更新してくれることがあります。そして、また日常は繰り返され、また突き抜けて、また還ってきて、というサイクルをくりかえすことになります。
 わたしはこの運動を表現が後押しするのではないかと考えます。態度に表してみることや、表現してみたことによって、誰かが応答してくれたりすることもあり、昨日になかった変化が今日もたらされるかもしれないと考えます。

 あまり期待もせず、でも、しぶとく、ずらしたり、角度をかえて、諦めない工夫と、問い、創造すること。突き抜けてゆく感覚を手放さずにいることで、生きのびるための現場です。そうした積み重ねが、ひとりひとりの人生を深くしていくような、関わりあいののりしろを増やしていくのだと思います。

上田假奈代
(詩人、NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)、大阪市立大学都市研究プラザ研究員)


現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています