対話を届け、声を伝えるプロジェクト~つむぎ~ 親子って・・

 親子。親であること、子どもであることに私たちはどこか特別な価値を、意味を込めてしまう。込めたくなってしまう。「親だから・・」、「子どもだから・・」と話すことで、起きている出来事を正当化してしまう。責任をそこに求めてしまう。親子の絆という言葉に象徴されるように、それは素敵なところもあるのかもしれない。でも、それによって親、子どもの行動が制約されること、重圧になることもある。

 この1か月、50代の息子又は娘と一緒に暮らす母親からの相談が増加している。今までも相談はあった。でも、今回はその数が多い。その殆どの相談が今回、初めて外部の機関へ相談したというもの。これまで家庭の中で留めていたものの、その状態が限界に達し、相談に繋がった事例ばかり。親子の間に何が起こっているのだろう。一つの事例から見ていきたいと思います。

 ヨウコさん(仮名)は50代の女性。高校卒業後、事務職として会社に勤務。5年程の勤務を経て、医療系の資格取得を目指し、勉強し、専門学校に入学。卒業後は資格を取得し、医療機関に勤務したものの、職場内で人間関係を上手く築くことができず、退職。その後も別の医療機関に勤務するが、同様の理由で短期間で退職となり、その後は自宅でひきこもる生活を続けていた。

 家族は父が早くに亡くなっており、2つ上の兄と母がおり、兄は自宅を離れ、一人暮らしをしていたことから、母と2人の生活を続けていた。本人が40代半ばとなり、このままでは良くないと母が話し、本人も納得したことから、同じ市内にアパートを借り、別々で暮らすことになった。すぐに仕事につくことができないため、当面は母が援助する形を取ったが、母の援助も限界に。本人に仕事につくように話をすると、具合が悪いと話す。具合が悪いのであれば病院にと話し、本人を内科に受診させるが、続かず。再度病院に行くように話をすると、具合が悪いから行けないと話をし、結局は行かず。
 
 母は親戚から本人のことは本人にやらせるように言われ、お金の援助も止めようとした。実際、一度止めると、本人は自宅に来て、騒いでしまう。家賃の支払いが止まると、保証人である母に大家から連絡が来るため、世間体を考え、母が支払い続けていた。具合が悪いと一方で言いながら、自分の興味があるイベントには電車を乗り継いで行く。それを本人に指摘すると、具合が悪いんだから、楽しみの一つぐらいあっても良いと言われる。

 周りからは援助をするなと言われ、本人からは援助をすることを求められ、自分の立ち位置が母自身、分からなくなり、結果として騒ぎにならないように本人の求めに応じ続け、時間が経過していた。

 本人が動かない、動けないのには理由があるのかもしれません。動けないのであれば、指摘しても、本人にとっては暴力のように受け止められるかもしれません。でも、かといって、本人の要求を受け入れ続けるのが良いのかと言われれば、良いとも言えません。どうしたら良いのでしょう?

 私は多くの家庭を見ていて、家庭内にルールがないと感じます。社会に出ればルールがある。それがあることで社会は回っている。でも、家庭にはルールがない。無法地帯。その時の感情などで話が進んでしまう。結果として、同じ状況がグルグル回ってしまうと感じます。

 親だから、子どもだからを理由に話を進めることは、50代の子どもと親(多くは80代)では当てはまらないように思います。互いに大人である両者が今後も生活をしていくためにはどうしたら良いのか?そのためのルールを決めていく必要があると思います。

 残念ながら、感情や想いで生活はできません。生活に焦点を当て、そのことのみの話をしていく必要があると感じます。親子は特別な関係ではない。親子も他人同士であるというところから話を始めなければ、話は親子の話から一向に進まないと感じます。

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