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日光のルーツを巡る

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日光のルーツを巡る旅(1)

日光のルーツを巡る旅(1)

日光のルーツ

コーヒーやキッチンカーの話題ではないですが、
意外と知らない"日光のルーツ"をお話しちゃいます。
日光と言えば、東照宮を思い浮かべる方がほとんどでしょうが、日光のはじまりの歴史は、それよりずっとずっと古いのです。

日光開山

その主役、日光を開山した勝道上人(しょうどうしょうにん)のお話を中心に進めましょう。

奈良時代の中頃、現在の栃木県真岡市に暮らす勝道上人の夢枕に、明星天子

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日光のルーツを巡る旅(2)

日光のルーツを巡る旅(2)

前回は、勝道上人が神橋を渡ったところまでのお話でした。
では、その続き。

四本龍寺(しほんりゅうじ)

766年、勝道は、大谷川を渡って対岸に仮の庵を結び、近くに寺を建立。
当時、紫雲龍寺と呼ばれた四本龍寺、まさに日光山発祥の地です。

紫雲石(しうんせき)

境内の石に勝道が礼拝していると、紫色の雲が立ちのぼり、男体山の方になびいたそうです。
それで、自分の行くべき先は男体山であると悟ったと。

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日光のルーツを巡る旅(3)

日光のルーツを巡る旅(3)

前回は、勝道上人が輪王寺のルーツとなるお寺を建立したところまでのお話でした。
では、その続き。

男体山を極める

その後、勝道は、山の霊の力を身につけようと、男体山を目指し、途中、滝(華厳の滝)や湖(中禅寺湖)を発見しました。
今や一大観光スポットですね。

しかし、原始林に阻まれ登頂は2度失敗。782年、3度目のチャレンジでついに男体山頂を極めたのです。
48歳の時でした。

日光の名の由来

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日光のルーツを巡る旅(4) 

日光のルーツを巡る旅(4) 

前回は、勝道が男体山を極め、中禅寺を建立したお話でした。
では、その続き。

勝道「上人」誕生!

789年、勝道55歳の時に、平安遷都をしたことで有名な桓武天皇に上野国総講師に任命され(藤原敦光著「中禅寺私記」による)、上人の称号を授かりました。
これは、最澄の比叡山開山や空海の高野山開山より早く、まさに、山岳仏教の先駆けとも言えるのではと思います。

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)

翌790

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日光のルーツを巡る旅(5)

日光のルーツを巡る旅(5)

前回は、なぜ僧侶が神社を?というお話でした。
では、その続き。

日光の神仏習合

わかりやすく言うと、↓の図の通りです。
日光を象徴する山々、男体山・女峰山・太郎山。
この三山は、父・母・子と家族にも例えられます。
そして、それぞれの山に、二荒山神社(新宮・本宮・別宮)の神様が祀られ、そのそれぞれの本地仏が輪王寺の三仏堂に祀られているのです。
例えば、男体山には、二荒山神社新宮の大己貴命が祀られ

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日光のルーツを巡る旅(6)

日光のルーツを巡る旅(6)

前回は、日光の神仏習合のお話でした。
次は、足尾との関わりのお話。

不思議なねずみ

勝道上人が男体山に登るため、湖に祈願したところねずみが波の上を走るように現れ、上人に力を貸してくれました。
それで無事に登頂に成功したのです。

波之利と書いて、"なみのり"ではなく“はしり”、これが中禅寺と足尾の波之利大黒天のはじまりです。

「足尾」の名

上人がお寺にいる時、ねずみが粟の穂をくわえて、どこ

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日光のルーツを巡る旅(7)

日光のルーツを巡る旅(7)

前回は、足尾との関わりのお話でした。
今回は、勝道上人の造った仏像のお話。

一木三体(いちぼくさんたい)

このシリーズの⑶で、勝道上人が自ら桂の木に彫った中禅寺の立木観音(十一面千手観世音菩薩)のお話を覚えていますか?

実は、これには続きがあります。
この時造られたのは、中禅寺・立木観音(十一面千手観世音)だけではないのです。
同じ一本の桂の木で、清滝寺・千手観世音、慈眼寺・十一面千手観世音

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日光のルーツを巡る旅(8)

日光のルーツを巡る旅(8)

前回に続いて勝道上人が一本の木から造った仏像のお話の第2弾です。

慈眼寺(じげんじ)

鬼怒川温泉街の少し先にある慈眼寺は、勝道上人の日光開山とほぼ同じ時期に創建され、中禅寺・清滝寺の観世音像と同じ桂の木に彫られた十一面千手観世音菩薩立像が祀られています。

徳川の時代には、三代将軍の参謀であった天海大僧正(まさに慈眼大師ですね)が、故郷の会津に向かう途中の宿としたと伝えられているとか。

また

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日光のルーツを巡る旅(9)

日光のルーツを巡る旅(9)

最終回は、勝道上人遷化のお話です。

仏岩

勝道上人は、817年、83歳で遷化され、仏岩で荼毘に付されました。

仏岩と呼ばれる起源は、女峰山・赤薙山の溶岩でできたと言われる断崖に、仏の姿をした岩が並んでいたことによります。
それが、地震により崩れて消失したのが今の姿です。

今では、下方の岩壁が削られたような場所に、梵天、帝釈天、四天王のうちの三体、不動明王の六体の石像が並んでいます。

開山

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