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Chapter 4 霊性の認識 1『霊性』の発達段階

Chapter4.霊性の認識


1.『霊性』の発達段階
―スピリチュアルのライン―


Chapter 2 の初めにWHOの健康の定義から霊性の定義付けをしましたが、今回は、はじめに、西洋の霊性の認識がどのような秩序で論じられているか、インテグラル・スピリチュアリティ(Integral spirituarituy)の著者、ケン・ウィルバーによる見解をご紹介しましょう。

彼の造詣の深さはこの米国の心理学領域でも認められている存在で、著書にある『スピリチュアル』の定義をここで参照しておくことに致しましょう。

1)スピリチュアルの四つの定義

本書には、四つの定義として下記が記されています。(p146)

1)どのラインでも最も高次のレベル
2)別の一本のライン
3)状態の至高体験
4)特定の態度

以上のように指摘しています。この定義は著書の中盤の解説ですので、ラインという概念が出てきています。これについて説明しておきましょう。

2)ラインの理解

ウィルバーによると、ラインとは、認知、倫理、感情、間ー人格的・人間関係(インターパーソナル)、欲求、自己同一性(アイデンティティ)、美意識、性―心理的・男女関係(サイコ・セクシャル)、スピリチュアル、価値、運動発達などで、これらには発達段階があり、認知や理解の水準があります。つまり、ラインとは、ひとまず、

認知的発達概念の総称

である、と言えます。

概念的な理解として、ひとまず単純に義務教育で習うそれぞれの「教科」のように考えてもよいでしょう。例えば、言語的理解は「国語」、数の理解は「算数」、科学的理解は「理科」、文化環境の仕組みは「社会」といった具合です。

さらに専門領域では、経済学、社会学、医学などの学び、「学」の付くもの全てに理解の段階があります。しかし、私たちの「教科」として学習は、発達段階の一部に過ぎません。

そして、実はこれら「学問」の概念は、一つの「認知」ラインとして集約されます。

その他、人間として成長するため、私たちがより豊かな社会生活を送るために必要な、人間関係や(こころ)にまつわる発達概念(ライン)もウィルバーの掲げた代表的ラインに含まれています。

もう少し噛み砕いて言えば、学問的認知だけでは、社会生活を円滑に行うことはできません。学問的に優れた学者も、学者として一流でも人格的に問題のある人物もいます。モラハラ、パワハラ、セクハラ、DVなどが起こる背景は、認知ラインだけでは解釈できません。倫理、間ー人格的・人間関係、欲求、自己認識や性ー心理的・男女関係、感情などの認知的発達概念(ライン)が関与してくるのです。

より詳細なラインについては、本書をお読みいただきたいのですが、これらのラインには、それぞれに「人生の問い」があり、その問いを見れば、一体どのような認知に関連するのかがお分かりになると思います。

つまり、より詳しく説明すればラインとは、

認知と意識に関与する発達の概念的な成長軸

である、と言えます。まだ、具体的にどのようなことなのか、わかりにくいと思いますので、次の表をご覧いただきましょう。認知と意識の関係性を示します。(※代表調査者:主要ラインの研究の第一人者)

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さて、「人生の問い」の質問に一つひとつ答えていくには、かなり漠然としていると思いますし、哲学的な問いもあります。

貴方にとって、この中でも特に興味ある問いは何でしょうか。私の場合は、やはり「スピリチュアル」でしょうか。ご覧いただきますように、究極の関心という問いです。

ここで、もう一度、スピリチュアルの定義を振り返ってみましょう。

3)スピリチュアルとは

1.どのラインでも最も高次のレベル

これは、上記のどのラインでも究極の水準まで達し得た心境がスピリチュアルになることを意味します。

つまり、一つひとつのラインの認識と意識が最高度に達したところがスピリチュアルである、という定義です。この場合「人生の問い」の全てが、「究極の」という接頭辞を付すとスピリチュアルな問いになるということです。

そして、あくまでも傾向としてですが、運動などの身体を使うことも究極になればスピリチュアルな行為(神業・神対応など)になり得ますが、より内面的で精神的、あるいは道徳的な信仰心などのラインになるほど、スピリチュアルな意味付けがなされてきます。

2.別の一本のライン

スピリチュアルに特化したラインを指します。上の表で言えば、スピリチュアルと掲げたラインです。本書には、「スピリチュアル・インテリジェンス」のようなものの場合、その発達のどの段階でもスピリチュアルとして認められる独自の発達論的ラインがあり、成長のはじめの段階から始まるものであると断りがあります。

つまり、この他のラインは、究極の段階がスピリチュアルですが、スピリチュアルのラインだけは、例外的にその初期段階からスピリチュアルとして扱うとしています。

3.状態の至高体験

この状態とは、意識のことを指します。意識のお話はまた必ず触れることになるので、今回は簡単にしておきましょう。状態は「ステート」という言葉で表し、意識の状態には、一般的に眠り、覚醒、夢見の三つの状態があります。

そして、この他に特殊な意識状態があり、それを変性意識状態といいます。この中に、一瞥体験や至高体験(聖者に遭遇する、スピリチュアルな体験)と言われるものがあります。

スピリチュアリティを、宗教的な経験、精神的な経験、瞑想体験、至高体験とみなすこともあり、ほとんどすべてのシャーマン的な伝統は、この範疇に入ります。

一般的には、これを指してスピリチュアルといわれていることが多く、巷で使われているスピリチュアル体験などは、この3)の定義が使われています。

4.特定の態度

ときに、スピリチュアルは、どの意識段階※または意識状態にあっても、特定の態度、姿勢を示す場合があります。たとえば「愛」や「智慧」、「慈悲」なども特定の態度を示すということです。これらの語彙は、その語彙自体の理解度や解釈の深さによって段階があります。

※意識段階については『神聖なる世界』第二章「天界と魔界」をご参照ください。

先の例で、どんな学問も「認知」のラインに入るとご説明しましたが、この場合、言葉の理解や解釈の深さが「究極」であれば、それがスピリチュアル的な態度を意味します。

ですから、結局は上記の1.~3.の用法に戻ってしまうのですが、ウィルバーは本書の中で、この用法について次のように指摘しています。

これは非常によく使われる方法であるが、しかし、結局、最初の3つの用法に戻ってしまう。なぜなら、実際には愛、智慧、慈悲にも段階があるからである。この事実は、愛と慈悲を求めるほとんどすべての「グリーン(米国のベビーブーマー世代、日本の団塊の世代のジェネレーションに見られる一種の意識段階)」の著作者が見逃している。しかし、この用法も単独のものとみなすことができるので、リストしておきたい。(p148~9)

「グリーン」とは、先ほど申し上げた理解度や解釈の深さをつかさどる、著者の意識水準のことを言っています。この意識水準についても、「霊性」と非常に関係があるため、今後にお話をつなげて参ります。

いかがでしたでしょうか。少しスピリチュアルの定義についてお分かりいただけましたでしょうか。やはり、スピリチュアルと『霊性』は少し定義が異なると思いますし、そもそも西洋の視点のスピリチュアルと、東洋の視点の『霊性』が馴染まないところもあるでしょう。

さて、次回は、この「ライン」をもう少し観察し、立体モデルの中にどのようにマッピングできるかを検証してみたいと思います。そしてラインの語彙をマッピングすることで、西洋と東洋の『霊性』と『スピリチュアル』の関係性を見ていくことにします。

そして、Chapter3霊性の特性4『霊性と文化』の最後に掲げた、『理性』『知性』『感性』の三つの役割が、それぞれ『真善美』に見て取ることを念頭に置きながら、私たちが、いつも使っている『漢字』の『霊』そのものの『三』が一体何を示すのか、次回以降、再び詳細を見て参りましょう。

次回は、Chapter 4 霊性の認識 2『霊性』と『スピリチュアル』―ラインの相関―をお送りします。


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