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同世代について

ぼくは確かにあのころ、「同世代」の歌人たちに強く憧れたのだ、と思う。

はじめて自覚的に「短歌をやろう」と決めたとき、ちょうど直面したのは第4回の歌葉新人賞の候補作発表で、笹井宏之さんが受賞する前の候補作をんで「世の中にはすごいひとがいる」と思った。

同時に「自分は今まで何をやっていたんだろう」という衝撃があった。

選考会もはらはらしたし、宇都宮敦さんが次席に推されるというとき、ぼくはその良さが全然わからなくて、「なにこのうすーい歌?」という感じだったな、というのもしみじみと思い出す。

実際、はじめたころはまったく理解できないけど、いまになってみるとじわじわいいなと思う作品はたくさんある。いまでは宇都宮さんの大ファンの一人になった。

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覚悟を決めてぼくも第5回歌葉新人賞を狙おうとおもって候補作を作り始めたけど、「はじめて1年目で歌集出版権をもらっても、そもそも歌集になるほど歌がないな」と思って、応募を思いとどまったのだった。

実は、その年がぼくの「最後」だった。

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そのあとは総合誌の賞に継続的に出す意欲が全然沸かず、散発的に出しただけだ。未来の人たちから「出しつづけろ」と言われて出したこともあるけど、本人にやる気がないんだから続かない。

実際、総合誌の賞は3回しか出したことがない。1回目は歌葉終了の次の年。2回目は入院中の勢い。3回目は未来の先輩のすすめだった。

おおやけには一度、短歌研究新人賞に応募して2首で落選したとき、「ニャンコさんという筆名の方の隣で恥ずかしかったから」というのを言い訳にしてきた。それはもう歌をやめた仲間とした笑い話だった。人には言えない事情というのもある。

なにか年中行事のように賞レースみたいなものに参加するのは、自分でもすごく抵抗があったし、だんだん歳を重ねて裏事情を知ってくると、歌集というのが「出版費用がバカ高い」ということも聞くようになる。歌集出版無料が約束されない総合誌で賞をとると「むしろ歌集が出せないんじゃないか」という不安もでてきた。

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今にして思うと、ほんとうにぼくが出す気があって、そこに転がっていたチャンスは「第5回歌葉新人賞の1回だけ」だったのだと思う。

人生は残酷だ。出すべき時期に出さなかった後悔は、とても長く尾を引く。
自分の「出すべき時期」は、短歌をはじめてまだ1年もたっていない「あのとき」だったのだと思う。

誰でもチャンスがいつなのかもわからない。ただ、チャンスを逃したそのあとは、永遠に打席すら回ってこないのだとおもう。

ぼくはまだ歌を続けているけど、なにか雑誌の賞を背負って人前に立つことはない。そんな感じは今もしているし、総合誌で偉そうに対談をしている自分なども想像できない。

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だから総合誌の賞を目指そうかやめようか悩んでいる人には、「自分のなかの事情は一旦脇において、とにかく打席に一回立ってみたら」と勧めると思う。(ただ「裏事情」もしっかり教えるけど…。)

いま短歌を続けていられる理由は、ぼくの場合ただ一つ、自分の内側にある動機(モチベーション)だけだ。「未来」で賞を取ったことだって、自分の内的な動機にはなるけど、「未来」じゃない他のグループの人が、自分のところの賞をとったからといって同じようなモチベーションを維持できるかはわからない。

総合誌の賞をとって、それが続けるモチベーションになるのなら、その人にとっても、それがよいような気もする。

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まあ実際、そのあとは体調もひどく悪化していて、まともに歌なんて作れる状態でもなかったし、15年の歌歴のうち10年ぐらいは「病気療養中」だったので、候補作なんてまとめられなかっただけかもしれない。

いま、同い年くらいの人に言って真剣に悲しまれてしまったけど、「自分は2年ぐらいで死ぬかもしれない」と真面目に思っている。そう思ってから半年経ったから、あと1年半だ。

一戦必勝の気合で、いいものをこの世に置いていこうと必死だ。それ以外のことはすべて「些事」なのだ。「自分は15年もかけたのに、真剣に短歌をやっていなかったのだ」とすら思う。

でも当時は、自分の死期なんてまったく意識していなかった。鬱のまま生きていくのだと思っていた(実際それがずっと続くのも地獄なんだけど…)し、歌集をまとめるというのも、すごく体力がいることで、自分の作った歌なんて見返したくもなかったから、歌や文章で世に出たいという意欲も乏しかったか、乏しいふりをしていた。

ほんとうはそれでしか生きられない、とうすうすわかっているのに、「短歌ばかりやって働かずに生きていくなんて人間として負けだ」というジレンマからずっと抜けられなかったのも、「自分が思い込まされていたこと」だと思って、最近は繰り返し文章にしている。

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なんだかぼくも年を食ってきたから、「最近の若いひとは~」みたいな小言をついつい言いたくなるのだけど、よく考えてみればぼくだってはじめたころは、「枡野浩一さんと笹公人さんが唯一無二の存在」だったし、常に同じくらいの年齢の人か、それより若い人の作る短歌を「すごい」と思ってきたのだから、若い人のことをとやかく言える資格はない。

誰だって始めた頃は、みんな同じグループというか、近い年代の人の作品をみて「すごいなあ」と思うものなのだろうと思う。

年数を食えば、自然に自分や同世代の人たちが古くなっていくので、15年前ふつうにAmazonで売っていた歌集もいまでは入手困難ということもザラにある。ぼくは慌てて高島裕さんの『旧制度』を買えたけど、永田紅さんの『日輪』は手にいれられなかった。

いま、40代の人たちの歌集がメルカリで高値になっているのを見て、「えええっ」という気になっているけど、短歌の歴史って繰り返すものだと思う。常に若い人のほうが不利なのだ。

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あと、ぼくより歌歴が長いはずの人ですら「全然歌を読んでない」という衝撃もたくさん経験した。好きな歌人とその周辺くらいしか意識が向かず、あとは自分の歌についてしか気にしていないという人も大勢いて、ぼくはそういう人たちにこそ心底がっかりした。

もう「若い」とか「年をくっている」とか、それが「真剣に短歌や、短歌の歴史と向き合う」条件ではないことも明らかなのだ。

訳知り顔に「最近の若いひとは」と言う人ほど、「実は歌集を読んでない」なんてよくあることなので、まったく気にしなくてもいいと思う。

当たり前のことだけど自分が短歌を読んでいるかどうか、自分が短歌の歴史と向き合う気があるかどうかは、「態度」ではなくて「作品」が決めるのだと思っている。

残るのは常に事情ではなくて、「作品」なのだから。

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最近SNSを情報収集ツールとして使うのを辞めてから、RSSフィードをあらためて活用するようになった。

人がなにか記事を更新すると、フィードに登録してあるものは真っ先に見に行く。短歌のツイッターのアカウントはたくさんあるけど、短歌の文章を書いている人は珍しいので、10年前も今も「選ぶ」必要を感じない。

いつも読んでいるのは、高良真実さんの「月のコラム」だ。今月も更新されている。


奥田亡羊さんの歌集は、第一歌集も第二歌集も当然読んでいて、この前直接お会いしたときにその話をさせていただいた。『亡羊』という歌集がでたとき、たしか加藤治郎さんが話題にしていて、「買わねば」と思ったのだった。

(そのころは歌会で「いい」とおすすめされたものは全部買っていたから、相当お金を使っていた)

ただ、もし本当に高良さんが書いたようなことを奥田さんが言っていたのだったら、さすがにいただけないと思う。栁澤美晴さんがそれに乗っかってたらしいと聞いて、個人的には「ああっ」と頭を抱えるのだけど…。

「最近の若い人」なら、まだ共感する人もいるかもしれないけど、「最近の若い歌人」という言い回しがもう「つきすぎ」である。正直、ぼくから見ると、吉川さんをはじめとした「最近の年長歌人たち」に「読む価値があるのか」という疑問すら、湧いてくる。

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ニューウェーブ以後、というか、当時吉川宏志さんを始めとして「短歌の正統」みたいな顔ででてきた1970年代前半の「ちょっと先輩の人たち」の歌集を、僕自身、いまわざわざ読み返そうという気にならない。

吉川宏志さんは、敬愛すべき論客であり短歌の大先輩だと思うけど、あれは短歌というより「吉川印のなにか」としか思えないし、初期の頃はそのはかなさも目をひいていたけど、「西行の肺」あたりからおっかけるのがきつくなってきた。

なんというのだろう。あのはなやかな「掬われたあとに濡れた金魚」とか、「水圧があるような闇のなかで腹を押し当てたやもり」のような見事な見立ての裏側に、はっきり「権威的」としかいいようがない「だめな男臭さ」が見え透いていて、私は歌集単位で吉川さんの歌を読むのがきついのだ。

正直「ニンニク吊るす」歌とか、「お好み焼きにタレを塗っている刷毛」あたりから、なんというか、もう生理的に受け入れられない、という歌が見える。減っていくのかなと思ったら、それすらテクニカルになっていって、だんだん左翼になっていくあたりから、もうついていけなくなった。

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大松さんのイクメンの歌とか、奥田さんの「男歌男」なんて歌集のタイトルも、そういう「現代の男臭さというか、「ますらをぶり」」をアイロニカルに引き受けているのだと思ったけど、縦の比較で見ると、なにか歌の美しさが決定的に欠けているような気がして、「美しさを求めるなら、積極的には読まないよな」とむしろ言いたくなる。

もし読者として、絶対にあったら買わなきゃと人に勧めるのは、ぼくも高良さんの言う通り、大口さんの『トリサンナイタ』や、『水を開く手』『花の線画』など、横山未来子さんの全歌集だなと思うけど、横山さんや大口さんの「対象を客観的に見つめる美」と吉川さんと奥田さんと大松さんを一緒くたにしていいものか迷う。

さらに言えばここに松村正直さんの「やさしい鮫」以後の「午前三時を過ぎて」あたりからの文体の充実ぶりや、や島田さんの「No News」の文体の完成度も同列に論じていいかはわからない。

(ちなみにあえて言うけど、ちょっと年上の方として、忘れてはいけない人としてぼくは高木佳子さんを挙げたい。あの人こそ本物の歌人だと思っていて、『玄牝』はほんとに1万円出しても読みたい歌集だと思った。)

なんで「同じ世代」でみな一緒になっているのか、それはぼくも感じることもある。たとえば名前を上げるのをはばかられるけど、「あの人と同世代」と言われるのは、ぼくにとってはとても光栄な人しかいないけど、向こうからすると迷惑な話かもしれない。

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しかしそんなことを言い出すと、ぼくのなかで、虚心に、批評的に見た短歌史は大変な事になってしまう。

はっきりいってぼくは安保闘争のころの福島泰樹さんとか、三枝昂之さんとか佐佐木幸綱さんとか、あのへんの大御所のみなさんはそろって「前衛の縮小再生産」だったと思うし、正直ニューウェーブなんてものも、ただの「前衛という幻想をメディアに映しただけ」だったし、そもそも「前衛」すら塚本一人だったとしか思っていないから、岡井さんと寺山さんを、「歌壇」から早く避難させて、もう一回「戦後短歌をやり直そう」としか思わない。

蒸し返すけど、ニューウェーブがなかったのではない。

事実とは違うかもしれないけど、比喩的な意味で、「前衛もなかった」のだと思う。あるいは塚本以外、誰も代表歌すら言えない縦軸でみた戦後の歌人のみなさんの短歌を誰が人に「おすすめ」するのだろうか、とすら思う。

短歌というジャンルを第二芸術にしてしまった責任は、戦前の歌人たちではなく、むしろいま歴史とつながろうとしている歌人である「あなたたちや私が追うべきな責任のだ」とすら強く思っている。

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しかし、同時に思うのだ。

ぼくはいま「1970年以降の歌人たちの(特に男性歌人たち)の「人間臭さ」に絶望して、もっと前の世代をもとめて、最初中村憲吉を読み、小泉千樫を読み、気づいたら、「多磨」の歌人たち、玉城さんだけでなく、島田修二さんや木俣修さん、あとは現代短歌全集で言うと、田谷鋭さんとか、もういろいろ読みあさり、結局落ち着くわーと思うのは、最近全歌集を買い求めた人間国宝の鹿児島寿蔵さんだったりする。

ただ、同じ若い人で、短歌の歴史を根底から見ようとせず、

「木下龍也さんがいたから自分が生まれた」

みたいなふうに思っている人たちもいるのは事実だ。

それはその人の確定的な態度なのか、若いからそう思っているだけなのかわからないけど、この高良さんと、たとえばTANKANESSの記事を書いた宇野さんのこの感じを一緒にしていいかどうかは僕にはわからない。

記事をあげると

宇野さんの文章は8月1日に上がっているけど、正直、ドン引きする。

ぼくは木下さん自身はすごいいい歌人だと思うし、繰り返し「語るなら木下さんだけでいい」とすら思っている。

その木下さんですらまだ正しく語り尽くせておらず、ぼく自身言いたいことがあるのに、そのフォロワーたちの傲慢さは一体なんなんだと怒りに満ち溢れてくる。

だから、世の中で、ほんとに短歌に向き合っている人はやっぱり少ないんじゃないか、と思う。

木下さんの歌をみたとき、直観で、なにもインタビューも見ず、

「あ、この人フラワーしげるさんとか好きそうだ」

と思って、自分の歌集にこんな歌を忍び込ませた。

フラワーしげるによろしく、木下龍也によろしく、雨の林道

西巻真『ダスビダーニャ』

あとで、木下さん自身がフラワーさんを「読んでほしい偉大な歌人」とインタビューで語っているのを見て戦慄してしまった。

まあ、ぼくが精神病院から脱走してきた狂人だけで、みんなはうまく文章の深い部分を汲み取ってうまくやっているのかもしれないけど、多くの歌人たちが、現代語(口語)になった途端、「市場」と「現代」しかみないし、「風俗」しか歌わない。

それに、同じ現代語をやっていて売れない歌人たちが、いくら「方向が違う」と言っても、同じ現代しか見ないという点で同列なのだ。うまく差を説明できないのはただのルサンチマンだと思う。これはとても厄介だし、そんなことを感じていても誰も言えないだろうからこの場を借りて言わせてもらった。

政治や社会や歴史を真剣に歌わないし、そもそも取り扱い方すら皮相で、一面的になった時点で、短歌は永久に「第二」どころか「芸術」の地位すら危なくなっていることに気づいてほしいと思う。

何度でも言う。

「ほんもの」はまったく短歌というジャンルにいなかった。

戦後の歌人たちは一部を除き読むに耐えないし、彼らを「先生」と祭りあげた私たちも、その上の世代も、なにか搾取の構造のなかにいたのだ。

それに対抗して「売れる短歌」がでてきたように見えるけど、それは戦後の歌人たちがみなひとしく体たらくだったおかげで、なにか別のもののように映っているだけなのだ。

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こんな文章を書いていていっこうに締切が終わらないのだけど、

ぼくは塚本邦雄の声をなにか録音で聞いたことがあって、ぼくが間違ってなければすごい甲高い声で、とにかく聞いているとなにか昂ってくるような、自律神経に悪そうな声だったと記憶している。

彼が生み出した「果実」の部分は、毒もすごい持っていたのだろう。実際かばんの結成のとき「毒杯」を献上したくらいだから。

それは「作家性」という毒なんじゃないか。

おおくの歌人たちが「われ」という毒に犯されて、「おだやかに世界を見ること」ができなくなっているのだと、ぼくは強く思う。

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こんな短歌の現状を不自然だと感じるぼくは、もう一度入院してきたほうがいいのだろうか。

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