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父の少年時代

戦争について


今まで、父は過去について何も言わなかったのに、
去年の盆にお墓参りをしたとき、
祖父が戦争から戻った時の話しをしてくれた。

終戦後、中国大陸を南下して3年かけて
骨と皮になって日本に帰ってきたらしい。

祖父は帰国後、とても寡黙な人になったらしい。


戦争が終わった時に父は10歳
それから13歳まで、
ほとんど学校なんて行かず、
親戚の仕事を手伝って過ごしたらしい。
人って、本当に辛いことがあった時のことは、人には言えないんだよね。

映画フィルムの運搬


親戚の家は、田舎に映画館を経営していた。
戦争が終わって、娯楽がない時代に
歓楽街は映画館を中心に変わっていった。
配給される映画フィルムを、
10歳の少年が、東京までリュックに詰めて
往復したらしい。
当時の映画フィルムはとても重たくて、
貴重な物だった。
絶対に床をおくなと言われて、
何時間も汽車に揺られて、抱えるようにして
運んだらしい。

住んだのは下の兄弟から離れた映画館の映写室の小部屋
小さな窓から映画を覗いでいた。

もう、祖父は帰ってこないと思っていたらしい。
早く大人になって、仕事をしたいと思ったらしい。


駐在所で家族で暮らす


警察官だった祖父が帰ってきて

家族で一緒に暮らせるようになったのは

祖父が山奥の駐在所に勤務するようになってから。

川で鰻を捕まえたり、
駐在所の前に「お疲れ様」と
猪が1頭置いてあったり、
ビックリ体験もしたらしい。


家族を守るのが自分の責任


父はいつも言っている
戦争の頃を思い出したら、なんでも出来るよ
自殺する奴の気持ちはわからん。
なんとかして、生きてのびて
家族を守るのが自分の責任だ。

私が発症した後、
何度も病院に会いに来てくれた。
旦那や子供たちに、
これからずっと見守ってやってくれ
頼んでくれた

いつも、私はそのままで愛されていた
だから、私も人のことを信じて
愛して生きていきたいと思う。

最近、記憶がおぼつかない父だけど、
いっぱい、話しを聞いておきたい。
父の人生


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