Coco Crystal 223

在米20年以上の日本人女性です。2020年ごろから「生きかた」について『魂(スピリット…

Coco Crystal 223

在米20年以上の日本人女性です。2020年ごろから「生きかた」について『魂(スピリット)』の側面から考えるようになりました。自分のやりたいこと、できること、そして選びたい世界線のことなど書き綴りながら、人生の本質について自分なりの掘り下げをしていけたらなと思っています。

最近の記事

プリンセスになれないのに‥

 プリンセスウェールズの話題が(多少遅ればせとはいえ)飛び込んできて、思わず動画で内容をチェックしていた時に、ふと浮かんだメッセージ‥「プリンセスって誰もがなれる存在ではないのに、(近年の先進国と呼ばれる西欧に住む?)女の子誰もが一度は憧れさせられるよね?」事実自身が親になった時ですら、和多志は我が娘にプリンセスドレスを当然の如く着せたりしていた。当の娘は実際全くそんなものに興味すら示さなかったのに‥。まるで洗脳されていたかのように「娘はキラキラドレスが着たいはず。ティアラの

    • 0から1を生み出すひと、それを利用するひと

       黒-白、上-下、右-左、男-女、裏-表などなどこの世には「対」なるものばかりが存在しているが(二元性とでもいうのか)、その中でも代表的な『太陽と月』を思う時‥ふと今回のタイトルにあたる言葉が浮かんできた。  太陽の発光を利用して闇夜に輝く月は、自ら発光出来ないゆえに日中はその姿を輝かせることができない。当然の原理といえば原理であるが、この度話題の「大谷選手とその通訳者」との関係性に「太陽vs月」を垣間見たような気がした。この世界には太陽のように「自ら0→1(=光)を生み出

      • いつになったら…

         2024年が明けてからまだ2ヶ月も経たない間に、どれほどの裏社会的暴露や汚れきった世界の醜聞が明るみに出て来たことか。そしてそれらに関わるとされる不都合な人々や組織の「金や力に任せた」企み…、そう、いずれまるでそんなことなど無かったかのように一般市民が巧みに誘導されてきていること、確実に真相が究明されないまま時間の経過とともに闇に葬り去られていくのではないかと懸念されること‥もこれまでに明らかにされてきたことと同様なくらいに山積みになってきているように感じられる。それにした

        • 祈り

           能登震災から二週間と少し‥。250名ほど輪島の中学生が親元を離れて暮らすことになったという。2ヶ月ほどの(高校受験等を見越した上での)集団避難プランは当地教育委員会提案とのこと。こんなことは間違っている‥と思いつつ‥。  すべての子どもたちが守られることを祈る。何ひとつ失われることなく、心身ともに健やかな子どもたちが数ヶ月後、愛しい家族と対面再会しお互いの成長を心から祝える日を思い描きながら‥願いながら‥筆を置く。

        プリンセスになれないのに‥

          和多志が決して望まないメディア報道

           2020年以来、意識的にテレビや新聞の主流メディアと呼ばれる報道になるべく触れずに来たものの、ネットニュースに今日「能登地震でご家族を失いたった一人残されたお父さんが挙行されたお葬式の様子」が報道されていた。和多志はこうした報道の必要性を全く感じない。果たして、このお父さんが「ぜひこの悲しみを全国の人々に大々的に伝えて欲しい」と自発的に報道機関にお願いしたのであろうか。否、決してそんな経緯ではなく「道徳や倫理観のかけらもない人でなし」メディア側が悲嘆に暮れている当事者の父親

          和多志が決して望まないメディア報道

          ここじゃない、けど‥今じゃない

           夢語りをしよう。和多志のしたいことや住みたい場所、つながりたい人々などなど。兎にも角にも、和多志は海や湖のそばに住みたい。いや、いずれ住む。そこには、建物自体は小さいけれども大きな窓がある家。リビングと寝室からは絶景を臨める。キッチンもオープンなので料理しながら遠目に海が見え、空の様子も刻々と分かって、いつも自然と一体になれる和多志の住処。  そこからほど遠くない場所に和多志の仕事場がある。車で、そう‥10分くらい走らせたところ。こちらは小さなビルの一室で、もちろん海が一

          ここじゃない、けど‥今じゃない

          目醒めよ『人の子』2024

           元旦早々に北陸能登震災、2日目には羽田空港での飛行機追突火災事故‥と、不穏な幕開けとなるが、この大きな試練の中で垣間見えることは「人々の『真の目醒め』が拡大加速していっている」こと。もはや、闇勢力と思しき生命体からの「巻き込み自爆的行為」に対して賢明な人々は精神的に巻き込まれなくなってきている。和多志視点で恐縮ではあるものの、以下私的分析したものを一旦記しておこうと思う。  2023年に起こったとされる重大事件や災害について回顧すれば、マスコミにも属さないズブの素人である

          目醒めよ『人の子』2024

          強く、賢く、そして優しく

           いつの頃からか、和多志は自分に言い聞かせるような「理想の自己〜三箇条」を胸に秘めるようになっていた。そう言えば亡き母がかつて生まれた和多志を命名した時のエピソードを語った際に、「稲穂」のようにしなやかで強風にもポキッと折れない強さをもつ人となるように‥との思いを込めたと言っていた。今更ながら、母よ‥素敵な名前をありがとう。  和多志が求めた「強さ」‥今思うに、これは「勇気(Courage)」ではないかと…。とはいえ幼い頃から曲がったことが大嫌いな性分で、そのせいでこれまで

          強く、賢く、そして優しく

          ここにいる意味

           ふと目にしたベッドサイドに立てかけてある雑誌‥それは日本一時帰国の際に購入したもので2022年7・8月号と記されていた。今からたった1年と数ヶ月前のものとは思えず、感覚的にはすでに2〜3年前くらいのイメージだ。ウクライナ対ロシアの争いが続く中で日本の元首相の暗殺事件が起こり、先進国の金融不安や世界中で頻発多発する大災害の報道、そして何より今まで隠され続けてきていた深い闇〜人間の尊厳を根源から破壊する忌むべき大犯罪〜が数多く暴かれる事態が欧米のみならずこの日本でも巻き起こり、

          ここにいる意味

          ただ、この鉱石(フローライト)のように‥

           この危うい世界の「化けの皮」が剥がされつつある今日この頃、思うことは一つ…。美しい鉱石のごとく、ただそこにあって魅せられ、心癒されるような存在となりたい。何を意図せずとも、周囲の人々に笑顔と安心、そして温かな想いを自然と抱かせるような存在となりたい。   ひとの世(現世)は、これまで長きに渡って和多志の信じていた世の中とは余りにもかけ離れすぎていてただひたすらに戸惑うばかりである。「自らの身体(肉体)を権力者に差し出さないと淘汰される生業」の存在。しかもまだ「性への目覚め

          ただ、この鉱石(フローライト)のように‥

          愚かな人々を相手にしなければよい

           ここのところ、メディアの腐敗ぶりを感じるネタに尽きない。それはもう怒涛の如く、枚挙にいとま無しとでも言ったところか‥。一例として挙げるならば、無数の若き少年アイドルを数十年にもわたって喰いものにしたという今は亡きケダモノの犯した常軌を逸する悍ましい大罪については目を覆いたくなるほどの隠蔽腐敗っぷりである。これはメディアのみならず関連企業、アイドル事務所、さらには法を纏う公権機関でさえ全てにおいて腐りきっており、故にこうした愚かで穢らわしい「我良し」の醜い生命集団の存在証明が

          愚かな人々を相手にしなければよい

          人生の責任をとるのは和多志自身〜ライトワーカーの呟き(後編)

           和多志は自分の人生の責任をとる。翻って、誰も和多志の人生を保証してくれる者はいないのである。どれだけの人々がこのことを真に腑に落としているか。医者の判断や診断書で和多志の人生は全く決まらない。上司や雇用主の評価や査定で和多志の人生は何も証明されない。それを自分が「どう受け取るか」にだけ和多志の人生は、かかっている。  人生は選択の連続。選ぶ自由もあるが、選んだ故の結果を全て引き受ける責任も同時に発生する。このことが世に浸透しているだけで、世界平和は大いに保たれるであろうと

          人生の責任をとるのは和多志自身〜ライトワーカーの呟き(後編)

          逃げも隠れもしない〜ライトワーカーの呟き(中編)

           和多志は自分のことを「ライトワーカー」だと思っている。それはつまり(和多志自身の定義に過ぎないが)「光を降ろす」「光を照らす」「光を広げる」ことに今生この命を使うこと(使命)に我が魂が同意(契約)している者である。  「光を降ろす」…神の声を聞き、神の導きをそのまま地上に繋げる  「光を照らす」…繋げた光をそれを必要とする人々に示す(届ける)  「光を広げる」…示された(届けられた)光がより伝わることを手助けする  和多志はいつも身近に子どもがいる世界で生かされてきたし

          逃げも隠れもしない〜ライトワーカーの呟き(中編)

          人間の皮を被ったケダモノ

           よく「羊の皮を被った狼」…という言葉があるが、ここ最近和多志の脳裏をふと掠めた言葉がまさにタイトルのそれだった。見た目は人間、魂はケダモノ…そんな感じである。マウイ島火災による被害の様子を各種ニュース源から点と点を線に繋いでいく中で、あぁ、、確かに「人間の皮を被ったケダモノ」が存在する。。そう実感した。意図的にその「ケダモノ」に成り下がったもの以外にも無意識にそのケダモノに加担している「ケダモノJr.」とやらもいるようだ。もっというなら、初めからそのまんまの「純正ケダモノ」

          人間の皮を被ったケダモノ

          御心のままに…

           エドガーケイシーの教えを伝える「伝道師」光田秀さんのインタビュー動画を観た。その一言、その一文、何もかもが感慨深い…。行き着くところは「神の御心に従うならば、何事もすべて大丈夫」という根源メッセージに他ならないと感じた。その中でも、神の法則は様々あれど『誰もが益となる』この世の計らいがあるとすればそれは間違いなく「神の御力」であって、例えば『当事者の一方が喜ぶ傍ら他方が悲しむ』ような成り行きは決して「神の御力ではない」ということ。これ即ち「我よし」の心もちを応援するのは「神

          御心のままに…

          そういうことではない〜ライトワーカーの呟き(前編)

           日毎、この世界・地球で「一般人として」生きることに息苦しさを覚えている。自分はそもそも本来『この星の住人』ではない…氣すらしている。和多志の住む故郷(ほし)は誰もが相互に愛をベースに「想いが通じる」「言葉が通じる」「行動に(思考・言動との)一貫性がある」生命体の集まりだったような氣がしている。地球、それも三次元しか見えない人々の多くは上記をほぼ満たしていない生命体で溢れかえっているようである。あまりにも醜く、酷いものだ。  此処は、あまりにも自分や自分の身近な人々さえ良け

          そういうことではない〜ライトワーカーの呟き(前編)