Back to the world_003/アニメ軍団
○
「え、マジで…」
佐内は驚いて一瞬純の顔を見たが、すぐに軽口を叩いた。
「…そこでオギャーオギャーって声がして?バスん中で誕生したんだ、ジェリー選手」
高校に入学してまだ1ヶ月だったが、仲間うちでは気の利いた冗談を入れて出来るだけ早く返答するという流行りができていた。
純の苗字が『藤尾』だった事からジェリー藤尾にちなんで『ジェリー』と呼ばれるようになったのもその流れからだった。
趣味が合いそうな、且つ面白いやつだと思われたい連中同士がつるんだ。仲間うちと言ってもまだ固まってはおらず互いに様子見をしている段階で、名前のあとに『選手』をつけるなどして距離を測っていた。
「いや、だったらよかったなー、けど実際はその後病院で産まれたみたいよ」
「九死に一生じゃん…すげー」
純は両手を合わせて手首の側を顔の前に近づけると、女性器に見立てた中指と薬指の隙間から佐内の顔を片目で覗いて見せた。2人は面白いやりとりができたと満足して笑ったものの、互いに相手を窺うような微妙な雰囲気が流れた。
純と佐内の通う高校は高台に建てられており、隣接している自然公園からは海が見渡せた。
潮の香る風が2人の髪をはためかせ、自然公園の空気は黄橙に染まる。草木の輪郭が白く輝く情緒たっぷりの瞬間が来た。
純は友人と一緒にドラマチックな景色を見ると、十年二十年後にこの瞬間を思い出す時が来るのだろうかと考える。
今までのそういう機会の事はほぼ忘れていない。
「あー。信じられない景色だわ」
海に沈む夕陽を見ながら、佐内は横目で純の顔をちょっと見た。
J Rは当時、国鉄と呼ばれていた。純はまだ産まれていなかったのに、なぜか落下事故の時に渋谷駅の構内にいたような記憶がある。ホームで電車を待っていると大きな音がして、まず焦げ臭いような、いかにも化学物質といった毒っ気のある臭いが充満しーー最初は駅で爆発が起こったのだと思った。やがてうっすら白煙が流れて来て、皆がハンカチで口を覆ったり、小走りで階段を降りて行くのが見えた。もちろんこれは今までに見た映画や事故のニュース映像の影響かもしれないと思ってはいる。
ファイヤーバードが落ちて来る情景も自分が見たような気がするのは母親に聞いた話から想像しているだけで、そもそも1970年には存在し得ない自分のお気に入りーー'77年型で記憶している。頭に浮かぶ車の落下シーンがスローモーションなのは幾度も思い描くうちにそれがよりドラマチックに修正されて行った結果なのである。
しかし特別珍しい生まれの自分は神秘的な力を持つ世界と繋がっていて、なんとなく万物の理(ことわり)が掴めるのではないかという考えがどこかにあった。自分の思念がそこへ辿り着き、誰かの視点を汲み取っているのではないかとーー。
「いやー、スゴイね、ジェリー選手」
純は高校の坂を下りながら少し得意になった。佐内のこちらを見る表情に尊敬の念が見える。彼は張り合うようなタイプではなく、これから楽しくなりそうだと見るからにワクワクしている様子が丸わかりだったので、純まで嬉しくなった。
ーーと、背後から『ていん、ていん、ていん、ていん、、』という大人数の足音が響き、遅れて頭上の電線が『ちゅいん、ちゅいん、ちゅいん、ちゅいん、、、』と音を放って揺れた。停まっていた雀たちが慌ててバランスを取る様が可愛い。
「こらあーー!坂を走るなと、いつも言ってるだろうが!」
居合わせた強面の古文の教師、瀬田が怒鳴っている相手は、『アニメ軍団』と呼ばれる連中、7人組だった。
小柄で小学生のような童顔の少年も、いかつくてオッサンのような青髭のでくの坊も、母親が買って来たのだろう、白い運動靴と指定の学生ズボンを絶妙に格好悪く穿いているせいでいずれも中学生に見える。純は、やつらがこんなに長いベルトをあんなにきつく縛りつけて垂らす理由が一向にわからなかった。
「だって、『ミンキーモモ』が始まるんですもん!」
小柄な少年ーー山園が甲高い声で悪びれず答え、全員がコミカルな執事ロボットのような早歩きに切り替わった。
純と佐内は彼らを指差しながら若者特有の大げさな笑い方をした、坂を下る女子たちを意識しながら。
「…ハッ!」
山園の、緊張感のない幼稚な返答に瀬田は呆れ、吐き捨てるようにため息をつく。
戦争末期に生まれた瀬田にとっては、ことさら幼稚に感じたであろう。
まだ『オタク』という言葉は一般的ではなかった。この高校の、セメントに輪っかのモールドのついた昭和の坂道は、周囲の切り立った山のせいか妙な具合に音が響いた。しかしこんな特徴的な音が出せるのはこのアニメ軍団のみ、だった。■
とにかくやらないので、何でもいいから雑多に積んで行こうじゃないかと決めました。天赦日に。