見出し画像

四谷ジャズ喫茶「いーぐる」体験記

左翼文化としての象徴的なジャズ

最早存在しないものだと思っていたが、
まだ残存していることが判明した。
何を隠そう、件のジャズ喫茶「いーぐる」である。

店内の会話禁止、音を立てるな、主役は鳴っているジャズであり客ではない、
など不文律を言い立てればキリがない。
カップルは禁止であり、より禁欲的で求道的な姿勢が良しとされる。
この店の店主はそうでないかもしれないが、
来ている客にはそういうものを有難がる輩が少なくないと思われる。
死んだと思われていた文化も地下で長く呼吸をしていたことに、
いささか人類の親のような子供を労わるような気持にさえなる(笑)
僕はこの文化の継続を支持する立場であることは前もって言っておきたい。

この日、子どもを将棋の体験教室に残し、
新宿から四谷まで散歩がてら歩いてきた僕と妻は昼食をとっていなかったことに気がついた。
子どものことを色々と話しながら、時折音楽や時事問題について知り得たことを話していると
あっという間に時間は経ってしまい、新宿から四谷までの徒歩30分程度などはまるで一瞬である。

四谷はあまり縁のない地域だが「たいやきわかば」や「迎賓館」は知っている。
あとは「上智大学」くらいかな。一度、セブンイレブンの本社に商談できたことがあったな。
キリスト教専門の書店もあったな。パパ様のポストカードがあってドン引きした記憶がある(笑)

ジャズ喫茶があるみたいよ、と妻がスマホで調べていたようだ。
ランチ営業の看板が店外に出ているのを見つけ、早速はいってみることにした。


ランチタイムでちょっと敷居が低くなった!?
こんな入口から地階に入る


地下から大音量のジャズが流れており、そのライブのような音が身体を包んでくれる。
伝統的なジャズが掛かっているわけではなく、シンセサイザーやプログラミングされたようなリズムパターンに
硬質なアルトサックスが絡んでいくような現代音楽に近いようなジャズだ。
時折、難解なテンションコードが鳴って楽曲に引き戻される。
これはこれで気持ちがいい。ちょっと昔で言うところの環境音楽みたいなものとジャズが融合したようなもの。
ずっとフリージャズが鳴っているよりもこっちのほうがいい。
これは店主のチョイスなのかな。

店内は、壁に据え付けられた巨大なスピーカーに向かって席が置かれていて、まるで教会のようだ。
この店で「神」は巨大なスピーカーなのである。布教するジャズ。我々は賽銭を用意しなければならないのか。
ただこの神は快適だ。この大音量は身体を包み込む。これがトランス状態なのだろうか。
出てきたウェイトレスが、店内は会話禁止なのだという。
二人座れそうな席がなかったのでスピーカーの一番前という一番おいしいトロの部分に陣取る。
ここがカップル席なのだろう。あとから来た二人組はスピーカーに向かって前後に並んで座らされていた。
異教の神に祈ることを強制される異教徒のように戸惑い、あきれ、従容と席に着く。

席に座ると水をもってきてくれ、メニューを拡げられる。
仕方なく妻とはLineで会話しあう。ちなみに電波の入りは最悪なので打った文字を互いに見せ合うにとどまっている。

こんなセットがやってくる。

「何にする?」
「なんかトマトソースのパスタが食べたい」
「白いシャツできたのに?」
「うん」

僕は「ボロネーゼパスタ 大盛 セット」、妻は「和風ツナパスタ セット」
これにサラダとコーヒーがつくのである。
立て込んでいるようでウエイトレスが会話を破る。
「あのお時間が15分くらいかかってしまうようなんですが、大丈夫でしょうか?」
しかし、スピーカ―の真ん前の僕たちには聞こえない。
その度に「なんですか? なんと言ったんですか?」と大声を張り上げてしまう始末(笑)
これがコントでなくして何なのだろうか? 「おかしみ」はあらゆるところに潜んでいる。

ベルグソンは「おかしみ」とは日常性を断絶された非日常性だと言ったが、それこそ悪魔の所業である(笑)
「笑い」とは根源から湧き上がる人間性でもあり、人間らしさを発揮できる行為である。
(原理的なキリスト教では人間らしさが悪魔的だと定義される)
知性があるから笑うのであって、その「おかしみ」を理解し、それを体現しようとするわけだ。
ジャズを聴くだけが知的な行為ではない。それを包括してのジャズなのだ。
音楽は奥深い。届き方は千差万別でその人の体験や感性によってレベルは上下する。
だがそのレベルは数値化することを拒否している。
縦に上下するのか横に左右するのか、果ては斜めに伸び行く漸近線のようなものなのか、さっぱり分からない。

だが、
感性なんて言葉で逃げたくはない。
感性のせいなんかにしたくない。
いちばんあやふやなもので自分を語りたくない。

サラダがのった皿だ。

まずは「サラダ」。
レタスとピーマンの輪切り。塩コショウと酢の妙味。
再現に自信あり。

ツナの上に大根おろしと醤油と刻み海苔 まるでラウンドミッドナイトだ


そしてしばらくしてやってくるのは妻の「和風ツナパスタ」。
オイリーなシーチキンの上に大根おろしと海苔が掛かっている。
それを混ぜて食すのだという。

ボロネーゼは半端ねーぜ 喩えるならジャイアントステップ!? 

そして僕の「ボロネーゼパスタ 大盛(60円増し)」もやってくる。
こりゃ、レトルトだな、と分かる。味は少し甘め。掛かったパセリは本物。
パスタは少し太め。ゴリンとする歯ざわりは僕の好み。

パスタをフォークで丸めているとやけに踊る固めのパスタ。
これでは白いシャツにトマトが掛かってしまう。

あまり死者を貶めるようなことはいけないと思うが、
阿部薫てどうなんだろう? 僕は否定的に考えている。
それこそ感性の殉教者のように思う。

いーぐる、いーぐる、こちらコッキンポンコ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?