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本を手放すこと、手放せないこと

本をどうするかで、長年悩んでいる。

どうするかで、と書いたが、ここの説明も難しい。
処分する、とも言い換えられるが、処分したくないのでこういう言葉は使いたくない。
ただ、置き場所に困る。
部屋は広く使いたい。
手放そうと思うけれど、また読みたくもなる。

とにかく、昔から紙類が溜まって、この紙類をどうするかで悩み続けた人生といっても過言ではないかもしれない。
いろいろなことを試し、今のところは、すべての紙類はスキャンをしてデータ化して手放す、というところで落ち着いている。

本も、何十冊、もしかしたら100冊以上の本を裁断して電子書籍化した。
iPadには、これら電子書籍が電子書棚に並び、いつでも取り出せる。
たまに取り出しては、読み返す本もある。
これで、良いといえば良いのだけれど。

(過去のスキャナの話)

お盆休みに実家に帰った時に、「いい加減、あんたの本棚を少しずつ片付けて」と母親に言われた。
学生時代から数年の間に買った本たちが壁一面に並んでいる。
仕方がないので、そのうちの10冊ちょっとを持ち帰ってきた。

なんとなく、金城一紀の『FLY,DADDY,FLY』を読みたかったので、金城一紀の本を全部持って帰ってきた。
7冊ものハードカバー本があった。
こんなに持ってたっけ。

久しぶりに読み返してみて、やっぱり面白かった。
何か新しく頑張るための刺激が欲しいときに処方するのが『FLY,DADDY,FLY』だ。
47歳のおっさんが、娘のために戦うために、体を鍛え始めるという物語。
20代の頃に読んだこの本も、気が付けば主人公の年に近づきつつある。

さて、これを読み終えて、このままただ読み終わって置いておくのも、もったいない気がした。
かといって、この部屋にずっと置いておくのもなんか違う。
そもそも置き場がない。
じゃぁ、電子書籍化しようかとも思うけれど、小説を電子書籍にすることになぜか抵抗を感じる。
ビジネス書だったら、便利に使う道具というイメージなので、いつでも取り出しやすい方がいいのだけれど、小説はね。
それでも、昔、分厚い小説を電子書籍にしてスマホで読んだこともある。
確かに便利は便利なのだ。
何が引っかかるのだろう。

まず思ったのは、外に本棚が欲しい、ということだった。
どこか、外に自分の本棚があって、そこに置いておくと、誰かが借りてくれてそれで少しでいいからお金が入ってくるような仕組みがあったら楽しそうだ、ということ。
昔、アパートの一室をコミュニティーハウスのように貸し出していたことがあって、そのときに本棚に本を並べていた。
すると来てくれる人が本を手に取ったりして、本から生まれる会話が楽しかったんだ。
そういう、本から生まれるコミュニケーションを求めているのかもしれない。
コミュニケーションとまでいかなくても、誰かに自分の本を借りて読んでもらって、その感想なんかが読めたりして、また次の人へと続いていく、みたいなことが楽しそうだ。

でも、それならば、amazonなどのレビューみたいなもので足りるんじゃないか、ということになる。
いや、違う。
ただ感想を共有したいだけでもない。
自分自身がこんな本を読んでいる人だと知ってほしいと思っているのかもしれない。
どんな本を選んでいるのか、読んでいるのかで、個人としての価値観が伝わる。
自己顕示欲というのとも違う。
そこで、単純に面白がってくれた人との会話を求めているのかもしれない。

でも、それならば、Web上に仮想図書館のようなものを作って、これまでの読書遍歴を見せればいいだけなのかもしれない。
昔、そんなサービスがあって、自分で作ったホームページに載せていた。
本をクリックすると、amazonのリンクに飛んで行って買うこともできる仕組み。
いや、違う。
物理的な本のやり取りがしたいんだ、なぜか。
たまたまその本棚に通りかかった人が、ふと見て、面白がって読んでくれるみたいな、そんなのがいい。
オンラインであっても、その人にわざわざ郵送してやって、読み終わったら戻ってくるみたいなことがしたい。

そんなことをいろいろと考えながらも、現実的には場所の問題があるわけで。
そこで、なんとなくブックオフに行ったら、金城一紀の本が文庫で3冊売っていたので、買ってきた。
家にある同じ本のハードカバーが文庫になると、こんなにもコンパクトになるんだということを並べて実感したかった。
文庫が発売されたら、ハードカバーは手放して、いつか読みたくなったら、また文庫で買い直すという手もある。

試しに並べてみたら、うん、やっぱなんか違う。
まず装丁が違う。
なんか、あの当時に、このサイズのこのビジュアルの本を読んでたんだよなぁ、という思い出と一緒に残ってしまっていて、それをそのまま取っておきたいような気分になっている。
ただ、場所を取られるので、ここじゃないどこかに置いて、誰かに読んでもらって、その感想まで欲しいというこの我儘さ。

ハードカバーの装丁 飾っててカッコいい
文庫の装丁 ちょっと寂しい
でもこんなにコンパクトになるのは魅力

noteを書いている人なら、大抵の人は本をたくさん持っているはずだと勝手に思っているんだけれど、皆さんどうしてますか?

僕は誰かに本を貸したい。
でも、無償なのも嫌で、50円でも100円でもいいからもらうような仕組みでやりたい。
1冊100円+送料。
送料が入ると送料自体が高いから、複数冊まとめて送って1か月借りられる、みたいな。

リアルな貸し借りって、ただ新品や中古を買うよりも、ちょっとだけ緊張感があってワクワクするような気がするんだけど、なぜだろう。
それを公的な図書館からとかじゃなくて、こういう文章書いたりするんだなって人から借りるの。
本の内容以上に、その人の奥行というか、本の組み合わせで伝わるものというか、そういうのがあって、そういうパーソナルなところを教えてもらったり、貸し借りしたりというのが、なんか楽しくなるんじゃないかなぁ、って思うのです。

誰か、本を借りてくれませんか?


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