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ライブレポは「奇跡」の存在証明【King Gnu Live at TOKYO DOME】

ライブレポートというのは、何のために書くのだろう。
感動を忘れてしまわないために。
言いたいことがありすぎて、黙っていられないから。
素晴らしかったライブのあれこれを、誰かに伝えたいから。
想いを、本人たちに伝えたいから。
そのどれも、という人もいるだろうし、全く違う、という人もいるだろう。
私はどうだろう。
たぶん、そのどれも、だった。
でもわからなくなった。ある時、ライブレポートを書く意味を見出せなくなった。

理由のひとつは、ここまでに何度かライブレポを書いて来て、彼らについて私が語りたいことを、私の持てる範囲の言葉では、語りつくしてしまったような気がしていたから。そしてもうひとつは、尾崎世界観さんの短編小説『電気の川』(文藝2022年秋季号掲載)を読んで、ライブレポートというものを受け取る側の、ひとつの可能性を見てしまったから。

その場で受け取った感動はその人だけのもので、百人いれば百通りあって然るべきだ。それなのにいつのまにか、「臨場感があってすごい」「ライブを思い出して感動した」「共感する」そんなことを言われて胸を撫で下ろす、そこまででワンセットになっている自分がいた。本当は、誰ひとり同じ感動なんてないだろうに。

文章を書くなんて所詮自己満足なのだと、狡い諦めで自分を納得させていたことを突きつけられた。開き直りの先にある厚顔無恥な表現欲求と承認欲求。
こんなものをインターネットの広い海に放って、何になるというのか。
例えばもしも、彼らに伝わったとて、喜んでくれるとも限らない。
彼らの真意とは全然違う解釈を垂れ流して、お笑い種かもしれない。
笑われるだけならまだいい。『電気の川』のように、自分の文章が本人たちの何か、嫌悪を掻き立てるほどの何かになってしまったとしたら。
彼らのことが大好きだからこそ、そんなのは耐えられない。

2023年3月31日。King Gnu東京ドーム公演がアマゾンプライムで世界同時配信された。私は収録日の前日に参戦していて、配信も友人たちとのウォッチパーティーを含めてもうすでに四回ほどは観たのだけれど、観れば観るほどまたさらにKing Gnuのことを好きになってしまい、我ながら収拾がつかない。こんな気持ちになったのは久しぶりだ。

参戦後にはどうにか何かを書き残しておきたくてレポを、いやその似て非なるものを、書いて、書いて、書いてはみたのだけれど結局、下書きに封印した。書き上げられなかったのだ。でも配信を見て、やっぱりこの感情をどこかに残しておきたいと思った。ライブレポを書く意味は、ひとまずさておき。

2022年11月19日。ファンクラブ先行から一般まで延々落選し続け、追加席の抽選でなんとか滑り込みチケットを手に入れた東京ドーム公演。入場開始時刻が近づくにつれ膨れ上がる人ごみに、改めてドームという箱の大きさを感じる。各所で拡声器を用い誘導するおっちゃん(ではないかもしれないが)たちのおかげで、大きなトラブルもなく、私は予定通りの時刻にどでかいドームへ入場した。King Gnuの世界観がみっちり詰め込まれた廃墟のような舞台セットと、みるみる人で満たされていく数多の椅子を眺めながら開演を待つ。

注釈席だったものの良席

「ドームクラスの会場を揺らせるロックバンドを作る」

King Gnu結成時に常田さんが掲げたという目標だ。結成から五年。ついにその夢が叶おうとしている。ヌーの群れの一員になって三年弱。叶う現場に、居合わせることができている。

「舞台から遠くても心はいつもあなたの側に」

開演前SNSに投稿された常田さんの言葉に、私はもう胸がいっぱいだった。

レポは書けないと言いながらも、こうして長々文章を書いているのはどうしてなんだろう。
今回もこれまで経験したKing Gnuのライブと同じように、最高に楽しくて、心の底から感動した。彼らが大好きだ。
でもその感動を言葉にしようとしたところで、無謀な挑戦であることは目に見えている。そのことにいち文字書きとして絶望し、いちファンとして納得する。だって易々と表現できるような感情ではないのだから。

ライブの感想として「感動した」とか「エモい」とか、もちろんその通りではあるのだけれど、そしてそれが一番的確、それ以上でも以下でもないのではないかとは思うのだけれど、こんな得も言われぬ感情を、たった一言で片づけるなんてそんなもったいないことないじゃないか、とも思ってしまう。文字書きの性だろうか。でも言葉を尽くせば尽くすほど陳腐になるというのもまた、真理なのだけれど。

全身全霊でも受け止め切れないほどの情報を、感情を、四人は訴えかけてくる。そもそも音楽を言葉にしようなんて傲慢だ。形にならないものを感じ取ってほしいからこそ、映像も、舞台セットも、照明も、MCやSNSで投げかけてくれる言葉も、すべてはそのコミュニケーションを補強するためにある。真ん中にある音楽を感じるため。すべてはそのため。

つまるところライブレポートも、そのために書かれているはずだ。ましてや音楽誌のライターでもない、ただの一般人の私が書く意味といったら、彼らの歌で、演奏で泣いてしまったことを、踊りたくて体が勝手に動き出してしまったことを、同じ空間で感じたパフォーマンスが素晴らしかったことを、その存在を証言するために書いている、それしかないのだ。                            

感動した、興奮したポイントは挙げればキリがない。一曲一曲に見どころが詰まりすぎていて、あれがかっこいいこれがすごい、をやっていくうちに語彙が五歳児になっていく。だからそれはやめる。

ひとつだけ書くとするならば、これだ。

青き春の瞬きから何度醒めようとも

『雨燦々』のこの歌詞が、ずっと頭に残っていた。私自身に関して言えば青き春なんてものはすでに遠く過ぎ去ってしまったもので、でも目の前でパフォーマンスするきらきらと美しい彼らは、私にとって紛れもなく現在の、ひとつの青き春だった。そしてきっと彼らにとってはライブが、もしかしたら音楽が、いつまで経っても青き春なのかもしれない。

会場を出れば、瞬く間に私は現実の私、青き春が遠く過ぎ去った日々にいる私に戻る。彼らとて、常にライブ中のような煌めきを持っているわけではないだろう。彼らも生活者としての彼らに戻る。私にとっての、彼らにとっての一瞬の青き春が、刹那的であるこの輝きが、あの時あの場所に重なり合っていた。奇跡だ。そしてこれを書き残すことは、「奇跡」の存在証明なんだ。初めて生演奏の『雨燦々』を聴いたときの言葉にならない気持ちを思い返して、そう思った。

初めてKing Gnuのライブに参戦した日のことを思い出す。2021年11月。四人がそこにいるというだけで、同じ空間で音を鳴らしているというだけで泣けて泣けて仕方なかったさいたまスーパーアリーナでのあの瞬間。私にとって本当に特別なものだった。
あれから一年、東京ドームが四回目のKing Gnuライブだけれど、あの特別な瞬間は今も全く色褪せない。それどころか、むしろどんどん更新されていく。ああ、「好き」の気持ちに天井ってなかったんだ、と思った。どこまでも昇っていける。

2023年6月、次はスタジアム公演が待っている。チケットは、ある。
旅行の日を心待ちにするみたいに、デートまでの日を指折り数えるみたいに、私は6月までの日々を過ごす。

その時、ライブレポを書くかはわからない。
この文章も、結局レポなのかエッセイなのか、よくわからない仕上がりになってしまった。でも文章って時間が経ってから読み返すと、写真のアルバムをめくるみたいに、当時の気持ちを思い出せることがある。感情の真空パック。大事な大事なKing Gnuの記憶を、またひとつ書き残せてよかった。

こんな幸せな気持ちを教えてくれて、本当にありがとう。
ずっとずっと大好きです。

興奮冷めやらぬ終演後

■セットリスト
01. 一途
02. 飛行艇
03. Sorrows
04. 千両役者
05. BOY
06. カメレオン
07. Hitman
08. The hole
09. NIGHT POOL
10. It's a small world
11. 白日
12. 雨燦々
13. Slumberland
14. どろん
15. 破裂
16. Prayer X
17. Vinyl
18. Flash!!!
19. 逆夢
20. Stardom
<アンコール>
21. McDonald Romance
22. Teenager Forever
23. Tokyo Rendez-Vous
24. サマーレイン・ダイバー

※全曲好きなのだが、個人的に特に良かったのは冒頭『一途』からの『飛行艇』、中盤『NIGHT POOL 』からの『It's a small  world』、『雨燦々』、新生『Slumberland 』、『破裂』からの『PlayerX』、そして『Vinyl』以降アンコール終わるまでずっと!です!!!

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