死とは...
両親をガンで亡くしました。
私と同じような境遇の人は、全世界で沢山います。
ガンとは、とても悲しく思い病です。
しかし、誰しもがガンになる可能性があり、とても身近な病の一つでもあります。
人が亡くなる...
誰しもが経験したくないことです。
人生で一番味わいたくない瞬間です。
しかし、私は思うのです。
両親の死を目の当たりにして「死」とは、本当は恐ろしいものではないということ。
悲しくつらいものではないということ。
その感情に陥ってしまうのは、完全に
「頭の中の思い込み」ということ。
この部分を腑に落とすのは、簡単なことではありません。
しかし、じっくり時間をかけて自分と向き合い、この世界を知ることで、確実に「死」への固定観念が変わります。
「死」の真理に気が付くと「宗教」や「洗脳」がこの世に存在する理由がわかります。
人は、明確に物事を定義つけられても、すぐに腑に落とすことができません。
なぜならこの世界には、物理や化学では証明できないものがありすぎるのです。
小さい頃に、夜空を見上げて
「あの星をつかみたい!」と思ったことありませんか?
「雲って摘まめるのかな?」
「地球の果てはどんな形をしているのだろう?」
化学目線から見ても、哲学目線からみても
未だに答えが見つかりません。
そもそも、人の始まりは細胞分裂から始まります。
目に見えない細胞が、なんども分裂をして初めて人間になるのです。
そもそも「ない」ところから始まり「存在」する。
「死」は最初に戻る感覚なんだと思いました。
人は生まれてくるとき、何も覚えていません。
産道を通るとき、命を懸けて赤ちゃんは生まれてきます。もちろん母親も命かけです。
そもそも、生まれること自体が「死」ととなり合わせなのです。
「生きている」ということは、いつか「死ぬ」ことが確定されているということなのです。
つまり、生きている今、死ぬことを怖がっていても、時間がもったいないのです。
だって、いつか誰でも死ぬのですから。
その「いつか」のために、健康になる!とか、死なないように長生きする!とか躍起になっていると、心は辛く悲しい思い「生きる」を積み重ねてしまうのです。
私の父が、そのようにずっと「生きる」を縛っていました。
同じ「健康」でも、楽しみに食事をしたり、気分よくウォーキングしたりする時間を積み重ねる人生のほうが、確実に自然に長生きすることになります。
つまり
「生きる」に執着しないってことです。
「今」を楽しく生きる選択をしているのです。
両親の死を通して、このことを痛切に知らされることになりました。
家族の「死」で、沢山のトラウマに悩んでしまう人が多いはずです。
私のようにHSP(繊細さん)で、ただでさえ世の中で生きていることが辛いと感じている人が、家族の死でもっとつらい!と感じてしまうことを避けれる生き方がある!と伝えたいのです。
世の中には、絶望が存在します。
でも、この絶望を作っているのは
誰のせいでもなく
世の中のせいでもなく
「自分の頭の中」で作ってしまっているだけなのです。
私は、このことに気が付いて、本当に人生が変わりました。
ガンはこの世から消えることはありません。
コロナもそうです。
「どうして、こんな世の中になってしまったんだろう」と嘆くのは、人生の無駄です。
それよりも、早くこのことに気が付いて、自分がまず一歩を踏み出すことです。