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悲しみと安らぎ

母が亡くなった夜

主人にお迎えに来てもらい、病院の駐車場で荷物を入れているとき...

ふと....ため息をつきました。

「ふぅ~...」

そして、夜空を見上げると星が沢山あって急に安心した気持ちが沸いてきました


そして、主人に

「お母さん死んじゃった...」


その時、主人が何を話していてくれたのか全く覚えていません。

ただ、星がきれいで涼しい風が心地良かったのを覚えています。



自宅に着くと、子供たちが待っていました。

末っ子が私に抱き着いてきました。


温かく柔らかい娘の体が、とても愛おしくてたまらなった。


久々に冷えたビールを飲みました。


とてもおいしかった。

いつもの自分の席について、もう一口ビールを飲み


「オトンとオカン、会えたかな...」


ぽそっと言葉がこぼれてくる


「オトンもオカンもいなくなっちゃった...」



そのあとの事が、あまり記憶にありません。


それから、色々手続きに負われバタバタとしてましたが、本当に記憶がありません。



母の実家に戻って、コロナ禍の通夜葬式は簡素的に執り行われ、悲しい雰囲気なんて一つもありませんでした。


母の亡骸は、まるで蝋人形のようで母とは別人でした。

「生きている」と「生きていない」と、こういうことなのか...

だから、全然実感がわかないのです。


通夜葬式の事も、あまり記憶にありません。


ただ、忙しく人に声をかけることが苦痛で仕方なかった。


何をしても、しっくりこない。

何をしても...

「空っぽ」


悲しいという気持ちが起こるのは

「母がいない」という現実を見つけてしまったとき

安らぎを感じるのは

「母の苦しみが消えた」という現実に気が付けたとき


その繰り返しでした。


そして、私の子供と主人といるときだけが、安心であり寛げる安堵の場所でした。


この空間があったことに、本当に感謝しかなかったです。

それがなかったら、私はきっと折れてしまっていたように思います。


「心の拠り所」は「逃げ場」になる。

「逃げ場」は「心の拠り所」である。


私は父にとって、母にとっての

「逃げ場」になれなった

それを責めました。

私が助けてあげれなかった。


ずっとずっと心の中で責められていると思っていました。

そして、自分をひどく責めていました。


父と母を恨んだこともありました。


そして、そんな自分をボコボコになるまで

心で責め続けました。


弱い自分

何もできない自分

癒せなかった自分

治して上げれなかった自分


誰も責めていないのに

後ろめたさでいっぱいになりました。


そんな自分をどうにかしたくて

もがき苦しみました。


この苦しみは、いったいどうやったら拭えるのか

どうやったら抜けれるのか....




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