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プロ野球中日ドラゴンズ大野奨太選手の引退を受けて

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、プロ野球中日ドラゴンズ大野奨太選手について、記します。

2023年09月12日(火)。朝起きて、Twitter(X)のTLを見ると、この文字が飛び込んできました。

『堂上直倫、福田永将が現役引退…2006年高校生ドラフト1巡目&3巡目の同期コンビ 17年オフにFA加入の大野奨太も【中日】』

『元F戦士 中日・大野奨太が現役引退 日本ハムで3度のリーグ優勝&16年日本一を達成』

夕方にはこの記事が出ました。

『引退を決めた中日・大野奨太「今後気持ちを整理して話せるようにします」』

いつか来るその日が見えた。喜怒哀楽のどれでもない感情で見ていました。

私が2020年から始めたTwitterのプロフィールには、一貫してこの文字があります。

"プロ野球中日ドラゴンズ大野奨太選手のFA移籍より自身のキャリア観に大きな影響を受け"

そう言うぐらいであり、大野奨太のユニホームは複数枚持っています。

2008年のドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。同年ドラフト7位が谷元圭介であり、東海地方の選手獲ったなあという印象はありました。

2016年に北海道日本ハムは快進撃を見せ日本一に。大野奨太も谷元も主力選手となっていました。
実際に試合を北海道日本ハム側で見たこともあり、躍動するふたりを見て、私はこう思いました。

「中日に来ないかなーFAでも獲りに行くべきでしょうよ日本一になったんだし」

そう思った後の2017年12月、見事にふたりとも中日ドラゴンズ所属となっていました。できすぎの展開に私は大興奮でした。
中日と仮契約を結んだニュースが流れたのは2017年12月09日(土)の20:00ごろのことでした。外出中でしたが、私は大喜びでした。

しかし、2018年は63試合に出場するも、年々出場機会が減っていきます。2019年は05月中旬に登録抹消されてからはほとんど出番はありませんでした。
ただ、2019年は、09月14日(土)阪神戦で加藤匠馬のあとを受け大野雄大の球を受け続けました。無事にノーヒットノーランができたのは、大野奨太の成果も大きなものだと考えています。

2020年は正捕手を木下拓哉に奪われ壁も厚く、チームはAクラスになるも1軍出場なしで終わってしまいました。
2019年~2021年は与田剛監督・伊東勤ヘッドコーチの体制でしたが、評価が低かったのだと思ってしまいます。
上司は労働条件だと言いますが、本当にそうだとつくづく感じました。

しかし、順風満帆な状況とは言えないながらも、大野奨太は自ら選んだ環境で最後までできることをやろうという姿勢で取り組んでいました。
ベンチスタートの試合でも、スタメンキャッチャーがベンチに下がるときには自然に出ていってピッチャーの球を受けるというシーンがありました。
北海道日本ハム時代のチームメイトと中日のチームメイトの間を取り持ったこともあります。

2022年に監督が立浪和義に代わり、評価ポイントが変わったか1軍での出場が増えました。
05月に木下拓哉がPCR検査で陽性判定を受けた際には1軍ベンチにて存在感を示し、石橋康太をバックアップしました。
オールスターゲーム後には1軍に長く帯同し、立浪監督も大野奨太の言動を褒めていたことがあります。

しかし、2023年になると1軍出場は再びない状態に戻ってしまいました。
06月にパ・リーグ経験したキャッチャーとしてシーズン中トレードで宇佐見真吾を獲得したこと、さらには日本代表経験者としてはピッチャーの涌井秀章が大きな存在感を示していた日々でした。

そうして09月になり、私も単年契約が切れてしまうタイミングでありそのことは心の片隅にありました。
12日(火)、正式に現役引退の報が出たのでした。
私は、穏やかな気持ちです。部屋にある中日の背番号27のユニホームが色あせては見えません。

穏やかな気持ちでいられるのは、たとえ対外的なものであっても最後の形が引退だからです。
プロ野球選手はなるのもほんの一握りですが、毎年一定数現役を続けることができなくなる選手もいます。それも多くが戦力外通告という形です(契約解除という形もありますが)。
少数派のハッピーエンドを迎えることができる。私に悲しみがないのは強がりではないと思っています。

大野奨太という人物、岐阜県大垣市で育ち、幼少期は中日ファンでした。ナゴヤ球場で中日を応援していたこともあったと本人が発言しています。
中日の選手になれること、がひとつの夢でした。

そうして野球に励み、東洋大学でレギュラー選手になり、大学日本代表に選ばれるほどになりました。そして、北海道日本ハムファイターズ所属のプロ野球選手となりました。
加えて、NPB全体で見ても年に12人しかいないドラフト1位指名でです。

その北海道日本ハムでも実力と信頼を得て選手会長とキャプテンを兼任するほどになりました。北海道日本ハム球団でなくとも、北海道を中心に野球関係の仕事は当分困らないぐらいになっていたのが、2017年に30歳になっていた大野奨太でした。
中日の選手として名古屋でプレーする、は過去のものにしてしまってもよかったのです。

それでも、海外FA権を取得し、実際にFA宣言しました。北海道中心での安定的な立場より、自分の人生後悔しないように新しい環境を求めたのです。

実際の機微なところはどうなのかはわかりません。積極的ではない感情もあり移籍に気持ちが傾いたかもしれませんし、もしくは外圧がかかったかもしれません。
そうであったとしても、FAで中日に移籍することを決断して立浪和義監督のもとプレーした事実に変わりはなく、私はその点を重要視したい。06年間、選手として前向きにプレーする姿を見せてもらえたことに本当にお礼申し上げたい。
理想は8番キャッチャーに定着、そして大好きな選手だった立浪和義監督の胴上げに加わることであり、それが実現しなかったのは残念ではあります。
不完全ながらも幼き日の夢を叶えました。大野奨太さん、本当にかっこいいです。

私のキャリア観も変わりました。現在大きな仕事を持っているにしても、できそうな立場にいて、かつ決断しておかないと人生後悔するならば、タイミング見計らって踏み込んで行けるところまで行けばいい。
自分の人生だ。

OHNO #27のユニホーム 、人生のお供として大切に保管し、私も堂々と前進します。

ありがとうございました。

サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。