太陽みたいに笑う月島雫

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、映画『耳をすませば』について、記します。

スタジオジブリのアニメ映画『耳をすませば』は1995年公開作品。私が小学生の時のものです。
映画館で見ることはできなかったものの、日本テレビ系の金曜ロードショーで見て印象に残った作品です。
調べてみたら確かに1998年10月16日(金)に放送記録があり、その後小学校で『カントリー・ロード』を歌っていた記憶もあるので間違いありません(笑)

恋っていいよなあ、私もプロポーズして抱きしめたい…

そういう思いがあったので、私の中で『耳をすませば』はかなり好きな映画でもありました。

2022年、実写映画化するというニュースがありました。

そうして公開02日目に見に行ってきたのでした。

「私、すぐ(雫と聖司は)別れると思います」

という本名陽子さんの発言はあったこともあり(https://getnews.jp/archives/374960/gate)、さあどんな大人の天沢聖司・月島雫が描かれるのかと楽しみにしていたのでした。

この映画は特に働いた経験がある人に見てほしいと思いました。思い当たる節があると思うからです。

劇中で印象的だったのが、

「太陽のような人」

という言葉でした。
雫自身は25歳になり、社会人(03年目?)となっていました。自身で物語を書いていただけあって、親和性の高い出版社編集部に勤務。
しかし、夢に近づいたかと思いきや、仕事をする上での現実に直面して悩んでいる様子が描かれています。
加えて、自身はコンクールに応募するも評価されない。

仕事も壁に当たり、好きなこともうまくいかず、自分に能力はないと思い始めている。
一方で彼氏の聖司はイタリアで夢に向かってまっしぐらに見え、加えて親友は結婚。ますます自信喪失のスパイラルに陥りかけています。
自分にできることは少ない、平凡な人間なんだ、と中学生のころに思ったことが再燃しかけるところでした。

しかし、聖司は雫を太陽のような人です、という言葉で肯定しました。

太陽は存在しているだけで温かみをもたらしてくれ、視界を明るく照らしてくれます。
何かができるかは大きな問題じゃない。仕事でうまくいかなくてもコンクールで受賞できなくても自分はマイナスとは感じない。
存在して自分を見ていてくれる、それが何よりのポイントだということです。最大級の愛情だと感じました。

本当に純愛を中学生の時から貫いているなあ、このふたり…日本とイタリアなんて遠くない…と、私の心も晴れやかになりました。

会社以外に心の支えとなっている人がいるという事実は大きい。もし、聖司と想い合っていなければ精神病むこと必至です。
人との出会い、縁は自分の力だけではどうにもならないものではありますが、会社以外に自分を認めてくれる存在があるというのは大切だとも改めて感じました。

私の場合noteでありTwitterであり、リアクションをもらえるとうれしく感じますし。

なお、一方で顔をしかめた描写もありました。
雫は上司ガチャではずれを引いたとしか思えないのです。精神論で指導され、それだけならともかく有給休暇は権利なのに難癖つけられていました。
絶対あかんやろこれ!雫も異動願いだせばいいのに!!

…と思ったのですが、それはナンセンスな感想です。
2022年の社会情勢に当てはめていたらその通りなのですが、時は1998年。部署の先輩は映画『タイタニック』を観に行っていたと言っています。

それならば仕方ないか。年功序列型賃金に終身雇用が強く機能していた時期です。
我慢すれば給料が増える仕組みになっていたはずであり(女性であることが不利になるかも?)、こんな感じだったんだなあと神妙な顔で見ていました。

ただ、それからの25年で会社組織文化は形を変えていっていますが、人と人との愛は普遍的なものでほとんど変わっていないはずです。

最後に

きれいな恋愛ってこういうものだ、というのを小学生である私に見せてくれた映画『耳をすませば』。
30年弱の月日が経ち、私も恋愛は何回も経験しました。

「この人と出会えたのは大当たりだった。この人がいるだけで自分は頑張れる」

という思いになり、写真見てニコニコしていた経験は私にもあります。
それが、自己肯定感につながることもあります。自分の存在価値が認められたってことですからね。

強がっていても、自分ひとりで頑張るというのは本当は難しい。
自分自身にひかりを当ててくれる人のありがたみをかみしめ、展開がわかっていようがこれからも時折見たいと改めて思えた映画でした。

ありがとうございました。

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