浮気や不倫をする人は、ある重要な真実に気がついていない

社会に出てまず驚いたのは、とにかく浮気や不倫をする人が多いということだった。それは本当に、それこそ街中でコンビニを見かけるぐらいの確率で遭遇した。もしかして自分の環境が特殊だったのかな、と思ったけれど、周りの友人の話を聞く限り、どうやら状況はあまり変わらないようだった。

テレビやメディアを見渡してみても、不倫のニュースは後を絶えない。なんでだろう?僕は単純に、疑問だった。なぜ素晴らしい人生を歩んでいる素晴らしい人間が、不倫をして、人生を棒に振ってしまうのだろう?

しかし、社会人として何年か生活をしてみて、たしかに、と僕も思うことはあった。悪魔はけっこう、身近にいる。それはいつも、自分の中にいるのだ。悪魔は普段は眠っているらしいけれど、時々瞼を開けて、こちらの状況を密かに伺っている。

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まず、どこからが浮気なのか、という定義をしておこう。僕の回答は、非常にシンプルだ。それは、「身体の関係を結んだら」。

もし万が一、パートナーがいるのにも関わらず他の人を好きになったとしても、その人と身体の関係を結ばなければセーフというのがこの定義だ。二人でご飯へと行こうが、そんなのはその人たちの自由だろう。逆に、例えば会社の付き合いで行かなくてはならない風俗のようなお店であったとしても、身体の関係をそこで結んでしまったらアウトだ。

この定義には色々と意見があるだろう。でも、僕はなんとなく、これが一番わかりやすいし、しっくりきている。

まず第一に、人を好きになる気持ちを止めることはできない。そして第二に、セックスは基本的に子供を作るための行為だ。その性質上、恋人やパートナー以外の方とそういった行為をするのは、やはり背信行為だと思う。

言葉の定義がもうひとつ必要だ。「浮気」と「不倫」の違いである。「浮気」と「不倫」の違いは何かといえば、パートナーとの関係性だろう。パートナーと結婚しているなら、その浮気行為は不倫と呼ばれる。今回はその二つの比較に特に意味はないため、どちらのケースについても「浮気」という言葉を用いる。

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浮気をしている張本人から、何回か実際に話を聞く機会があった。その話を総括するなら、「彼らはあまり罪悪感を抱いていないのではないか?」ということだった。

正確に言えば、彼らとて後ろめたい気持ちを抱えていたりする。しかし、行動に移してしまっている以上、言葉にはなんの説得力もない。結局彼らは、事態をあまり深く考えておらず、それゆえそのような行為をついついしてしまうのだと思う。

ところが、その行為は悪魔との契約なのだ。たしかに悪魔は短期的には、素晴らしい力を僕らに与えてくれる。しかし…。この「しかし」、こそが、今回の論点である。

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浮気をしても、相手にバレなければ何の問題もない、と思っているのかもしれない。あるいは、バレる可能性があったとしても、どうしても自分を止めることができず、浮気をしてしまうのかもしれない。

しかし、パートナーにバレるにせよ、バレないにせよ、そこには揺らがない大きな真実がある。浮気をして傷つくのは、実際には、自分自身だ。

もしかしたら、今は何も感じていないのかもしれない。しかし、パートナーを傷つけてしまったという罪悪感や、周りから向けられる冷ややかな視線、そういった残酷な事実が、人生を通じて自分に降り注いでくる。自分はこの程度の人間だったのか、と悟り、最終的には自分自身への諦念となりうる。

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そして、もっと大切な真実がある。それは、浮気をする度に、人間としての格が落ちていくということだ。

それはもしかしたら、自分では気がつかないことかもしれない。いや、気がついていても、誰にもバレていないと思っているかもしれない。

しかし、そういう背信行為というものは、誰にバレることがなくても、確実に自分の人間性を傷つけていく。そして、一度失われた人徳というものは、そう簡単には手に入れることができない。

たった一夜の遊びのつもりでも、それによって、自分という人間は、取り返しのつかない奈落へと突き落とされてしまう。気がついた時にはもう落とし穴の中にいて、底から上を見上げると、悪魔がこちらを見ながら笑っている。

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偉そうに書いたけれど、僕も浮気とは無縁の人生なわけではない。

悪魔はいつも、自分の中で眠っている。彼とうまくやっていくには、時々餌を与えてやらないといけない。僕の中にいる悪魔は甘いものが大好きなようなので、時々、大量のパンケーキを貪ることにしている。

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