あなたは、どちらの日記?

この世界には二種類の人間がいる。「日記を書く人」と「日記を書かない人」だ。

比率で言えば、書かない人が大多数で、書いている方がマイノリティになるだろう。あるいは、特徴的な出来事があった場合にのみ書く、という人もいるかもしれない。

今回の文章は、この「日記」がテーマである。

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誰でも一度は、日記を書いたことがあるだろう。

小学生の時、夏休みの宿題として、日記を書くことは定番の課題だったはずだ。

しかし、大人になってからも日記を書いている、という人はあまり多くない。日記を書くのは意外に大変で、目的がなければ長くは続けられない。

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日記には、大きく分けて二種類ある。「出来事を書く日記」と、「感情や思考を書く日記」である。もちろん、そのハイブリッド型も存在する。

出来事を書くのは、典型的な日記のように感じる。「誰々ちゃんとどこどこへ行きました。そこで〇〇を食べました」そういう内容が延々と続く。

簡単だ。簡単だから、小学生でも書ける。小学生の書く日記はだいたいこんな感じだろう。

この手の「出来事を書く日記」のメリットは、無論、出来事を記録しておける点にある。時間が矢のように過ぎていく中で、「今日、自分は生きていたのだ」そういう強い実感を持てるようになる。

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それに対して、「感情や思考を書く日記」は、妙である。この手の日記に決まった「型」はなく、人それぞれのやり方があるようである。

例えば、その日お風呂でぼんやり考えていたテーマについて、その思考の一部始終を書き起こしておく。あるいは、何かのニュースに感じたことや、自分の身の回りの出来事について感じたことを書き記す。

思考をただ書く、というのは、非常に奇妙な行為だ。

ブログなどインターネットに公開しているなら、まだ分かる。だが日記は、基本的に公開するものではない。それを今後読む可能性のある人は、自分しかいないし、なんなら自分すらも読まないかもしれない。

しかし、である。そのような「自分しか読者がいない」環境だからこそ、なんでも書ける。他人には読ませられないような罵詈雑言も、悲しすぎて泣きじゃくってしまった感情も、そこには吐き出せる。

書かれた文章には、社会とは全く切り離した場所にいる、「自分の本当の姿」が見えてくる。その文章は、オリジナルで、オンリーワンで、クリエイティブである。

だから、「感情や思考の日記」を書いている人は、話が面白い。ここでいう「面白い」は、ファニーな面白さではなく、インタレスティングな面白さである。

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思うのだけど、「大切な出来事」はけっこう、思い出せる。逆に言えば、思い出せない出来事なんて、あまり大した事ではない。

しかし、自分がその日に考えていたこと、すなわち「思考や感情」は、基本的に思い出せるものではない。なぜなら「思考や感情」は、文章にすることで、初めて意味が与えられるものだからだ。

そう考えると、日記には、「出来事」を書いておくより、「思考や感情」を書いておいた方が、実は価値が高いように思える。

ついつい思い出としての「出来事」を書いておきたくなるけれど、それよりも「思考や感情」の方が重要なのだ。

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「思考や感情」なんて、忘れたところで、特に経済的な損失はない。しかし、「思考や感情」は、それがそのまま、自分自身なのである。だから、それを記録することは、自分の歴史を確実に積み重ねるということでもある。

僕はこれまで、「思考や感情」の日記なんて書いたことがなかった。それを書く、という発想すらもなかった。

ちょうど元号も新しくなったところで、新しい習慣がほしいなと思っていた。なので、「思考や感情」の日記を始めてみようかな、とぼんやり考えている。

読んでいただきありがとうございました。また、サポートをくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます。心から嬉しいです。今後の執筆活動のために使わせていただきます。