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「コア学流・目標設定」第21回コア学サロン(2021年5月)

この記事は

毎月開催されるコア学研究所の講義を書き起こししたテキスト(有料記事)となります。

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目標設定に苦手意識があるのは克服したいから


今回のコア学サロンは目標設定についてお話しします。目標設定と聞くと苦手意識の強い方も多いかと思います。目標設定とか目的を明確にするとか、数値化が苦手だなって方いますよね。私も結構苦手です。


目標とか目的を設定することが自分へのプレッシャーになったり、自分を不自由にする感じがしたりして、苦手意識を持つこともありますよね。目標設定は苦手なんだけど、目標とか目的を設定しないといけないって感じる人もいると思います。


でも、苦手意識があるってことは同時に克服意識もあるってことなんですね。ここがポイントです。苦手意識があるものは、表裏一体の陰と陽みたいなもので、克服意識があるから苦手意識が芽生えるっていう仕組みなんです。

なので、目標設定する必要がないって確信していたり、目標とかいらないよねって本当に思ったりしていたら、苦手意識が芽生えることはありません。 その場合、人生において不必要な感じ、無関心って感覚になります。

苦手意識があるのは、同時に克服意識もあるってことなんです。目標を立てようとする意識があるからこそ、変なブレーキがかかって苦手意識が発生するというイメージです。まずそこをしっかりポイントとして押さえてください。 

苦手意識があるのは、同時に克服意識もあるから、そう感じるんだよってことを知っていただくといいと思います。つまり目標設定に苦手意識を感じている皆さんは、同時に目標を設定したい気持ちが自分の中にあるってことに気づくといいんですね。すごく苦手だなって思ってるけども、どこか自分の一部は目標設定をしたがっている感覚があると思ってほしいんです。


自分の中には様々な自分がいるんだけど、まずは自分の拮抗状態から対話を作る必要があります。目標設定したい自分と目標設定したくない自分、目標設定したい自分がいるんだけど目標設定しないと動かない自分、目標設定しないと嫌だっていう自分と目標設定したくない自分との戦いとか、自分に折り合いがつかないと目標に対して強い葛藤やフラストレーションが生じてしまうんですね。


本当は目標設定したい能動的な気持ちがあるのに抑え込んでたり、もっと目標設定したい気持ちを表に出せてなかったりするケースが多いので、今回はその解説をしていきます。コア学ゼミでは、もう少し大きな人生設計とか人生の目標設定の話をしますが、今回のコア学サロンでは、「本当はたくさん目標設定をしたいんだ」っていう気持ちにフォーカスを向けて紐解いていきたいなと思っています。


実は目標設定をしたくてたまらない自分とか、目標を持ちたくてたまらない自分とか、すごく能動的に目標が欲しいって感じることありませんか?ポジティブな目標を持つことで自分がすごく上がる感じとか、目標を立てたくてしょうがなくなる感覚ってありません?

そういう時って、目標設定に対してプレッシャーや苦手意識を感じてないと思いませんか?どうでしょう?逆に目標設定がネガティブな衝動になる場合もありますよね。最近目標を持ってないから立てなきゃって焦りから目標設定する時ってありません?ポジティブな時も、焦ってネガティブな時も両方ありますよね。


今回まず押さえていただきたいポイントは、目標設定には2つの種類があるということです。1つ目は自分との約束、2つ目は自分以外の外側の人との約束となります。自分はどちらに対してポジティブで、どちらに対してネガティブなのかチェックしてみて欲しいんですね。

自分自身との約束に対する感覚の方がポジティブなのかネガティブなのか。人との約束に対してポジティブなのかネガティブなのか。どっちのパターンなのかちょっとチェックしてみてください。目標設定の軸を自分に置く場合と、外に置く場合があります。


自分との約束は、人に何か宣言することなく自分で自分に「今月はこれや
るぞ」とか「ダイエットするぞ」とか決める感じです。どちらに対してポジティブなのかネガティブなのか、はっきりわからなくてもどっちかなってくらいのレベルでいいので、チェックしてみて欲しいんです。


自分に対しての約束/人に対しての約束


自分に対しての約束、人に対しての約束の2種類あるとわかったと思いますが、一旦ここで考えをストップしてください。とりあえずどっちかなって振り分けてみましたね。

でも実は、その振り分け方がおかしいかもしれない、間違ってるかもしれないと考えていただいて、実は自分との約束が人との約束だった、人との約束が実は自分との約束だったって反転する可能性が高いよってことを、今から発見していただきます。


私の例えをお伝えしますので、皆さん自分事として考えてみてください。私は自分との約束が苦手で、人との約束が得意です。人との約束って聞くと、仕事上での約束っていうイメージがあると思うんですけど、これを約束というより目標設定だとした時、自分の視点を外に置いてるのか内側に置いてるのかって考えてみて欲しいんです。

私はダイエットとか筋トレをする時、自分との約束として目標設定すると続かないんですよ。でも、外側に軸を置いて目標設定すると続くんです。外側に軸を置いて目標設定すると、すごくポジティブになって能動性を持つことができるタイプなんですね。


どういうイメージかというと、基本的に外からの視点で自分を見る。つまり、こういう体つきになるとか、こういう風に見られるとか、こういう自分を評価されたい、例えば「秦さん スタイルいいですね」とか「良いお尻してますね」とか「すごく綺麗な体つきしてますね」とか「すごく鍛えられてるんですね、素敵ですね」 っていう外からの評価を基準にして目標設定すると続くんです。

こう思われたいとか、こういう風に見られたいとか、目標設定する視点のイメージが外から自分に向いてる感じなんです。これって自分との約束じゃないんですよね。自分との約束というより、外側を基準にして目標設定してるってことなんです。


これが内側の基準だとどうなるかというと、筋トレすることが気持ちいいとか、筋トレや食事制限することに内的な意義を感じるとか、トレーニングをしている時間がすごく好きという感じになります。この場合、内的な軸での目標設定になるし、自分との約束になります。

私は内的な目標設定をすると、すぐに「ま、いっか」ってなっちゃう人間です。自分に対して自分との約束が甘いんだよね。いったん約束はするけど、すぐ嫌いになってもいいよとか、自分に対してすごく自由度の高い許可を出してるんだよね。

「ゆかちゃん、昨日はこれがすごく好きで、昨日はこういうことしようと思ってたけど、いいよいいよ」ってすごく自分に許可を与えているが故に、自分を中心に視点や軸を置いて目標設定すると全然続かないんだよね。


今まで私は、内的な感覚に全ての軸や旗を置いて物事を果たさなければいけないって思ってました。自分の中だけでやる気を継続させなければいけない、好きっていう気持ちでやらなきゃいけないと思い込んでたんです。目標設定の軸を外に置いてはいけないと思ってました。

人にこう思われたいとか、こういう風に見られたいとか、人からこういう風に評価されたいというために、目標を立てていくことはダメだと思い込んでました。でも、途中で気付いたんです。私って、自分の内側の感覚とか内側に軸を置いて目標設定することが苦手なんだ、ダメなんだなってわかった時、そういう目標設定の仕方をやめたんです。


先ほど反転するかもしれないよって話をしましたが、私は自分との約束はできるけど、人との約束はプレッシャーになるって思い込んでたんだけど、実は反対だったんだよね。外側に基準を置いて、この人にこういう風に思われたいとか、他人から自分はこう見えるってところに自分の目標設定の旗を立てることですごく楽になりました。そうしていいんだって許可を自分に与えた感じなんですね。


逆に、外側に軸を置かなきゃいけないと思っていたタイプの人もいます。人からこういう風に見られるとか、他者からの評価を軸にしなければいけないって思っていたけど、そんな必要ないんだ、目標設定は自己満足でいいんだって気づいたことで楽になる人もいるんですね。

なので、実は反対かもしれないって思ってみてください。自分は外側に対して約束するとプレッシャーになるから、その約束をしないように自分の中だけで目標設定しようって頑張っていたけれど、実は反対かもしれないって気づくと目標設定が1つ楽になるんですね。

外側の視点を使うことに罪悪感があったり、スピリチュアルなことをやりすぎたり、勉強しすぎたりすると、承認欲求を通して自分を立たせることはダメだと思い込んで、何でも中からの感覚を抱く方もいると思います。


なので、自分はどっちが気持ちいいのか改めてチェックしてみて欲しいんですね。どうですか?外側に軸を置く、つまり承認欲求とか他者にこう思われることを通すと、自分がやりたいことを達成しやすくなるなら、そうしましょう。

承認欲求がダメなわけじゃなくって、承認欲求をガソリンにして動いていいってことなんです。承認欲求が強すぎたり、承認欲求のみだときつかったりするけど、承認欲求を目標設定のガソリンにして、内的な感覚を自由にできるのであれば、良い悪いではなく、そういうやり方があるよってことなんです。


目標設定の軸を内側に置くのも外側に置くのも自由


私は他者軸を通して自分軸を守っているという感覚があります。いつも自分の内的な自由の感覚、内的な豊かさの感覚のために、外側に基準を設けて自分を楽にしてるって感じなんです。逆のパターンもあります。自分自身の中に軸を置いて、私がこうであればそれでいい って割り切ることで、外側に対して自由でいられるって人もいるんですね。


人それぞれ違いますが、どちらかのパターンがほとんどなので、自分はどっちかなってことをチェックしてみてください。私は外側に基準を置く許可を自分に出してから、目標設定が全く苦手ではなくなりました。人に見られること、人から感じてもらえることを自分の目標にする。それに対して好きとか嫌いとか内的なプレッシャーをかけない。好きだからそれに対して目標設定するってことではない感じです。


自分の約束だと続かないんです。内的な動機だと続かないんだけど、視点をイメージした時に、他者視点で持つって感じです。例えばダイエットを「なんかすごく綺麗になったね」とか「素敵になったね」って言われるイメージで目標設定するやり方に切り替えてみてください。

動機の軸を内的なところじゃなくて、外に置いていいんだよってことなの。ただ、忘れてはいけないのは、それが目的やゴールではなく、動機だということです。動機でしかなくてゴールではありません。


なので、他人が喜ぶことを動機にはするけどゴールにはしない。喜んでもらえようがもらえなかろうが、ダイエットして綺麗になったねって言ってもらえようがもらえなかろうが、どっちでもいい。けれども、他人に綺麗になったねって言ってもらえることを動機にして目標設定したり、許可を出したり、続けるための燃料にします。


逆もあるよね。人からどう思われるか一切関係なく、自分が気持ちいいから続けるとか、私がすごく嬉しいから続けるっていう内的な所に動機の軸を置く。内的な感覚、自分の内側の感覚に動機を置くけど、ゴールの設定は特にしないっていうね。気持ち良さを極めるみたいな感じです。


ヨガとか瞑想とかスポーツでいうと、気持ち良さを極めるイメージ分かりますかね。内的な動機を極めるというのは外に目標設定をしないので、上手くなるとか、褒められるとか、もっといい成績を残すとかじゃなくて、この前の感覚よりももっといい感覚でやるとか、この前うまくいかなかったけど、もうちょっといい感覚で出来るようにするとかって感じです。


以前スノボをやってた時、私は内的な動機を目標設定にしてたんですね。他人から見た時に「秦さんすごくいいプレーしてるね」とか「すごくカッコよく滑れてるね」って思われることなんかどうでもよかったわけ。

ただただ気持ちよく滑りたい、その一心だったの。外側に軸がないから外側はどうでもいい。さっきの滑りよりももっと気持ちよく滑りたい、さっきよりももっと気持ちよく、もっと自由に滑りたい。これって内的なところに軸があるよね。


でも人によっては、スノボでジャンプしたり、すごくかっこいいプレーをするってことに目標設定を置くことでスノボが上手くなるって人もいますよね。仕事はこっち、趣味はこっちって分けてもいいと思うんですよね。


山を歩くのは内的な軸で、ダイエットは外的な軸っていう風に、内側に目標設定の軸を置くのか、外側に置くのか、それぞれ自分の感覚で決めていいし、もっと自由に許していいし、人の目を気にして目標設定していいんだよってことです。意外とハイブリッドでいけるよね。どっちでも自由ってことにしてあげたら、目標設定がもっと楽しくなってきます。


皆さん、目標設定したいなって気持ちになってきませんか?自由になるとすごく目標設定してみたくなりません? このあとノートを取り出して、何しようかなーとかね、この感覚がもともと皆さんの中にあったんです。コアっていうのは常に自分を表現したがっているんですよね。

目標設定することは自分のことを表現して生きるってことなので、1つのきっかけだったり燃料だったりするのね。だから私達がコアな自分とつながってる状態は、基本的に目標設定をしたくてたまらないし、目標がいっぱいある状態がデフォルトなんですよ。


目標立てたいモードってありませんか?って最初に聞いたのはそういうことなんです。目標設定をしたいモードがコアのデフォルトの状態ってことなんだよね。コアと繋がりが絶たれてる状態で、すごく疲れてたりストレスフルだったりすると、目標設定がものすごいプレッシャーに感じちゃうんだよね。

それを、自分が今どういう状態かなって気づく1つのサインだと考えてもらうと、疲れてるんだなとか、今ちょっとコアと繋がれてないんだなって感覚になります。


ゴールではなく設定によって豊かになる


今回はコア学の真髄というかベースであるコアな部分に繋がってもらうことを目標に、目標設定というキーワードから入ってます。目標設定が楽しみになればなるほど、皆さんは自分の潜在意識のコア、自分の本質と繋がってるってことなんですね。すごく豊かで自由で、すごく活気にあふれて生命力で満たされてる感じがしません?


目標がたくさんあるってことは、目標がたくさん達成できてるかどうかじゃないって感覚ありますか?私達はゴールによって豊かになるんじゃなくて、設定によって豊かになるってことなんです。

ゴールがあるかないかじゃないんです。設定があるかどうかなんです。それがコアの感覚です。どうですか?気持ちいいというか、とっても楽しい感覚で生きる喜びでワクワクしませんか?設定そのものが活力という感覚もあります。生き生きしてきましたか?ゴール達成ではなく設定ってことをしっかり覚えておくといいですね。


達成ではなく設定です。目標達成はもちろん気持ちいいですけど、目標達成の前に設定がすごく大事です。目標設定は2つあって、自分との約束って感覚なのか、人との約束って感覚で外側に軸を置くのか、どっちでも自由だし、どっちでもいいんですね。

ただ、その時に外側に置くとうまく上がる人もいるし、内側に置くことで上がる人もいます。自分の中で、この趣味に関してはこれだけど、これに関してはこれっていう風に感じてください。そして、罪悪感は手放しちゃいましょう。どちらに関しても罪悪感はいらないので、手放しちゃって自由にやりましょう、ということです。


それとゴールは全く違います。ゴールは燃料でしかないんです。じゃあゴールは何かっていうと、ゴールは常にコアなんですね。コアが私達のゴールなんです。

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