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チームの素晴らしさ!!

こんにちは!吉永です。

前回に引き続きアシスタントコーチの仕事について書く予定でしたが
それ以上に”今!”書きたいことができたので
アシスタントコーチの仕事については次回に持ち越します。


”今!”書きたいこととは。。。

僕がバスケットボールのコーチとして1番伝えたいことです。
それは
バスケットボールはチームスポーツだ!
ということ。

ひとりでは成し遂げれないことでも
チームで力を合わせれば成し遂げられることもある。
僕にできないことは
チームメートに助けてもらえばいい。
困っているチームメートがいれば
それが僕にできることならば手を差し伸べればいい。
僕にできないことならば
できる人にお願いすればいい。

そうやって
ひとりでは成し遂げることができなくても
チームで助け合って成し遂げる。

それがバスケットボールの醍醐味であり
チームスポーツの醍醐味だと
僕は思います。
そして勝ち負けなんかより
そのようなチームファーストのチームを作ることこそが
コーチという仕事の醍醐味だと
僕は信じています。

僕が今一番伝えたいこと
それは
チームの素晴らしさです。

僕がこれを学んだのは。。。

それは高校時代です。
僕は子供の頃は身長が高い方で
中学生の時には180cm以上になっていました。
そんな体格に恵まれたおかげで
特別バスケットが上手かったわけではありませんが
たくさん試合に出させてもらえてました。
そして中学2年生の時
先輩たちのおかげで全国大会に出ました。

そんな経験をしたもんだから
中学生の吉永くんは少し天狗になっていたんでしょうね
3年生になった頃には
自分ひとりでバスケットはできると勘違いしていました。

そんな勘違いした吉永くんが高校に進学しました。
普通の公立高校です。
ですが先輩たちも同期もとても上手くて
ベンチには入れるものの
なかなか試合に出ることはできませんでした。

そして自分たちが最終学年になると
身長が高い方だったので試合に出させてもらえることになりました。
でも。。。
僕はそこでもずっとチームの足を引っ張る存在でした。
その頃になると天狗になってた吉永くんはいなくなっていましたが
活躍する=点を取ること!
そう勘違い吉永くんになっていました。

僕らの代は運良く選手が揃っていて
まわりのチームメートたちが20点、30点と平気でとってきます。
そんなチームメートのおかげで
大濠高校には1度も勝てませんでしたが
常に県内で2番手にいることができ
県内では注目される高校でした。
でも
そんな中で唯一僕だけは
そこのレベルに達していませんでした。

チームメートはいつも大活躍で
それに焦りを感じて
僕も無我夢中で頑張りましたが
空回り。。。
結局ミスばっかりしてチームメートに迷惑をかける始末。

どんだけ練習しても
周りの子には勝てない。
どうしたらいいかもわからない。
僕のせいで負けた試合もたくさんあって
バスケットが嫌いになりかけていました。

そんなとき
先生に呼び出されました。
当時の僕にとって先生はとても怖い人で
きっとまた怒られる。。。
そう思って先生の部屋に行きました。

そこで言われた言葉
今でも忘れません。

バスケットはチームで戦うとぜ!
なんムキになってシュート打ちようと?
点を取るのが得意な選手は他におろうもん?
大鶴(同級生)、古賀(同級生)、シノ(同級生)なんて九州で一番の点取り屋っちゃけんそいつらに任せとけばよかろうもん!
福岡県で1番のPGがここにおるっちゃけん
パスはシノ(同級生のPG)に任せればよかろうもん!
バカみたいに足が速いバシ(同級生)や本多(同級生)がおるっちゃけん
そんなんあいつらに任せればよかろうもん。
そんな友達がいるのに
できもせんのに全部やろうとして
ミスばっかして
お前何様や!
周りを信用することもできんとや

でも
お前がすごいと思っとう同級生にもできんことがあるとぜ
お前にしかできんこと
わからんと?
それはリバンドたい!
他のやつが一生懸命チームのために点取ってくれるっちゃけん
お前はそいつらが外したボールを拾っちゃれ!
一生懸命頑張っとうチームメートのために
お前は一生懸命リバンドを頑張れ!
そしたらみんな安心してシュート打てるけん!
バカみたいにムキになってからくさ
だけんお前はつぁーらん!(つまらん!)ったい。

この言葉が僕を救ってくれました。
ホントに心の底から救われました。

バスケットには役割があって
こんな僕にもチームのために担える役割があるんだと。

みんなの足を引っ張ってた僕は
いつしかみんなから感謝される立場になっていました。
リバウンドをとるたびに
ありがとー!!
ナイスっ!!
その言葉が僕にどれだけの自信をつけさせてくれたか。
その言葉が僕にどれだけの力を与えてくれたか。
その言葉を聞くたびに
もっと!もっと!!みんなのためにリバウンドを取らなくちゃ!!
その言葉のおかげで
僕はチームファーストの人間になれた。

Give&Take

僕がこの考えが大好きなのは
きっと高校時代の先生の言葉のおかげだと思います。

僕はトランジションの練習でこんな言葉をよく使います。

PGが簡単にボールを運べるように
周りの選手は一生懸命走って
PGのためにスペースを作りなさい!

PGはみんながお前のために一生懸命走ってくれてるんだから
責任を持ってボールを運びなさい!
そしてチームメートがオープンになってるのを絶対に見逃さずにパスを出しなさい!

トランジションの練習以外でも
このようなアプローチをたくさんします。
プレーひとつひとつ全てに
誰かのために!
チームメートのために!
その考えがついてきます。
それが僕のコーチングです。

これらの考えの根本にあるのは
上記した先生の言葉です。

チームメートは僕(自分)のために一生懸命頑張ってくれてる
それはもしかしたら当たり前の行動すぎて(例えば一生懸命走る、良いパスをくれる、シュートを決めるなど)
気付けないことかもしれない。
でも
そのひとつひとつの行動は
間違いなく僕(自分)のために一生懸命やってくれていること。
だから僕(自分)は
チームメートのために一生懸命に頑張らなくちゃ!

そのGive&Takeの考えを
僕の中で根付かせてくれたのは
間違いなく高校の先生です。

これはバスケットだけに関わることではないと思います。
チーム運営全てに関わることだし
どんなお仕事にも関わることだし
家族、友達、恋人などプライベートにも関わることです。

偉そうに言ってる僕も
全然できていません。
ついつい誰かのせいにしてしまうときもあります。
ついつい誰かにイラついてしまうときだってあります。

完璧なんて誰にでもできることではない。
むしろ完璧な人間なんていない。

だからこそ
少しでも完璧に近づけるように
日々一生懸命生きるしかないんじゃないかな?
なーんて最後にかっこいいこと言ってみました😁

最後に。。。

今回なぜ急にこんなことを書きたくなったかというと。。。

僕にGive&Takeの心やチームファーストの心を教えてくれた先生
中倉健二郎氏
が先日亡くなりました。

中倉先生は本当に偉大な方だと僕は思います。
名だたる強豪校が揃う福岡県で
公立高校の福岡商業高校を
福岡県ベスト4に常に位置する高校に育て上げました。
偉大な先輩方は
インターハイに出れなくても
九州大会で優勝することも2度3度あります。
(当時の福岡県予選は、インターハイ予選と九州大会予選が同時期に別々で行われており、それぞれの大会で上位2校がそれぞれの大会の福岡県代表として出場していました。
インターハイ予選はベスト4=予選敗退
九州大会予選は優勝=九州大会出場)
インターハイに初めて出場した先輩たちは
インターハイで準優勝しました。
2回目に出た僕たちは3回戦で敗戦しましたけど。。。

大濠高校を倒してインターハイに行くけん面白いっちゃろうもん!!

それが先生の口癖でした。

偉大な先輩には日本代表選手もいます。
大学で4年間1度も負けずに勝ち続けた先輩もいます。
当時のトップリーグは毎年全国で数人しか入れないような敷居の高いリーグでしたが
そのトップリーグの東芝、三菱でプレーした先輩もいます。
福岡県のプロバスケットチームをずっと支えてきた後輩もいます。

先生が福岡商業高校から西陵高校に移動になってからも
そこからもプロの選手を輩出しています。
長崎の高比良選手がその一人です。

バスケなんかで飯食えん!
とか言いながらも
先生!バスケ界にたくさん素晴らしい選手を輩出してますよ😆

バスケだけじゃない。
先生の元を巣立ったみんなは
それぞれの家族のため、友達のため、恋人のため
一生懸命に社会人として頑張っていますよ!

みんな口を揃えていうのが
あの合宿以上にキツいものはない!!

そりゃそうですよね。
朝練、昼練、夜練、闇練
詳しいことは書けないけど😁
こんな地獄の1週間はもう2度とやりたくないです!
1億円あげるからもう一回やれ!
って言われてもできません!!

その経験があるから
どれだけしんどくても
諦めずに頑張ってこれたんだと思います。

僕が社会人になって少しした頃
先生に
高校の教師になってバスケットを子供達に教えたい!
そのために仕事を辞めて教員免許をとりにもう一回大学行きたい!
そんな相談をしたとき
バカか!お前は今立派に社会人として仕事しようっちゃけん
大人になってまで夢物語を語るな!
そう説教されました。
正直言うとその時は
クソおやじ!!俺はもぉお前の選手じゃねぇよ!!
いちいち説教すんな!!
なーんて悪いこと考えちゃったりもしてました😅
若気の至りとして許してね🫣

けどそれから数年経って
僕が会社を辞めて教員免許を取るために大学に進学することを決めたとき
お前は本当バカやな!でも応援しちゃーけん困ったらいつでも来い。
そう言ってくれましたよね。
まぁ口だけやろ?って思ってたら
僕が進学を考えてた大学に電話をかけてくれて
僕のことをよろしく頼む!
そう大学の理事長に話してくれたんですよね?
先生はなにも言わないけど
僕に見えないところでサポートしてくれてたの
僕はちゃんと知ってますからね!

そしてそれからも付き合いが続いて
僕が33歳のときかな?僕の教育実習も引き受けてくれて
大学を卒業した後にその大学でコーチをやらせてもらえたのも
先生が大学の理事長に話をしてくれたからですよね。
何度も何度も。。。
僕が知らないところで
僕のことを助けてくれたり
かっこいいことしないでください😁

僕がBリーグに入るとき約束しましたよね?
必ずヘッドコーチになって必ず先生が認める良いチームを作る!
そのチームの試合を観に来てくれるって
約束しましたよね?
なのになんで。。。

僕の中に漠然とですが
42歳までにはBリーグでヘッドコーチになる!!
そんな目標があったんです。
なぜ42歳なんだ?って自分でもわからなかったんですが
それでも42歳という明確な数字でした。
今がその42歳の時です。
その目標は叶わなかったんですが
漠然とした目標だったので
あまり気にもしてませんでしたが。。。
今やっとわかりました。
僕がヘッドコーチになるまで
先生が待ってくれる時間だったんですね。
間に合わすことができなくてごめんなさい。。。

ライジングでアシスタントコーチをすることになったときも
お前福岡に帰ってくるのに何の連絡もないね!
だけんつぁーらんったい!
って大人になっても怒ってくれてましたね

ライジングにいるとき試合にも観にきてくれましたよね。
しかも僕らのベンチの真横の席に😲
何というか。。。
照れくさいというか
自分のコーチングを試されてる気がしたというか
とにかく
やりずらかった😅

怖くてでも優しくて面倒見が良くて人誑しな先生!
僕の人生を捻じ曲げた先生😆
僕のコーチとしての考え方に大きな影響を与えたのはたった2人だけ!
先生はそのうちの1人ですからね!
そんな先生が
大好きです!

僕はこれからも
先生が教えてくれたGive&Takeの力を信じて生きていきます!
僕が今の立場であり続ける間
チームメートにもその力を伝えていきます!
noteでも発信して多くの人に伝える努力をしていきます!!

僕が先生と同じぐらいの年齢になったとき
自分の大好きなバスケットを
自分の大好きなコーチングという仕事を
やり切った!
そう胸を張って言えるように
これからも一生懸命に生きていきます!

先生!
ありがとう!

今回はおこぼれ話はありません。
ちょっとそんな気分にはなれなくて。
ごめんなさい🙇
次回は必ずおこぼれ話も書きます!!

今回
こういった先生への想いや
故人への想いを綴るようなことを
世間に配信して良いものなのか?
なんていうか
お涙を誘うような内容で
故人を利用して
僕自身をよく見せるために書いてるように見えて
読んでる人を不快にさせてしまっていないだろうか?
そういった疑問も持ちつつも
先生から教わった大事なことは伝えていきたいし
福岡県のバスケットボールの発展に大きく貢献した
中倉健二郎
その名前をこれを読んでくれるみなさんには知ってもらいたかったので
思い切って書いてみました。

けどここで書いた内容は
きっと
誰かの役に立つと信じています。

最後まで読んでいただきありがとうございました!!

先生!
シニアリーグで一緒にバスケしたかったっす!
めっちゃダメ出ししてやったのに(笑)
先生!
お通夜でたくさんの先輩や後輩、同期と久しぶりに会えたよ!
子供の頃に憧れてた先輩と一緒に
食事にも行けたし
お酒も飲めたし
朝までワイワイ
歌って踊って楽しい時間だったよ!
ぜーんぶ先生のおかげ!
先生!
ありがとー!

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