ガンになったら、家族に「伝える」のが思いやり?「黙っている」のが思いやり?様々なコンパッションの表現
あるコーチングでのこと
あるコーチングクライアントさんのセッションでのこと。
始まった途端、彼女(女性だった)は、「りょうこさんに言わないといけないことがある」と真剣な顔つきで言ってきた。
(今回の記事にすることを了承いただいています)
え〜…なんだろう?最近の彼女のことを思い巡らし、いくつか可能性があることを考えてみたけど、どれも確信がない。「どうしたの?」と聞いてみると、一瞬の間があって、「私、乳ガンでした」と、驚きの言葉が返ってきた。
なんと…と息を呑んだ。
そのクライアントさんはまだ30代。明るく、健康的で、およそ病気とは無縁に見える。これから詳しい検査をするので、ステージなどはまだわからないが、私が乳ガン患者だったので、コーチ・クライアントの関係になっていることに浅くない縁を感じてくれて、教えてくれたとのこと。
彼女は、私が乳ガンを告知された時より、よほど気をしっかり持っているように見えた。表情も暗くなく、あまり悲観しすぎないように気をつけている。彼女もまたコーチだから、先のことを考えすぎる、妄想の弊害もよく知っているからに違いない。
私はまだ胸に残る驚きを感じながら、彼女の美しい艶のある髪や、みずみずしい頬を見て、信じられない思いだった。
その彼女にご両親やご兄弟に病気のことを伝えたのか聞いてみた。
「うーん…治療が終わるまで黙ってようかと思ったんですよね。母に余計な心配をかけるのが嫌で。母も過去に罹患してるので遺伝子検査の結果次第では責任感じちゃうかもしれないし…」
それを聞いて私は、心からすごいなぁと感心した。
私は39歳で乳ガンだと言われた時、「自分がガン患者である」という事実を受け止めきれなくて、すぐに夫や親に伝えた。
あふれ出る「怖い!私の気持ちを聞いて!」という気持ちのままに電話をかけ、聞いた夫や親はどう思うだろう?と考える余裕もなんてなかった。緊急避難場所となる人に、すぐに慰めて欲しかった。
自分が病気という大変な時に、自分のことを大切に思ってくれている人の気持ちを考えられるのは、本当にすごいことだ。彼女のことを、とても思いやりがある、コンパッションのある人だ、と感じて、自然に尊敬の気持ちが湧いてきた。
私なら、母に乳ガンの罹患経験があれば、「気持ちをよりわかってもらえるかも」と期待して、相手の気持ちを考えず話すだろう。
「だけど…」と彼女が続ける。
「友人に相談したら、『それだとお母さんがかわいそう』と言われて。そういう考え方もあるのか、一理あるな、と思って…母にも乳ガンになったことを伝えようと思います。」
今度は友人の言葉に驚くことになった。
私のコーチングクライアントさんは、娘が乳ガンになったと聞いてショックを受けるだろうとお母さんの気持ちになって考えた。本当に素晴らしい姿勢だ。
一方、友人は、同じくお母さんの立場になったが、「娘が病気になったことを聞かしてもらえなかった母の悲しみ」を想像した。
確かにそう言われてみると、私も息子が大きな病気になった時は、とても悲しいけれど、教えてもらいたい。医者じゃないから、何をしてあげられるわけでもないけど、話を聞き、苦しみを分かち合いたい。その気持ちも確かにある。
どっちが良いとも言えない難しさがある。
思いやり(コンパッション)に正解はない
コンパッションを広めたいと思って、色々な場でお伝えしていると、個別のケースについて「これはコンパッションでしょうか?」と質問されることがある。
例えば「やらなきゃいけない仕事があるけど、体が疲れているからマッサージに行ってその日は休む。体は楽になるけど、明日の自分は仕事が終わってなくて、楽にならない。休むのと仕事をするのと、どちらがコンパッションでしょうか?」みたいに。
質問してくれる方は「これがコンパッションだ」と明確に理解したい、という気持ちで質問されるのだと思う。
だが、乳ガンになった彼女の話を聞いて、「これがコンパッション。こっちはコンパッションじゃない」と正解・不正解があるわけではないんだ、と腹の底で納得できた。
自分が大事にしていること、必要としていること、相手の気持ちなど、たくさんの事を考慮に入れて、自分にとってどんなコンパッションが必要なのか決めていく。でも、それも変わりゆく状況や気持ちと相関して、また変わっていく。
彼女のその後
しばらく経って、この記事を書くために彼女に連絡をとってみた。
その後、どうなったか聞いてみると、治療開始前に、他県にある実家に帰って、直接病気のことを伝えたそうだ。
ご家族は、彼女が予想したより、ずっと落ち着いて話を聞き、励ましてくれた。彼女の親御さんは、内心はたくさんの葛藤や動揺があったかもしれないが、娘を励ます、強さを持っていた方だったのだ。
病気になったカミングアウトをキッカケに、ご家族とお互いに思いやりを送りあい、勇気をもらえた彼女。一歩踏み出したアクションから、新しく豊かな関係が花開き、心に病気と立ち向かう勇気が育ったのを知って、私は本当にうれしかった。
今、彼女は病気と戦うため、抗がん剤治療に取り組んでいる。時々、様子を伺っているが、治療中でも、その明るさや内側から出る強さ、輝きは失われていない。乳ガンの検診の必要性を周囲に伝え、啓蒙活動までしている。
私は、祈ることしかできない。彼女の頑張りに、「神様よ、応えて欲しい」と。「2度も彼女を苦しめないように」と。また「少しでも副作用が少ないように」と。きっと周囲の人たちも、祈ったり、応援したりしているだろう。
コンパッションをやり取りするとき、コンパッションを送られて受け取った方はもちろん、コンパッションを送った人も幸せを感じるという。
他者の幸せをイメージしたり、他者とつながりを感じると、人は幸せを感じるということなのだと思う。彼女を起点に、コンパッションの循環が起きていることが、とても尊く思え、感謝の気持ちを伝えたくなった。