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春の涙と1年前にかけておいた幸せの呪い

今週はアーカイブを編集し直してお届けします。

今日の元記事はこちら。春だなあ、いい春になってね!と思った出来事でした。

気温や空気も合わせて蘇りました。


私のFacebookでちょっといつもと違う反応があったお話です。

食事をしようと19時頃にカレーうどんのお店に入ったら、入り口近くの席に小学校高学年くらいの女児と40歳くらいの男性が向かい合って座っていました。

女児はランドセルを持っていて、男性はビジネスカジュアルで会社帰りっぽい。

私がカウンターでビールを飲んでいると、女児がしくしくと、けれども結構はげしく泣き出されたのです。
どうしたの?!とは思ったのですが、ふり返ることもなくごはんを食べていましたら、

ぽつりぽつりと男性が女児に話しかけ始めました。

ちらほらと耳に入る話から推察するに、おそらく、その男性はつい最近女児のお父さんになったみたいです。
男性の言葉が何気ないけど、どっしりと等身大ですてきでね。
こりゃ惚れるわ、とも思いましたし、彼自身にも女児と同じくらいの戸惑いと、そして覚悟があるようにも思えました。

この覚悟こそが大人の力なのかもしれません。

自分で運命をコントロールするぞ、できるぞという自信も、覚悟につながっているのでしょう。


明らかなのは、これに関わる人みんなが幸せになるということ。ええ、根拠のない確信です。
カウンターでビール飲んでカレーうどん食べているおばちゃん(私)まで涙ぐんでしまいました。


ということがあったのです。

女児の涙の素、いっぱいいっぱいあると思うのです。
その「いっぱいいっぱい」がいっぱいすぎて
変化の大きさが不安であったり、これが幸せなのかよくわからないとか、あるいは安心もあるのかもしれません。


涙は、感情の幅が自分で制御できない時に流すもの(かな?と思っている)。うれしくても悲しくても。


この話は、登場人物みんなが幸せにしかならないと思います。そうに決まってる。カウンターのおばちゃん(私)も、一足先にお店を出たおじさんも、
レジのおねえさんも、カレーうどん作った厨房の人も、Facebookにコメントやアクションをくれた私の友人たちも。

そのお店にはいなかった女児のお母さんももちろん。


女児さんがぜひ、「いいこと」に注目して幸せになってくれたらと願います。
先にお店を出たふたりに、
あなたは幸せになるよ、という「つよつよコーチの呪い」をかけておきましたので、きっと今も幸せです。



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