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キャリアキャリアいってたわたしが本当にやりたかったこと


少し前までわたしは、

キャリアコーチと名乗り
キャリアキャリアといってきたのですが、
最近それを手放しまして。



そのことになんとなく勝手に心苦しさを感じてたんですけど(なにしろキャリアキャリアいってきた自覚があるので笑)


今日はその理由というか、
気づきについて書きたいと思います。


そもそもわたしがキャリアを応援したい根底にあったのは、

いくつになっても、
ママになっても、
幸せに生きられたらいいよね

ということ。

そのためにやりたい仕事ができたらいいと思っていて、だからキャリアをサポートしたい、って思ってた。


でも今は「キャリア」の枠に限ることなく、

自分には何が本当に大切なのか、
自分にとって何が本当に幸せなのか、

を知って、

大切なものを大切にしながら
幸せに生きられればいいと思っていて、

そのためには自分を知ること(自己認識)が大切で、
そのサポートができたらいいなと思っているのです。


で、そもそも、

なぜわたしは「キャリア」だったのか、ということについて考えていたのだけど。


以前、会社員としてキャリアサポートの仕事をしてきたから、というのはもちろん大きい。

でもそれだけじゃなかった、
ということに最近気づきまして。


まず、

わたし前は、キャリアを「自己肯定感が満たされて、自分を認めてあげられるもの」とか、キャリア=幸せになるための手段だと思っていたんですよね。

もちろん、キャリアはひとの人生の大きな要素ではあると今も思っているし、それが間違っていたとかではないのだけど。


要はキャリアというものが、わたし自身にとって、重要なファクターだった、ということだなと。


それで、なぜそうだったのか、と考えたときに、

思い出したのは、わたしの母のこと。

母は祖母(母にとっては義母)の介護を長い期間していて、介護も育児もワンオペで、それはとても大変だったと思うのだけど、

母はそんな人生に不満でいっぱいで、
全然幸せそうでなくて、

子どもだったころのわたしはそれがとても苦しくて。


そして母が幸せでなかった理由の(いろいろある中の)ひとつが

「仕事をしたかったのにできなかったこと」

だと思ってた。(実際そう言っていたし)


それで、気づいたのですよ、

わたしがキャリアを幸せの手段みたいに考えていたのって、あの頃の母をみていたからなのかも。と。

働きたくても働けなかった母と、

キャリアを応援する仕事。


あれ?

わたし もしかして、
昔の母を助けたくて「キャリア」だったのか?

母の不満を聞いてばかりの毎日が苦しくて孤独で、
母とは違う人生を生きたくて、
母みたいにならないって思って生きてきたのに、

結局母のために、「キャリア」だったのか??

ということにも。

そう考えていたときに、
もうひとつ思い出したのが、
会社員として働いていた人材派遣会社での仕事。

働きたい、仕事をしたい、と登録にきてくれる方のキャリアを応援する仕事にそのころもやりがいを感じていたのだけど、

人材派遣の何が一番いいと思ってたかというと、”働きたい人が働きたいスタイル(時間とか期間とか)で仕事ができる”という仕組み。


家の事情とかいろんな事情で正社員やフルタイムで仕事がしにくい人が、働きたいスタイルで働けるってすごいいいじゃんって思ってた。


それもまた、どこかで、

こんな働きかたであれば、
もしかしたら母も仕事をすることができたのではないかって思ってたのかもしれない。

あの頃の母みたいな人が、仕事をすることができたらいいと思ってたのかもしれない。


そのために何かできたらいいいって思ってたのかもしれないなぁって今になって思う。

当時はそんな風におもっていたわけではないし、
意識もしていなかったのだけどね。。



といっても、

わたしがキャリアを応援したかったのは「ほんとう」だった。

でも「ほんとう」の背景にあった
母を助けたかった、っていう気持ちには気づけていなかった。

だから、その「ほんとう」のために、いろんな理由をさがして語ってきたのかもしれない。

もちろん、そのときの自分にとっては、
それも嘘ではなくて本当だったんだけど。。



最近、こんな風に、
自分がいかに親の、母の影響をうけてきたか、
ということに気づくことがとても多い。

こどもが親から受ける影響にもいろいろなパターンがあると思う。

親の影響をストレートに受けてきた場合もあれば、
自分が受けた影響を知らずに生きてきたケースもあると思っていて、
わたしは後者。

知らず知らずに、親を意識し、
よくも悪くも親の生き方の影響を受けて人生をつくってきたんだなぁと思ってる。




この前教えてもらったんだけど、

自己認識を深めていくと

お母さんを助けたかったか

お父さんに認められたかったのか

というところに行き着く人が多いんだって。


そっか、わたしも母を助けたかったのかなぁ。

無意識にもそのために、
これまでいろいろなことをしてきたのかもしれない、ってことに驚く。

そう思って生きてきたわけではなかったのにね。

一方で、

母は母なりに、たぶん姉たちや私のために生きていたんだと思ってる。

自分の人生を生きることなく、
不満と不平をいっぱいに抱えながらも、
たぶん、わたしたち娘のために、と思って生きていた。



それなのに、

知らず知らずにも孤独や生きづらさの種を、娘であるわたしに引き継いでしまっていたってことは、

たぶん、母にとっても不本意で、とても残念な話だろうなとも思ってる。

(それを母は今も気づいてはいないだろうし、
それはそれでもういいのだけれど)


わたしは、

こんな連鎖をとめたいって思ってるんだな

と気づく。


みたくないのは

昔の母みたいな大人

そこで育つ、
お母さんの孤独や生きづらさを引き継いだ
昔の私みたいな子ども



大切な人に知らず知らずにも
生きづらさや孤独を引き継いでしまう連鎖を断ちたい
と思ってる。


むすめにはむすめの人生を生きてほしいから、
わたしはわたしの人生を幸せに生きるって決めた。



そして わたしと同じように、
自分の人生を生きたいと思う人を
サポートしていけたら嬉しいと思ってる


大切な人に、知らず知らずに
自分の人生を負わせてしまうことがないように。

生きづらさや孤独の連鎖をとめること


それが考えて考えてたどりついた、

ほんとうにやりたかったこと なんだと思ってる。
***

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