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覚悟を決める、その前に


昔のノートの整理をしていたら

パラパラめくったその中に、

「覚悟をきめる」
と走り書いた自分のメモをみつけた。


自分に言い聞かせるために残した
メモだった気がする。



それをかいたあの頃は、


変わりたいのに変われなくて、
やりたいと思ってることを
ちっともできなくて、
そんな自分が全然好きじゃなかったころで、



いろいろ思い悩んだ末に、
自分に足りないのは覚悟なんだ、
みたいに思ってた記憶がある。



「だから覚悟を決めないと!」


そう思ったものの
やっぱり思うように動けなくて進めなくて、

結局ますます自分を責めたし
自分を追い詰めるばかりだったなぁと
振り返ってる。



あのころは、

もうどうしていいかわからなくて、
わからないから「覚悟」ということばに
逃げ込んで、
この状況を乗り越えるには
「覚悟が必要」みたいに思うに至った、 
というところだったと思うけど、


なんというか、、

ねえねえ、

覚悟って魔法なの?

といってあげたい。笑


そうじゃなければ、
ただの根性論だ。


あ、といっても
覚悟=根性論といいたいわけでは
もちろんない。



あのころわたしは、
どうしたらいいのかわからない自分に
覚悟を決めろって追い詰めていた、
と思うからで、

頑張ってるけど
どうしたらいいかわからない人に、
気合いが足りない!
もっと頑張れ!って追い詰めるのと
同じ感じだったと思うのだ。

じゃあ、どうすればよかったのか、
と考える。


やっぱり自分と向き合うことかなぁ。


あのころの自分もいろいろ考えてきては
いたと思うけど、
それでもまたまだ自分に向き合うことが
必要だったと思う。



それをいったところで、
当時のわたしは

いやいやそんなの知ってる、
もう十分やってきた、って
言うかもしれない。

だってそうしてきたつもりだったから。


でも今のわたしは知ってるのだ。

あの頃のわたしには、
まだまだ観えていない自分がいて
聴こえていない自分の声があるってことを。

だから焦らず、
一度たちどまって自分を観ることを
すすめたい。

そうだ。

あえて覚悟ということばをつかうなら、
あの頃のわたしに必要だったのは
“とにかく進む覚悟”ではなかったんだな。

“自分に本気で向き合い、受けとめる”
その覚悟をきめることだったのだ。


進めない原因になっている
自分のなかのブレーキを知り、
その扱いがわかるまで、

いろんな角度から、粘り強く、丁寧に
自分と向き合い、対話する。



そうして進める道が照らせてこそ、
「覚悟を決めて進む」が
機能したのだと思うから。



それをしないままに、
わたしがあのころのしていたことは、
ブレーキがかかったままアクセルをかけて
進もうとすることだった。


といっても、

あのころのわたしもそこそこ自分に向き合ってきて、いくつかの重り(ブレーキ)を外したつもりでいたから、

ブレーキをはずしたつもりが
まだまだサイドブレーキがかかっていた、
みたいな感じに近かったかなぁ。


そんな状態でも
(ブレーキがかかったままでも)
前に進めることもあるかもしれないよ?
それこそ気合いと根性で。

かかったままのブレーキも、
無理にすすんでいくうちに
擦り減って消耗してくるみたいな道理だ。


(そう考えると、
そうやって進む「覚悟」もあるんだろう)


でも、ブレーキの扱い方を知るほうが
長い目でいえば安定して進める。

ブレーキの存在を知り、
ブレーキの扱い方を知り
かかったブレーキを外しつつ 

進んでいければいいと今は思ってる。



またブレーキがかかりそうになったら
またゆるめればいいのだから。


とはいえ、

目の前の課題をのりこえるときに
「覚悟を決める」ことが必要となる
ここぞ!という場面はもちろんあると思う。


ただ、それにフォーカスする前に

・そもそも本当の意味で覚悟を決められる状態が
整っているのか
・(覚悟の上で進む)その道筋が照らせているのか

は考えたいところだと思っているし、

クライアントにもそう関わりたいと思ってる。


それが整っていれば、

そもそも「覚悟を決める!!」
と思わなくても

進める場合も多いしね^^



***


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