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あなたの世界を彩るフィルタは何色?7つの習慣の全体像とパラダイム。

書籍『7つの習慣』では,その名のとおり第一の習慣から第七の習慣までの7つの習慣をひとつずつ解説し,実践を促しています。
そしてさらに,読んだことを他の誰かに教えるつもりで読みなさいと言っています。

読みなさいとは言ってないな。
そういうつもりで読むといいよ,と言っています。

また,ひとの成長する順をふまえ,第一の習慣から第三の習慣を「私的成功」(自立のための習慣),第四から第六の習慣を「公的成功」の習慣(相互依存のための習慣)と呼んでいます。そして第七の習慣は公的成功をおさめた後も,絶えず刃を研ぐことでさらなる成功を目指す最新再生の習慣です。

この記事では,7つの習慣の概要というか,全体像をまずはお話ししたいと思います。

成長の連続体

ひとは生まれた直後は「依存」しなくては生きていけません。
お世話をしてもらわなくては,ご飯も食べられませんし,排泄もできないのです。

年齢を重ね,経験を経ることで,依存度合いは少しずつ少なくなっていき,やがて自立します。主体性を持ち,自身で問題を見つけ解決できるようになります。自分で決断し,行動して,その責任をとることができるようになるのです。

第一から第三の習慣はこの「自立」をするための習慣となります。

しかし,ひとは一人では生きていけません。
家族や仕事の問題などひとりでは解決できない課題はたくさんあります。社会全体の課題を解決していくには誰かの手を借りなくてはなりません。

自立を果たした者であれば,必要に応じて誰かと協力し,ともに力を合わせて課題に立ち向かわなくてはならないことは自明だと考えることができますから意見を交わし,時に考え方や意見の違いを巧みに利用して,相乗効果を得ることができます。

これが第四の習慣から第六の習慣,すなわち「相互依存」するための習慣です。

依存から自立へ。
自立から相互依存へ。
そしてそれで満足することなく,自身を磨き続けることが,人生を豊かにし,長期的・継続的に望む結果を得ることに繋がるのです。

書籍のなかでコヴィー先生はこう言っています。

「7つの習慣」は,断片的な行動規範を寄せ集めたものではない。成長という自然の法則に従い,連続する段階を踏んで,個人の効果性,人間関係の効果性を高めていく統合的なアプローチである。
 依存から自立へ,そして相互依存へと至る「成長の連続体」を導くプロセスである。

完訳7つの習慣/スティーブン・R・コヴィー/キングベアー出版
成長の連続体

さて,書籍『7つの習慣』はその順番も重要です。
したがって最初のページをめくると当然第一の習慣から始まるのですが,しかし,第一の習慣の解説が始まるまでがまぁ長い長い。

前置きが本当に長いのです。
習慣の話が始まる前に,おそらく多くの読者が心折れて,本をそっと閉じたことでしょう。

パラダイム

ここではその中でも,もっとも重要と言って良い「パラダイム」について考えたいと思います。

パラダイムとは,ひとことで言えば物事の見方や捉え方のことです。
ひとは個々に異なるパラダイムをもっています

ひとは知識や経験によって創り上げられた固有のフィルタ(=パラダイム)を通して世界を観ています。ひとりとして同じフィルタの者はいません。

黒いフィルタを通した者は世界は黒く見えますし,ピンク色のフィルタを持つ者には世界はピンク色に見えます。
同じ出来事,同じ時間,同じ場所,同じ物を観ているのに,それぞれ独自のフィルタを通して観るが故に,それぞれ感じ方が異なるのです。

世界は本当は何色なのでしょうか。
たとえば生まれたての赤ん坊であれば,もしかしたら無色透明のフィルタでもって世界を眺めることができるかもしれません。

たとえば同じ犬を見たとしても「犬は怖い」というパラダイムを持つ者と,「犬はかわいい」というパラダイムを持つ者では,その犬の本質とは関係なく(あるいは生物学的に犬かどうかも関係なく,見る者の犬とはこういうものであるというパラダイムに適合するだけで)それぞれのパラダイムに従った犬に見えるのですね。

不思議です。
しかもそれぞれがそれぞれの犬に対するパラダイムを正しいと信じています。同じ犬なのに真逆の感想を持つのです。

けれども,そのパラダイムは,必ずしも正しいとは限りません。ひとつの事実を観ていても,パラダイムを通して出来たストーリーは全く別物になります。正確かどうかもわかりません。

パラダイムのもうひとつの特徴は,「簡単には変えられない」ことです。一度創られたパラダイムは容易に変更することができません。まして長い年月をかけて創られたパラダイムや年輪を重ねたパラダイムはその年月が長ければ長いほどより強固に,より堅牢になっていくのです。

正しいのかどうかもわからないあやふやなものが,しかしそのひとにとっては堅く,強く,そして当然の論理になるのです。

とは言え,そのようなパラダイムを変えることは一筋縄ではいきませんが,しかし絶対に変えられないということでもありません。パラダイムを変換する大きな出来事や価値観を揺るがす出来事があればパラダイム転換,すなわち「パラダイムシフト」は起きます。

科学の分野では,ご存じのとおりアインシュタインの相対性理論,ダーウィンの進化論,コペルニクスやガリレオの地動説など,それまでの当たり前があるとき,少しのキッカケでとんでもなく変化してしまうような大きなパラダイムシフトがありました。

今でこそ当たり前だと思っていることも,当時の人たちには簡単には受け入れがたいことだったでしょう。たくさんの証拠を積み重ねても,多くの学者はなお同意しなかったのではないでしょうか。

しかしパラダイムシフトは『7つの習慣』を実践しようとする僕たちにとっては,起きて欲しいものです。

こんなことできっこないという思い込み。
自分はひとと話すのが苦手だから。
あのひとには敵うはずがない。
無理のパラダイム。

あいつが悪いんだ。だから俺は悪くない。
この考え方は正しい。だから間違っているのはみんなの方だ。
子どもは黙って親の言うことを聞いていれば良いのだ。

今朝,あの人にあいさつしたんだけれど,無視されちゃった。
私絶対嫌われてるんだ。

友だちみんなが僕を仲間はずれにするんだ。
だから僕なんて生きている価値がない。

ファクトとストーリーを結ぶパラダイムは,同じ事実からいろんなストーリーを生みます。パラダイムはみんな違うし,それでいて正しいかどうかもわからないのだから,生まれたストーリーもまた事実と異なるかもしれません。

パラダイムシフトが起きれば,こんなネガティブなストーリーもきっと違った解釈になるはずです。
あいさつされなかったから嫌われてる,だなんてそのパラダイム変えちゃいましょう。そうかもしれないけれど,そうじゃないかもしれないのです。

パラダイムシフトを起こす

あるいは強制的にパラダイムシフトを起こすこともできるかもしれません。

たとえば自分の凝り固まったパラダイムに気が付くこと
知らぬ間につくっていた思い込みというパラダイム。
そのパラダイムに気が付くことさえできれば,強制的にそのパラダイムを書き換えるなんてことが可能かもしれませんね。

まてよ。
それってホントに正しい?

と自分に問いかけてみます。

そのとき,世界は何色に観えるのでしょうか。
しかし変わったのは世界ではありません。
元より世界は何色でもないのですから。

変わったのは自分です。

私は変わることが出来る。
パラダイムを変えることができれば,きっと変わることができる。

私たちはもっと成長出来る。
じゃぁしましょうよ。

7つの習慣とは。|成長の連続体/パラダイム


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