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オーストラリアで「PERFECT DAYS」を観る

役所広司主演、ヴィム・ベンダース監督作品『PERFECT DAYS』を見たい見たいと思っていた。

トイレ掃除を描いた映画、と聞いただけでピン!とくるものがあった。
「日本代表サポーターはなぜゴミを拾うのか?」など、何度かゴミ拾いや掃除についてnoteでも書いてきた。

役所広司が、この役でカンヌ国際映画祭コンペティション部門で男優賞を受賞したとも聞いていた。

しかし、日常に忙殺されているうちに、上映は終わってしまっていた、、、、

それが、オーストラリア滞在中に、メルボルンで『PERFECT DAYS』が上映中であることを偶然知ったのだ!

息せき切ってホテルのフロントに駆け込んだ。生憎コンシェルジュは不在だったので、フロントの女性に聞くとホテルから最も近い映画館と行き方、上映開始時間を教えてくれた。



メルボルンのビジネス街にある小さな映画館。
平日の午後6時開演とあって、仕事帰りと思しき人々が多かった。
席は7割がた埋まっていった。

ここで、私は妙な感覚に捉われることになる。
オーストラリアなので、日本語はそのままに英語の字幕が付く。
最初は、英語の勉強にもなるし、と字幕を追っていたのだが、気付くと映画に没入して、日本語を聞いていた。でも、まわりは外国人(外国人なのは私の方だが、、)ばかりで、日本の映画館で観るのとはちょっと違った雰囲気だった。

映画は、トイレ掃除を仕事にしている主人公の日常をドキュメンタリーのように淡々と写していく。

文庫本を読みながら寝床に入り、目が覚めたら最初にすることは布団を畳むことだ。観客は、ベッドで寝ている人たちがほとんどだろうから、この作業をどう見たのだろうかと気になった。
小さな流しで顔を洗い、家の前の自動販売機で缶コーヒー(BOSSだった)を一本買い、掃除道具を積み込んだ小さな車に乗り込み現場に向かう。

首都高速でかけるのは、なんとカセットテープである。
70年代のアメリカ音楽を聴きながら現場に向かう。

到着するや、トイレ掃除を始めるのだが、「清掃中」という立札を置いてるにも関わらず、利用客がずかずかと、それも無言で入ってくる。

主人公は、嫌な顔一つせずさっと掃除を中断して穏やかな顔つきで外で待つのである。

オーストラリアに来て、気付いたことの一つに「言葉にする」ことがあった。

お先にどうぞ!と譲る仕草をすれば、必ず「Thank you」と言葉が返ってくる。

コンビニで(お馴染みのセブンイレブンだ)支払いをするだけなのに、店員に「How are you doing」と声をかける人もいる。店員も笑顔で「ええ、ありがとう。25ドルです」みたいに言葉を交わす。

人が掃除をしているところに(清掃員にとっては仕事中だ)に、「清掃中」の立札があるのに無言で入ってきて、清掃員などいないかのように用を足して出ていく。

こちらの人には相当に違和感を感じるシーンなのではないかと感じた。

僕だって、日本のコンビニで支払いをするときは無言だ。「ありがとうございました」と店員から声をかけられるけれど、返事をしたことなど一度もない。
ところが、これをオーストラリアでみると、トイレに無言で駆け込んでくる利用者は、不躾で清掃員をないがしろにしているように見えるから不思議だ。

だからだろうか、モナリザのような微笑みをたたえながら、トイレの壁にもたれて静かに待つ清掃員が神々しく見えるのだ。


主人公が意に沿わないのにこの仕事をしているのではないことが分かるし、そのことは折りに触れて描かれる。

例えば、仕事のパートナーとしてこの仕事についた若者は、主人公に金を借りるやあっという間に仕事を辞めていく。

姪っ子が主人公のアパートに家出してきたときには、主人公からの連絡で迎えに来た母親(主人公の姉?)から、
「本当に、トイレ掃除をしてるの?」とか
「(アパートを指して)こんなところに住んでるの?」
などというセリフを吐かれている。
姉は、事業で成功しているらしく、黒塗りの運転手付きレクサスに乗って娘を迎えに来る。主人公の作業用の軽トラが小さく見える。

主人公は、肯定も否定もせず曖昧な表情を作るだけなのだ。

反論しない生き方、論破を目的に議論をしない生き方、相手の意見に対して否定的な考え持っているときには主張するのではなくしゃべらないという生き方。
徹底的に他人も自分も「否定しない」を貫く生き方が美しい。

便器を直接布(雑巾)で拭くシーンも出てくるし、隅の方を歯ブラシのような道具できちんと綺麗にする様子も描かれる。
主人公がこの仕事を嫌々やっているわけではなく、掃除をするからにはピカピカに綺麗にしようという使命感をもって仕事をしていることが伝わるし、今やっている仕事に全力を尽くすのだという決意すら感じ取ることができる。
「置かれた場所で咲きなさい」
という言葉を実践しているように見えるのだ。

金は儲けているが、自分の娘に家出されてしまう親子関係しか作れない姉と対比的に描かれる。

自転車に乗って出かける行き付けの飲み屋では
「今日も1日、お疲れ様!」
と温かく笑顔で迎えてくれる店員がいる。

そことは別に、たまの贅沢で時折訪ねる歌の上手な美人女将がいる店も登場するのだが、この女将が石川さゆりなのである。
客に請われる形で、名曲「朝日の当たる家」を日本語で朗々と歌いあげる。
オーストラリアの皆さんはご存知ないだろうけど、紅白歌合戦でトリを務めるような日本の国民的歌手なのですよ〜、と教えてあげたくなってしまった。笑


とにかく、男はトイレ掃除を仕事にしていて、
独身でアパートに住んでいて、
朝食は摂らずに缶コーヒーを煽って仕事に向かうサラリーマンで、
昼はコンビニのサンドイッチで、
仕事終わりのビールが楽しみで、
写真と植物が好きで、
時々は美人女将の店で飲んだり、開いたばかりの一番湯につかりにいくというささやかな贅沢を楽しんでいる読書好きの男なのだ。


トイレの掃除だけを描くって! それで映画が成立するものだろうか?

と思ったけれど、オーストラリアで見た『PERFECT DAYS』は、
トイレ掃除という見下されがちでお給料も高くない仕事でも、自分にできる最善を尽くそうと働く日本人がいて、こうした名もない市井の人たちの生き方のクオリティの高さが、日本という国を作っているのだ、ということを見事に表現していた。
給料の差はあるけれど、それは単に持ち金の差であって、人としての価値の差なんかじゃない!という強いメッセージ。


渋谷区にあるシースルーのガラス張りの公共トイレにとまどう外国人に、一言も喋らず、やって見せて使い方を教える。
ここでも、日本人は一言も喋らないのだが、心の中は親切で、
「大丈夫だ!安心していい!」と伝えてくれる優しさを見せる。

主人公は無口な男という設定なのだけれど、オーストラリアで観ると、

「日本人は、いちいち思いを言葉にはしない。それはとにかく言葉にして確かめ合う欧米文化とは違うスタイルだけれど、彼らは彼らなりのやり方で、思いを伝えているのだ。人のことを思う気持ちは一緒だけど、表現する仕方が違うのだ。言葉を返さないことを失礼だなどと思わず、異なる流儀があるという多様性を尊重しよう」

と言っているように見えるから不思議だ。

日本の映画館より混んでいるんじゃないかと思うほど観客は入っており、オーストラリアの移民政策や、多様性に対する理解(オーストラリアの公共トイレは、男性用、女性用、ユニセックスの3種類)、社会としての懐の深さみたいなものを感じながら、椅子に座っていた。

私が、この映画を日本で観ていたとしたら、また別な感想をもったに違いない。

外国で、日本映画を観るの、悪くない経験だった。

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