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世界で一番うまいワインを教えてあげよう

それは、ワイン好きの僕と妻にとっては念願の旅だった。

イタリアのトスカーナ州にあるキャンティ街道を、ワインを試飲しながら巡り歩く。その夢が実現する時がいよいよやってきた。


僕と妻は醸造酒好き。
だから、夕食時は「とりあえずビール」ではじまり、
おかずがカツオのたたきなら、辛口の日本酒を合わせるし、
ブリのカルパッチョならこれまた辛口の白ワインを合わせる。
鶏もも肉のトマト煮なら赤ワインとなる。
焼肉だったらビールで通すこともあるし、赤ワインを開けるときもある。

市場(東京)に出回っていない、搾りたての生酒を求めて日本酒の蔵めぐりをしたこともある。
火入れをしていない絞り立ての日本酒は、まだ酵母が生きていて、ぴちぴちとしたフレッシュな味わいがたまらない。グラスを鼻に近づけるだけでフルーティーが香りがただよってくる。
そして、砂糖とは全く違う穀物由来の官能的な甘味が舌にさっと広がる。

日本のワイン名産地、山梨のワイン蔵を訪ねたこともあるが、残念ながら美味しいワインはとても高価だ。

だから、ワインの本場ヨーロッパで、畑によって様々に変化する味や、ブドウの種類によって変わる味と香り、熟成の程度など、様々なワインを飲み比べて、ワイン文化の豊かさを堪能したいと思っていた。値段の変化も楽しみたい。

日々の食卓に供されるワインは値段も手頃で、ミネラルウォーターより安い場合すらある。
けれど、熟成が効くようなワインは時間の経過とともにどんどん値が上がっていく。
しかし、これまでの経験から、値段と味が必ずしも正比例するわけでもない、ことも知っていた。

自分たちの好みをワインを見つけて、持ち帰りたい、そんな希望を胸に僕たちはイタリアに向けて旅立った。


行き先はイタリア・トスカーナ州。州都は花の都フィレンツェ。ダビンチにラファエロにミケランジェロ。メディチ家の庇護のもと天才たちが才を競い、神の時代から再び人間の時代へと移り変わったルネッサンスの栄華が今に伝わる街だ。その南に広がる丘陵に沿うキャンティ街道沿いに点在するエノテカ巡りが始まった。

トスカーナ州の州都フィレンツェ 
ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」で名高いウフィッツィ美術館が有名だが、実は街中が美術館


空港でレンタカーを借り、ナビがついていないので紙の地図だけを頼りに予約したアグリツーリスモを探す。農家民宿と訳されることもある宿泊施設で、農家さんが副業的に宿を経営している。
自分の畑で取れた葡萄でワインを作っていたり、自家菜園で取れた新鮮野菜を食卓に乗せてくれる。そんな体験がしたくてホテルではなくアグリツーリスモを選んだ。

だが、これがなかなか見つからない。

たびたび、車を停めては道を尋ねた。
ガイドブックには、地方に行けば行くほど「英語はあまり通じない」と書かれていた。英語で質問して、イタリア語で返事をもらうといったやりとりだったけど、身振り手振りで、「このまま真っ直ぐいけばいいのね」くらいは理解できた。

爽やかな風を受けながら、美しい丘の道を気持ちよく駆け抜けていた時、後ろから来た車にあっという間に抜き去られた。若い男女が乗ったBMWのZ4だった。
僕らの借りたレンタカーは、日本でいえばリッターカー。あまりスピードが出ない。道に不案内なこともあって恐る恐る走っていたのだ。

十字路の角に一軒の農家があった。いかにもトスカーナらしい石造りの一軒家だ。
車を停めて、農夫に道を尋ねた。
イタリア語で何やら説明してくれたが、情報が多すぎて何を言っているのかさっぱり分からなかった。困った顔をしている僕を見て、人の良さそうな農夫は手招きをする。訳も分からずついていくと、そこに、こじんまりとした牛舎があった。人懐こそうな牛が2頭繋がれていた。
農夫は「どうだ! これがうちの牛だよ」と言っているようだった。

僕が探していたのは牛舎ではなくアグリツーリスモだったのだが、滅多に現れない外国人観光客に、トスカーナの豊かさを紹介してくれたに違いない。
チーズを作るために飼っている乳牛なのか、いずれトスカーナ名物Tボーンステーキになる肉牛なのか分からなかったが、丁寧にお礼を言って牛舎を後にした。
見ず知らずの人間に、自分の大切なものを、胸をはって見せてくれる気持ちが嬉しかった。


さらに進んで、地図上ではもうこの辺りにあるはずなのだが、という地点で念のためにまた道を尋ねてみることにした。

今度の農夫は英語が話せた。
僕たちはこの辺にあるはずのアグリツーリスモを探していて、地図によるとこの辺なのだけれど、、、と相談すると、農夫は
「よくこんなところまで来たな」
と道案内ではなく、おしゃべりを始めた。
「キャンティ街道で、美味しいワインを探したいんだ」
と言うと
「美味いワインを探しているのか?」
と聞いてきた。
「そうだ!」と答えると
「分かった。世界で一番うまいワインを教えてやろう」
と確信に満ちた表情に変わった。

やっぱり地元の人に道を訊いて良かった。
地元ならではの、ディープなワイン情報が手に入ったらありがたい、と得した気持ちになっていた。

農夫は、ついてこい!とジェスチャーで僕を誘った。
ぐるっと家の裏手に回ると、丘に連なる青々とした葡萄畑が広がっているのが見えた。
「うわー、これがトスカーナのブドウ畑かぁ〜」
畑の奥には、道路に沿って糸杉がきれいに並んでいるのが見える。

と畑に感心していると家の裏手に通してくれた。
そこには、木製のテーブルにテーブルクロスをひいて5、6人の人たちがワイン片手に食事を摂っていた。

写真はAI生成素材で、実際のトスカーナの写真ではありません。でもまあこんな感じでした。

農作業の合間の、家族の昼食らしきテーブルに僕を案内してくれたのだ。
そして何やらイタリア語で話していた。
ここからは僕の想像だ。

「おい、みんな! ちょっと聞いてくれ。この日本人が美味いワインを探して、ここまでやって来たっていうんだよ」
WOW!みたいな反応が沸き起こった。

「だから、ここに案内して来たんだ。だってうちのワインは世界一だからな!」
ここで、日常の風景だった家族の食卓は、やんややんやと一気にさんざめいた。

「そりゃ、いい。その日本人に世界一美味いワインを飲ませてやろうじゃないか!」
そうだ!そうだ!みたいなざわめきが治ったあと、僕を案内してくれた農夫は僕に英語で厳かに宣言した。

「世界一美味いワイン、それはウチのワインだ。味わっていけよ」


僕は心の中で、
「いや、あの、そういうことじゃなくて、、、
キャンティ街道ではどんなワインが人気で、
どんな銘柄が売れ筋なのか? 
このところ勢いのある醸造所はどこなのか?
みたいなことを知りたかったんですけど、、、」
と思考を巡らせていた。

だけど、丘に広がる緑色のワイン畑と、おそらくは家族経営であろうこの農家のみなさんが幸せそうに仕事の合間にランチを食べている様子をみて、僕は全てを了解した。


僕は間違っていた。
正しいのはこの人たちなのだ。

生産者に、ワイン評論家のロバート・パーカーみたいな見解を求めようとしていた自分が愚かだった。

この人たちは、ずっと前からトスカーナの丘で毎日毎日丹精込めてブドウを栽培して来た。
余分な枝を剪定したり、下草を取ったり。ツルを絡めたり。来る日も来る日も一生懸命、畑のブドウを丹精してきた。
うちのブドウは最高で、そのブドウで作ったワインももちろん最高だ。
うちのワインは世界一なんだ。
そんな誇りを胸にブドウの世話をして来たに違いない。
ロバート・パーカーが何て言ったか? そんなの関係ねえ。
他のやつがどう言おうが、ウチのワインは世界一なんだと。

僕は間違っていた。
幸せなのはこの人たちなのだ。

ユーラシア大陸のそのまた向こうの島から、わざわざワインを味わいにやって来た。評価はどうなのか?値段に見合うのか?そんなことを尋ねようとしていた自分の浅はかさに気付かされた。


イタリア人がしばしば口にするセリフがある。
「マンマのパスタは最高なんだ」

僕は、自分の母親が作ってくれた料理よりも美味しい料理をたくさん知っている。
母はフルタイムで働いていたから、料理も凝ったものを作るより、手軽にできるものが多かった。
「お袋の味が最高なんだ」
なんて思ったこともなかった。
母の料理は、帝国ホテルの村上信夫料理長の足元にも及ばない。
兼業主婦とプロの料理人。そんなの当たり前じゃないか!と思っていた。

でも、それは人からの評価、他人の評判であって、家族という濃密な関係性の中では何の意味もなさない。
「マンマのパスタは最高」
「僕の奥さんは世界一」
「息子のおかげで俺は世界一幸せな父親だ」
他人の評価ではなく、自分という視点からものを見ている人たちに出会って、本当に幸せな気持ちになった。

考えても見てほしい。
「ママのパスタより、エノテカ・ピンキオーリのパスタの方が美味しい」
「僕の奥さんより、隣の奥さんの方が美人」
「息子は、成績もクラスで中の下。勉強の話題になると肩身が狭い」
家族をそんな風にみる必要があるだろうか? 

いやありはしない。あってはならないと思う。

贔屓の引き倒しでいいのだ。
家族は唯一無二のものだし、評価なんていらない。
成績がいいから、美人だから家族をやってるんじゃない。

自分が今いる場所を最高だと信じ、
自分の家族が最高だと信じ、
自分の作ったワインが最高だと信じて生きる。
これ以上幸せな生き方があるだろうか。

TOIECが700点の人間より800点の人間の方が幸せなのか?
中小企業に勤めてる人より、大企業に勤めている人の方が幸せなのか?

幸せはスペックで決まるもんじゃない。
その人の在り方や人間関係で決まるんじゃないか。


道を尋ねただけだったのに、トスカーナでブドウを栽培する農夫から
「最高の人生とは何か」を教えてもらった。


キャンティやモンテプルチャーノのワインも素晴らしかった。
けれど最も深く心に刻まれているには、

「世界で一番うまいワインを教えてあげよう。それは、ウチのワインだ!」

と揺るぎない自信をみなぎらせて、僕を迎えてくれた普通のイタリア人とのやりとりだった。