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自由を自ら手に入れるメンタルハック✩Guest Speaker 嵐田優気 前編✩

誰もが望む自由。
その定義は、

「束縛を受けずに自分の思うままに振る舞うこと」

漠然と「自由になりたい!」と思う人は少なくないと思うが、具体的に何が自分にとっての自由なのか、自由になる為にはどうしたらいいのか、そもそも自由を望んでいるのはなぜなのか…などと、改めて内観する人は多くはないだろう。
年齢や生活環境、今日までの生い立ちに人それぞれ色々な背景があるように、自由の形も様々だ。

自分で選択する事。
決断する事。
行動する事。

「自由」という言葉の軸には、
この3つが1つになっていると私は思っているのだが、
今回は、その「軸」を大切にしながら漁師の家系がほとんどという、「海の男達」が、多く暮らす函館市の小さな町で異例の「起業」という選択をし3年。
思い描くその先の「自由」を手に入れるため、自身や家族と向き合う時間を生活の中で一番に重きを置き、日々「有言実行」を果たす、フリーランスエンジニアの「嵐田優気」さんに、インタビューさせて頂いた。

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嵐田 優気
1985年生まれ/北海道函館市豊崎町(旧南茅部地区)出身の2児の父。
札幌の音楽専門学校に入学し、その後札幌のAppleStoreで働き始める。
都会の荒波に揉まれ挫折し帰省。
地元企業に就職し7年働いたが、このままでよいのだろうか?という疑問が生まれ思い切って人生を変える決断をする。2019年2月にフリーランスエンジニアとしての生活にシフト。
現在はフリーランスとしての生活を維持しながら「40歳で完全リタイヤ」を確実に実現させる為、Webデザインをフルリモートでこなす兼業会社員。
安定した収入を確保しつつ不動産投資家としても日々邁進中。
  

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現在起業をして3年。
起業したその当時は結婚4年目、お子さんを授かったばかりだった嵐田さん。フリーランスで得られる収入の保証が何もなかった状態だったというからまた興味深い。
フリーランスへの道のり、現在に至るまでの過去の経験を振り返りながら、
質問を進めていく。

---南茅部はTHE漁師の町ですよね。今は地元にいても色々な働き方があるのかもしれませんが「フリーランス」という働き方をしている人はまだこの地域ではレアですよね?!

嵐田「そうかもしれないですね。僕の周りでは今のところいませんが、これからどんどん増えていく気がしています。といいますか、そういう環境を自分がこの街で作っていけたらなと思ってます!」

--おぉー!それは具体的なビジョンが既にあるのですか?!ぜひ聞かせて欲しいです!起業をした理由はそもそもがそういった思いからなんですか?

嵐田「実はそうではないんです笑」

--詳しく聞きたいです。

嵐田「札幌で最初に就職した会社がApplestoreだったんですが、」

-- Appleとは、あのりんごのマークの?

嵐田「はい。あのりんごの笑」

--就職先として憧れている人は多そうですが、勝手に厳しい環境のようにイメージしてます。

嵐田「僕も憧れていた会社に就職出来たことは嬉しかったですし、厳しという以上に大袈裟ではなく自分の今の性格や物事の考え方はほぼAppleに育てられたと言いきれるくらい有意義な環境でした。」

--それだけの経験を得られる環境には求めていてもなかなか出会えませんよね。

嵐田「はい。僕にとっては、とにかく当時の上司の存在が大きくて今も憧れています。」

--フリーランスという働き方を選択した時も、Appleやその上司の方の教えが活きたという感じすか?

嵐田「はい!間違いないです!」

--Appleを退職後すぐに起業と言う形をとったんでしょうか?

嵐田「いえ。やはり、物事にはちゃんと越えなくてはならない道って用意されてるんですね…色々と挫折の繰り返しでした。」

--それはまた興味深い流れですね!Apple時代の貴重なお話しはまた後半に深堀りさせてもらって、その越えなくてはならなかった話しを先にお願いします。  

嵐田「Appleを退社した後に別の会社に就職しました。その仕事の内容が想像していた以上に自分の感情や理性にブレーキのかかるもので。はじめのうちはそういうものなのかと思っていましたが「結果が全く伴わない可能性が高いデジタルサービス」を「あの手この手を使って売る」というシステムだったんですが僕には苦痛でしかなかったです。」

--きっと私もそういう仕事はできないかもしれません。

嵐田「自分のやってる事に違和感や疑心感が増してきて、生活の中で色々な事に対する不信感も重なった時期でもあり、タイミングをみて退職しました。人間関係の構築に関してや労働に対する考え方もこの時期あたりから変わってきました」

--置かれた環境での気付きや、関わる人との時間が後に地元に戻ってからの働き方改革に反映されたわけですね。

嵐田「そうですね。そういう面ではAppleという会社がどれだけ良い環境だったかを痛感しました。若気の至りで転職をし、色々と苦しい思いもしましたが、結果的に、今の自分にはとても必要な過程だったとは思ってます。」

過去と今を照らし合わせた時に、
どれだけ「今」を満足して過ごせているかで発する言葉や想いは変わる。感情は常に振り子のように行ったり来たりするものだが、特に、
違和感や疑心感という部分は見て見ぬふりをしがちだ。
向き合うのは非常にめんどくさい。
しかし、自分でそれに気付きそれを認め受け入れたからこそ次の道へ進むステップを自ら手に入れてきた嵐田さん。真っ直ぐな想いや気付きを無駄にせず時間を経ながら着実に理想の形にしていく過程はこの後のインタビューに続く。

--その後南茅部に戻りすぐに起業されたんですか?

嵐田「戻って地元のガソリンスタンドに就職して数年働きました。
そのうち、やっぱり自分はもっと縛りのない自由な環境で仕事をしたい、このままの生活は自分にはどうしても無理だという感情が現れてきて、自分の得意分野であるパソコンを使ったフリーランスという働き方に意識を向けました。」

--今はリモート体制で仕事をしている人は沢山いると思いますが、どうしても、この漁師町の地域柄なかなか想像できない生活スタイルですよね。この町で常に生活をするということは、基本的に漁師以外の仕事の選択肢はほぼないですもんね。

嵐田「はい。この街が好きで離れたく無いけど漁師以外の仕事のために移住するしかない人も中にはいたりして、そういう人達が、今の自分のような働き方を地元でもできたらまた少し経済的な流れも変わるのかなとも思ってます。」

--そういう考えが元々あって土台などをある程度作ってから企業したんですか?

嵐田「いえ笑 僕は妻が娘を妊娠した頃に、ガソリンスタンドを辞めて無職になりました。」

--なんと!

嵐田「すみません 汗」

--収入の目処は?

嵐田「全くありませんでした」

--でも、今だから言えるけどって感じの余裕が雰囲気から感じますよ!

嵐田「その時は必死でしたが、決断して行動に移して良かったと今は思ってます。」   

--奥様や周りの人達は心配しませんでしたか?
 
嵐田「自分の両親からはとにかく妻に迷惑をかけないようにと言うことだけは言われました。やっぱり一番大変だったのは妻ですよね」
  
--お察しします。

嵐田「はい。半年だけ自分に時間をくれと言いました。半年で、「収入」という形を自分で得られなかったら、再就職をすると決めました。宛があったわけでもないですが。
ただ、自分の中ではもう雇用される生き方をするつもりがなかったので必死で結果を生み出す事だけに集中しました。」

--そこまでフリーランスにこだわる理由は何かありましたか?   

嵐田「家族との時間を一番大切にしたかったからですね。子供の成長を近くで見たくて。あとは、自宅でパソコンを使って仕事をする、なんなら、どんな場所や国でもネット環境が整っていれば自由に仕事ができるという生活スタイルやそういったインフルエンサーが沢山注目されている時期だったのでその影響もあったかとは思います。とにかく自分の力で生きて行けるようになりたかったというか。」

--とはいえ笑 
家族を養いながらという事を考えるとなかなかの決断ですよね。

嵐田「自分の想いに嘘はつけませんでした」

--一番大事な核のあるお話しだなと私は思います!
そして、当時の決断は、リモート体制の強い最近の働き方を先取り出来た感じですよね。

嵐田「結果的にそうなっているかなとは思います。ただ、今は、新たに「40歳でリタイアする」という、次の目標ができて。その目標を達成する為にはフリーランスとしての働き方だけでは、補えない収入の部分もあるので、リモートという部分は変わりませんが一部会社員として仕事をしつつ不動産投資もはじめました。」

--その目標の根底にはやはり、「自由」という言葉が根を張っている気がするのですが、どうですか?

嵐田「自分のやりたい事や行きたい場所、家族との時間を、もっと自由な形で密度の高いものにしていきたいと思っているので。もっと自由な生活を得る為には今やるべき事はなんなのか、何が必要なのかを常に考えてます。よっぽど自由を求めてるんですね僕って…///」

--(なぜか照れている??一体どうしたんだ急に…('・_・`))
有言実行とストイックな目標、いつもすごいなと思ってます。

嵐田「自分の得意な事と好きな事であれば仕事や一作業としても苦にはならないです!」

自由への近道はやっぱりこれなんだろうなと、改めて気付く。
「得意な事と好きな事」を仕事に出来ているというのは、むしろ、既に自由な生き方そのものなのかもしれない。
しかし、仕事だけが全てではない。

割と前半は硬めなエピソードが多かった嵐田さんのインタビュー。
「縛られること」「当たり前に見え隠れする常識」に対して、窮屈に感じてきた環境を自ら突破してきた経験は言葉の節々になんとなく自信や余裕を感じる部分があった。
自分の生き方に自信を持てるようになる事、これもきっとまた自由への近道の一つだろう。
そして、自分の選択決断行動に対していかに真っ直ぐに想いを馳せる事が出来るかどうか。
「本当に望む自由」を自ら手に入れるためには避けられない分かれ道。どっちに向かうかは自分の偽りのない想いだけが知っている。

後半に続く。


お読み頂きありがとうございました!

来週、「後編」と、「なぜこの人にインタビューしたのかという話し」、を、更新します*⋆⸜ ⸝⋆*

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