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The Emulator - ザ・エミュレータ - #44

5.9 ワールドセット=ファンタジー

「19時にA201に集合だからな。絶対に遅れるなよ。」

 クレトが予約した小規模自習室でワールドセットの初期セットアップをする約束をした。シンタロウ、カミラ、そしてグエンが参加することになっていた。グエンはワールドセットのプロモーションをサーチして『ウォーウルフ』のスキンをみつけていた。

「これなら僕も参加できますよ。」

 グエンは『ウォーウルフ』ならポインタのままAの感覚で操作可能だと言い、これで自分も参加できると喜んでいる。確かにすでにポインタの感覚は人間から犬に調整されている。こちらの世界で逆の調整、つまり犬から人間に再調整するのは難しいと思っていた。そもそも、そのベクトルの技術が実用化されているようにも思えなかったからだ。シンタロウがリクワイアメントを見てもポインタに適用が可能なのか記載がなかったので、実際にはやってみないとわからなかったがグエンには黙っておいた。あれほど楽しみにしているのだから自分でやってみて納得してもらった方がいいだろう。

 授業が終わってから時間があったのでシンタロウとグエンは夕食と入浴を済ませてからA201に向かった。A201には先にカミラが来ていた。カミラもすでに夕食と入浴を済ませてきたようで制服ではなくラフなTシャツと短パン姿でオリーブ色の髪をヘアバンドで止めていた。

「クレトの奴、まだ来てないし。あいつが言い出したくせに。」

 10分ほどしてもクレトが来ないのでカミラは声のトーンが柔らかいまま冗談だとわかるくらいの文句を言い始める。シンタロウはカミラの気を紛らわそうと本当に何気なく、思いついたことを口にした。カミラに髪の色は地毛なのか聞くと、カミラからさっきまでの砕けた雰囲気が消えた。カミラは真意を読み取ろうとシンタロウをその猫のように丸い大きな目で見つめた。

「ENAUにはいないの?」

 カミラはシンタロウから視線を外さず、瞬きもせずに無機質な表情と声で聞く。一瞬で張り詰めた空気がA201に漂う。

「え、なんかまずかった? ごめん。その髪の色の人を見たことがなかったから。」

 しばらく間があり、もう自分には納得させている、とでも言うようにカミラが余所行きの笑顔を作って言う。

「そうよ。地毛よ。こっちにはたまにいるの。私やクレトはそんなに隠す気はないし、面倒だから髪色を変えていないの。でもすごく気にしている人もいるし、それでトラブルになることもしょっちゅうあるから、この話題に触れないで。クレトにも面と向かって直接その話はしないで、お願い。ごめん、これ以上この話に触れないで。」

 シンタロウは分かった、気を付けると言い話題を変えた。カミラに失礼な気がしたのでその理由をサーチすることも控えた。19時半を少し過ぎてクレトが慌ててA201に入ってきた。寝ていたようでオリーブ色の髪には寝癖が付いている。

「ごめん、ごめん。うっかり寝ちゃってた。みんな揃っているみたいだし、さっそく始めるか。」

 エミュレータの新機能のリリースは20時からだった。リリースは数分で完了するという。ワールドセットのダウンロードとインストールは19時から可能だ。インストールが完了して、シンタロウたちは20時を少しすぎた頃に初期設定のインタラクティブを始めた。リノリウムの床と化学繊維のラグが石材の床と毛皮のラグに変わる。コンクリートに珪藻土が塗られていた壁は煉瓦と木材の材質に変わっていく。

「質感が妙にリアルでいいね。ラビリンスの世界観ってこんな感じか。なんかそれっぽい気がしてきたな。3人ともやる気出てきたんじゃないの? じゃあ、次は決めといた通りにジョブ選択しようぜ。」

 みんなで決めておいた通り、クレトは『ウィザード』、カミラは『プリースト』、シンタロウは『サムライ』、グエンは『ウォーウルフ』を選択した。中世を基調としたスキンにマッチするようにそれぞれの役割を模した服装に変わる。グエンは体重3キロの小さな犬からグレーの長い被毛を持つ体重150キロを超える大きな狼に変わった。シンタロウがグエンに触ってみると、ホログラムではなく、そこには確かに実体があった。硬くごわついた被毛の質感やグエンの呼吸で上下する筋肉、少し熱いくらいに暖かい体温も感じることができた。シンタロウはグエンを撫でながら『マテリアルへの投射か』と独り言をつぶやき、授業で習ったことを思い出していた。

「カミラ? なんか、かわいくなってない? てか小さくなってんじゃん?」

 クレトがカミラをまじまじと見る。カミラは元々可愛い顔をしているが、目元や口元が華やかな印象になり、より一層、可愛らしさが加わって見える。そして5.4フィートくらいあった身長が3.5フィートくらいになり、エレメンタリーの子供のように縮んでいた。

「いいでしょ? 種族をホビットにしたんだ。プロモーションで見て可愛いさに一目ぼれしたんだもんね。かわいいでしょ?」

 カミラが顔いっぱいに笑顔を作って答える。いつもならすぐにカミラに軽口を返すところなのにクレトは黙ったままカミラをまじまじと見続けるだけだった。

「てか、クレトもなんか違わない?」

「気づいた? 俺は魔族にしたんだよね。ウィザードはやっぱ魔族でしょ。」

 クレトが思い出したよう腕組みをしてカミラに答える。そしてシンタロウを見ながら続ける。

「シンタロウは本物だな。マジでオレが知ってるゲームの中のサムライにしか見えない。もしかしてシンタロウってホントにサムライの家系だったりするの?」

 さっきまでTシャツだったシンタロウだが、いつのまにか和服を着ている。肌触りや服の重みで和服を着ている感覚があるが、初めて着たという違和感がない。着衣についての感覚も同時にインストールされているようだった。

「とりあえず、なんか装備を買わないといけないんだよな。装備を揃えるのとアイテム類の買い出ししてから、さっそく地下迷宮いってみるか。」

 クレトが張り切って、ドアを開ける。自習室A201は整然と立ち並んだ民家の脇にある納屋に変わっていた。

 現段階では、ワールドセットは若者だけが注目しているエミュレータの新機能だった。実際、アニメーション、ファンタジー、サイバーパンクなど昔から若者に好まれそうなゲームジャンルを意識したバリエーションが多い。ワールドセットはさらにサブセットと呼ばれる少しずつ異なるパースペクティブが取り揃えられている。

 シンタロウたちが選択したワールドセットは『ファンタジー』だった。自然科学や物理法則があいまいに定義されていて、ナラティブが原則の中心にあり、物語の制約が自然法則を超えて支配する世界。シンタロウたちはその中のサブセットとして『ラビリンス』を選択している。そのパースペクティブでは、地下迷宮を探索し、モンスターを討伐することで、生計を立てる冒険者が存在する。シンタロウたちはもちろんその冒険者のロールを自分たちに割り当てていた。

 ワールドセットは他にも歴史、神話といったバリエーションもあるが利用者は限定的だろう。今後、この新機能の本命になりそうな、商業用の活用や実生活の利便性を向上させることを目的としたワールドセットは今回のリリースには含まれていないようだった。

 それはごく当然のことのようにシンタロウは感じていた。先鋭的なプロダクトは大抵、趣味のような特定のこだわりから始まる。理解できるのはごくわずかな少数派だけだ。そしてそれがそのまま一般に普及するわけではない。だがそこで使われている技術そのものは実社会を革新的に進歩させる。AFAやOSS版のヴィシュヌのコード、旧ネットを使うシンタロウは先進的なテクノロジーの始まりはいつだってそういうものだと確信していた。

次話:5.10 サブセット=ラビリンス
前話:5.8 友人

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