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新人1年目の辛い話がいい思い出に変わった日

これは新人コンサルとして初めて配属されたプロジェクトでの辛い経験の日々が、3年たってようやく報われたと感じた瞬間のお話です。

はじめに

コンスの性格として、何かをやっているときに楽しい!!と感じることがほぼない。公私問わず、リアルタイムで楽しい!なんてあまりないのだ。
表現の問題な気もするが、そんな自分であるが故に、今の仕事楽しいんです!なんてこともあまり感じないのだ。

理由はシンプルで
一生懸命やっている最中にそれが楽しいかどうかなんて考えている余裕などないのだ!!

私の中での楽しいは完全に事後的に発生するもので、あの時楽しかったなぁというものだ。

そして仕事にあの人嫌いとかといった私情は挟まないので、感情の浮き沈みはあまりなく仕事している(もちろんやる気的な部分の変動はあるが)

仕事に感情いれると潰れるなって体で覚えた新人時代の辛い記憶が、3年たってあの時の仕事って楽しいものだったんだなと思った瞬間が訪れたのでnoteに書いている。

コンサルとしてのやりがいは、自分の価値がお客さんに認められた時、自分として良い資料(お客さんに刺さるもの)、自己成長など色々あるのだが、おこがましくもお客さんの成長も感じられることである。

これを機会に新人時代の辛かった話も回想したい。

辛かった新人コンサル時代 先輩・上司との出会い

コンサルの人って少人数でプロジェクトを運営・推進する必要があるので、精神的・働き方に余裕のない人が多い。

当時私の配属されたプロジェクトは、歳が1つ上の先輩アソシエイト(私は引率なので、社会人歴は全然上)と実質2人で始まった。
コンサルタントの中堅の方が抜けてしまい、先輩が1人で四苦八苦してるところに、新人の私が放り込まれたわけである。
コンサルタントの戦力を2、先輩の戦力を1とした時、当時の私の戦力は-5と評価しても過大評価とさえ取れるだろう。

新人ってそれだけ負荷のかかる生き物なのだ。
新卒で入社して、俺って即戦力だぜって研修期間中に変な自信がついた諸君、現場では見えないところで色んな人が助けてくれていることを知って欲しい。

さて、戦闘力-5以下の自覚症状なしに、やる気に満ちあふれた配属初日の先輩が私にかけた一言

忙しくて何も教えてる余裕ないから、とりあえず座ってて、資料読んで。後で話しかけるから。

僕の不安を嘲笑うかのような資料が渡され、とりあえず読み始める。
そして1時間後にじゃあ何わかったか教えてなんて、いきなり話しかけられるのである。

コンサルを志望する諸君、上司・先輩の言葉を文字通り受けとってはいけない。
必ず裏の意図まで読み取るために、色々質問して欲しい。

私の下に新人アソシエイトが来た時は、このやり方はやらないようにしている。
なぜならただ相手を萎縮させるだけだし、ただのマウンティングでしかないことも多いからだ。

最高のパフォーマンスは地頭の良さだけでは生まれない。
人が萎縮せず、素直に注意を聞ける信頼関係の構築がまず1番必要なのだ。コンサルの人たちは頭がいいが故に、人への思いやりが欠如している(コミュ障)も多いのだ。

そんなこんなで1日目で、とんでもないところに来てしまった。自分は何もできないから全て否定されているように感じるという辛い時間を過ごすことになる。

ロジカルハラスメントなんて言い方をされることが多いが、上司が事実だけをもとに私を注意してくると最後には何も言い返せなくなることがたくさんあった。
コンサルになった人が鬱になる原因の8割はこのやり方に問題があると思っている。

正論だけで相手を詰めると、行き着く先は自己否定されているという最悪の終着点になることが多い。
上司はそんなつもりはないのだが、責任感の強い人はこれでやられてしまう。

そんなこんなで私の新人時代最初の半年くらいは同期・だけ友達と飲み会であってもほぼ笑うことがなくなっていた。
仕事への虚無感、先輩への恐怖、楽しさもわからないということが色々重なって、オフィスビルが毎日監獄に思えた。

色んな人に心配された時期だったが、海外帰りのギャップやはじめての東京生活に慣れず疲れていた時期でもあったと思う。

仕事は人生じゃない!という妻の励まし(当時は同棲していただけ)をありがたく噛みしめながら、それでも8時間は少なくとも耐えないとという思いで頑張って通勤した。

お客さんとの関係性

コンサルタントという職業は、その請求単価の高さ故に、新人感をお客さんの前で出すなと教えられる。

ありがたいことに老けた?見た目、かつ飄々とした態度を意識していたこと、そして先輩アソシエイトの機敏な立ち回りにより、新人感は思ったほどお客さんには伝わっていなかったようだ。

カウンターパートであったお客さんは次期部長候補と呼び声の高いミドルクラスを中心とした各部から選抜された5名である。優秀なお客さんにも何タイプかあるのだが、彼らは部の垣根を超えて仲が良く、温厚な人が多かった。どんなときでもチームで動くが、決して判断も遅くない、そして常に報連相ができているという今思えばドリームチームだった。

マネージャー、先輩アソシエイトの絶対的な信頼のもと、完璧な導線が引かれているプロジェクトでの私の役割は、日々与えられたものをこなす、上司レビュー(成果確認)を受ける、お客さんのところに成果を走って持っていく、指摘いただいたことを上司に持って帰る(伝書鳩)ということを繰り返すことだった。

フットワークが軽いと自分で思ったことはないが、これまでの上司たちにコンス君意外とフットワーク軽いねと言われたのは、この経験が活きているからに違いない。

月日が経つにつれ、少しずつ作業のスピードもあがり、自分の作業領域をこなすようになり(本来的にはこなすだけではいけないのだが)、お客さんからも声をかけてもらえるようになった。

たくさん上司には怒られた(成長するための注意・指摘)分、お客さんにはしっかりとした成果を出せていたところもあり、なんとか監獄に思える環境の中で生きていった。

プロジェクトからのリリース、そして3年経って知ったこと

私の初めてのプロジェクトリリースは突然やってきた。プロジェクトとして、タスクも減少傾向にあり、財政的にも厳しいという理由から、来週でプロジェクトから抜けてもらうことになったとマネージャーに言われた。

そろそろ新しいチャレンジしてもいいからという理由ではあったが、私の代わりに同期のアソシエイトが新たに配属されるとも教えられ、引き継ぎをしてほしいと言われた。

特段ポンコツミスもやらかしていない上に、プロジェクトリリース、そして代わりのアソシエイトが来る理由は一つしかない。

低調なパフォーマンス故の、戦力外通告である

実際にはパートナーの好き嫌い人事で、彼のお気に入りの新人を私のプロジェクトに入れたいという裏話もあったようだが、結局そこのリプレイスメント候補になるだけ、パフォーマンスとしては平凡以下だったというだけだ。

そして私の最初のプロジェクトはおびえる日々からの解放という嬉しさとともに、終わり際の苦い思い出とともに終わったのである。

後日談だが、パートナーお気に入りの同期くんはマネージャーと相性があわず、その後1ヶ月くらいでプロジェクトアウトしたらしい。
マネージャーと先輩アソシエイトから、君はメンタル強かったんだねと後日社内イベントで顔を合わせたときに言われた。

1つ目のプロジェクト経験で比べるものがなかった私には、辛い経験だったがどのプロジェクトもこんなものだと思っていた。ただ、2つ目のプロジェクトだった同期くんにとっては、マネージャーと先輩アソシエイトからのフィードバックはさぞ強力なものとして堪えたらしい。

結局人間は比較する対象があるかないかで、耐久性が決まるのだ。
そして仕事における肉体的な限界よりも、精神的な限界のほうが早くくることも分かった。
プロジェクトでのパフォーマンスはすべて、人間関係に依存する。
その一言につきる。

さて、時は流れて3年後。

先輩アソシエイトとはその後、別プロジェクトで一度一緒になり、自分が成長できていることを少し見せることができたと思う。めちゃくちゃだった新人当初と比べ、少なくとも半人前以上にはなったはずだ。

新人の時はただただマネージャーと先輩アソシエイトの顔を見るのもつらかったが、今となってはすごく育てようとしてくれていたのだと理解できている(自分が新人育成を何度か経験したので)

自分がいまのファームに残っている要因は、そのマネージャーと先輩アソシエイトが評価され、ステップアップしているからだ。

そんな折、新人時代のプロジェクトメンバー(隣のチーム)から、新人時代のお客さんの近況を教えてもらった。

当時次世代部長候補だったミドルクラスのリーダーは、なんと3年の時を経て部長となり、他メンバー達も上のポジションに昇格したとのことだった。

コンサルタントとはおこがましくも、お金をいただきながらお客さんに成長させてもらっている部分も多い。

業務経験としても、社会人としても、一人間としてもだ。

そして自分がたくさん助けてもらった方たちの昇進を知ることができたのは、感慨深いものがあった。
あぁ素晴らしいお客さんと働けていたのだと。

そして彼はもう一つ教えてくれた。

新人当時の私が先輩アソシエイトに叩き込まれながら作った資料が3年たった今もしっかり使われているということ。

コンサルタントとはアウトプットしてなんぼの職業である。
そして一過性のものとして資料を作ることもあれば、以後数か月先を見越してテンプレートのような資料を作ることもある。

ただ、自分たちがよいと思って作ったものであっても、独りよがりなもの(エンドユーザーの業務・作業負荷まで意識できていないもの)であれば、すぐに使ってもらえなくなる。

それが3年たった今でも、当時お客さんドリームチームの末席だった方の主導のもと、その資料が日の目を見て使われているというのだ。

自分が作った資料がお客さんのためになっていることを感じることは、実はあまり経験がなかったので、これを聞いたとき柄にもなくウルっときてしまった。

辛かった思い出が、無駄になっていない。誰かの役に立つために苦労できていたんだ

コンサル冥利につきる。

こうして、3年前のもはやトラウマとも呼べる日々は、3年経ったいまになってようやく良い思い出に変わった。

辛い経験をするくらいならそこから逃げ出せばいい。心を壊して、体を壊すくらいなら、働く意味なんてないというのはその通りだ。
ただ、少しでも自分が踏ん張ったことが誰かの役に立つ、そう感じたのは社会人生活の中でこれが初めてだった。

頑張れば報われるわけではない。
ただ自分が頑張っていないものが、人に喜ばれ、3年たった後でも使ってもらえるものだとは思わない。

営業さんのように売上KPI達成による満足感や誰かを助けたことによるやりがいを感じることが少ないコンサルタントという職種ではあるが、お客さんの現在、そして未来のために働けたという感覚を得られるところは、捨てたもんじゃない。

日々高給文房具や、高級派遣業と揶揄されることが多くはなってきたのだが、それでもお客さんファーストの名のもと、まだまだ役に立てることは多いと信じている。

お客さんの単なる業務代替、下請けとしかコンサルタントが見られなくなったとき、業界としても、個人としてもコンサルとしてのやりがいはなくなるだろう。

何が人の役に立てるか、その何かは、将来も使えるものなのかを日々考え尽くしている。

終わり

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