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読書メモ|『信仰』

今回の本は、村田沙耶香さんの『信仰』。

気にはなってたけど、買おうかどうしようかな〜と迷っていたところで、こちらのラジオを聴いて「やっぱ買お!」と衝動買いしてしまいました。これも面白いから聴いてほしい。


8つの短編が入った本なんですが、やっぱり一番印象に残ってるのはタイトルにもなっている「信仰」。

主人公はある日、知り合いから「カルトを作ろう」と誘われる。
ブランドや世間の流行など、目に見えない幻想に価値があると信じて疑わない周りの人たち。彼らに「幸せになってほしい」との善意から、主人公は現実を突きつけて目を覚まさせようとするが、少しぐらい騙されている方が幸せかもなんて言い出す始末。もはやカルトを信仰することと何が違うかわからない。
しかし妹の言葉をきっかけに、自分は「現実」をカルト的に信仰しているのかもしれない、幻想に騙される側に行ってみたいと切望し、カルトを作るのではなく、その参加者として10万円払って…というお話。


信仰する、って何なんでしょう。

信仰
1. 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」
2. 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への信仰」「ブランド信仰」

デジタル大辞泉

信仰の定義を見てみると、「推し活」的なものも信仰っぽくなりうるんじゃないかなと思います。推しという尊い存在、その人の存在・言葉などによって救われて、それが自分の拠り所になる。
信仰の対象は神ではなく人間なので、不完全性から「裏切られた」みたいな感覚になることもあると思うし、いわゆる「宗教」よりはだいぶ不安定なものな気もするけど、推しの全てを肯定する人もいるということを考えると、「特定の対象を絶対のものと信じて疑わない」という信仰の定義にも当てはまる。
これは自分も気をつけなきゃと思う話ですが、信仰(推し活)はそれによって救われ、幸せを感じられる範囲にとどめておかないとなと常々思います。貢ぎすぎて身を削るとか、他のファンと比べて自分はまだまだ…と思ってしまうとか、苦しくなってしまっては元も子もないよなと。こういう打算的なところは宗教を信仰するということと違う点なのかも。


自分が信じられる「絶対的な何か」があるというのは、それだけで救われるし、楽なんだと思います。
ただ、それを信じられるのは、自分の経験や知識などから納得できる部分が多いからなんじゃないかなと思います。様々な経験を積み重ねることで信じていたものに違和感を抱き、ある日突然冷める(覚める)、そして別の信じられるものを見つける、みたいなこともあり得ると思います。

そして宗教2世の問題の一つとして、教義が当たり前のものとして育てられ、違和感を抱く頃にはその教えが既に拠り所にもなってしまっているから、信仰し続けるのも離れるのもしんどい、みたいな状況になってしまうことがあるんじゃないかな。


結局人は信じたいものしか信じないと思うので、何を信じるかには多少慎重にならないといけないけど、そんなふうにいちいちメタ視点で見てたら、そもそも没頭するように何かを信じるみたいなことって出来なさそう。

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