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備忘録0130-0205|「〇〇とは何か?」

なんか体調悪いのにこういう時に書きたくなってしまう不思議。

1. 「誤解」とは?

最近の報道を見聞きして、「誤解」ってなんなんだろうとふと思ったので。

「誤解」
相手が言ったことの意味をとりちがえること。また、ある事実について、誤って思いこむこと。思いちがい。

精選版 日本国語大辞典

私たちは日々いろんな言葉や表現を受け取っていて、そのまま言葉通りに理解することもあるかもしれないけど、それを解釈して理解することの方が多いんじゃないかなと思うんですよね。で、解釈って何だ?と思って。

「解釈」
① 語句や物事の意味、内容などを説明すること。解き明かすこと。また、その解説。
② 物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること。
③ 法令の意味を明確にして、その内容が動かないように定めること。

精選版 日本国語大辞典

言葉や文章などの表現されたものがあって、それを解釈した結果、正しく理解する or 誤解する、という流れなのかな。
「正しい」か「誤っている」かというのは元の表現の発信者の意図に沿うか否かということで、受け取り手が正しく理解しているか誤解しているかというのは元々の発信者にしかわからない、決められないことなんだろうか。後から「あの時言いたかったのはこういうことで、君は誤解しているんだよ」と元々の意図を歪められてしまったら、誤解しているとされた受け手は「そうだったんですね」としか言えないんだろうか。むしろその釈明の際に保身が見えてしまったら、「そんなわけないだろ、正しく意図を汲み取ってたはずだよ」と思うよなー、と。
それから誤解の要因は、発信者の伝え方にあることも、受け取り手の捉え方にあることも、双方にあることもあると思うんですよね。発信者は「どういう意図で言ったのか」「どういう意味でその言葉を使ったのか」、受け取り手は「どこをどう解釈してどのように理解したのか」を誠実に伝え合って認識をすり合わせていかないと、「何がなぜどのようにズレたのか」「何が問題だったのか」がわからない。
お互いが目の前にいてリアルタイムでやり取りができればいいのかもしれないけれど、1対多での発信だったりするとそれだけ解釈も分かれるわけで、「言いたいことをそのまま伝える」「聞いたことの意図を正確に理解する」って何て難しいんだろうと思う。


2. 「共感」とは?

誤解の話とも関わるんですが、「共感」がわからなくなったので考えてみる。

「共感」
他人の考え、主張、感情を、自分もその通りだと感じること。また、その気持。同感。

精選版 日本国語大辞典

あとは最近よく聞く語として、「シンパシー」とか「エンパシー」もあります。

「シンパシー」
他者に対する思いやりや理解を示す感情。人の痛みや不幸、悩み、悲しみを気の毒に思ったり、気にかけたりするときに働く。

https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2022/08/08/110000

「エンパシー」
その人の立場になったことを想像して、どのように感じているか、どのような経験をしているかを分かち合う能力。

https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2022/08/08/110000

こういう区別があるとはいえ、一般にはどちらも「共感」とか「同感」みたいな意味で曖昧に使われている気がします。言葉の定義を明確にしてそれ通りに使おう、と言いたいわけじゃないんですが、なんとなく自分の中での違和感をはっきりさせたい感はあって、結構しっくりきたのは心理学的な共感(empathy)の説明。

クライエントの私的世界をそれが自分自身の世界であるかのように感じ取り、しかも「あたかも…のごとく」("as if" quality)をけっして失わないーこれが共感なのであって、これこそセラピーの本質的なものであると思われる。クライエントの怒り、恐れ、あるいは混乱を、あたかも自分自身のものであるかのように感じ、しかもその中に自分自身の怒り、恐れ、混乱を巻き込ませていないということが、私たちが述べようとしている条件なのである。

「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」(カール・ロジャーズ, 1957年)
http://kikukoto.net/2020/09/26/empathy_dictionary/

あとはこれ。

「わかるぅー!」は共感じゃなくて、「相手が主役」であることが共感の本質である、と。

結構モヤモヤが晴れた感がある。
「わかる!」って感覚は自己投影的な部分があって、「自分が主役」になってしまっているんだなぁと思いました。これって友達との会話とかでも結構ある気がしていて、それで楽しく盛り上がることも多いからそれはそれでいいんだけど、相手が話したいことを「わかる!」で自分の話に持っていってしまうことあるわ…とちょっと反省。

誰かのエッセーを読んだり、ラジオとかポッドキャストで話を聞いたりして「わかるわぁ〜」と感じても、これってその人が本当に言いたかったことを私は汲み取れてるんだろうかと思って簡単に「共感できる」とか言えないなぁと思ってたんですけど、単純にそれが「共感」ではなくて「自己投影」だったのかなと思いました。でもそれがたとえ自己投影だったとしても「共感してくれてる」みたいな感覚ってやっぱり嬉しいし、定義を明確にして線引きすべきというわけでもないよな〜と。


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