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チームラボとライゾマティクス、ときどきAR三兄弟。

先方はさほど意識していないだろうが、実際よく比べられる。ライゾマ(ライゾマティクス)とそしてチーラボ(チームラボ)、そしてAR三兄弟について書く。ちなみにチーラボという略称はまだ僕しか使用してませんが、チーカマみたいでかわいいのでみなさん早速使ってください。

チーラボとライゾマが無かったら、危ないところだった。
そもそもチーラボとライゾマは、プログラミングでものを作るうえでの大先輩。2009年の夏、ライゾマ(厳密に言うと真鍋大度さんと石橋素さん)のミシンをハッキングしたビームス展示をみて触発されて、その夜にAR技術を駆使した10個のアイデア(ネタ)を考えて、次の日から僕はAR三兄弟の長男になった。チームラボ(敬意を表してやっぱり略称から元に戻す)のことは最初から大好きで、AR三兄弟の活動最初期に表敬訪問を2回している。スーパーマリオをハッキングした受付のシステム、バルーンの質感をした触るたびに光の色が変わるボール型(のちのチームラボボール)のプロトタイプ、浮世絵に奥行き(Z軸)を与えて動かしたかのような大胆かつ精密なコンピュータグラフィック、今から考えるとやがて全世界でチームラボが巻き起こしてゆく様々な現象をすべて予告していた。

チームラボの創業が2001年、ライゾマが2006年、AR三兄弟が2009年。チームラボとライゾマの存在がなかったら、アートや広告などの垣根を越えたデジタル表現を社会が受け入れる環境が整っていなかったと思う。Web Designingという雑誌がまだマーケティングよりもクリエイティブを重視していた頃、2001年から2011年頃にかけて、Webを中心としたデザイナーやプランナーでスターと呼ばれる人たちが何人か登場した。でも、広告から離れた純粋な表現として、単体で衆目を集められるような存在はそう多くなかった。企業や広告代理店から仕事をもらう下請け仕事をメインとする個人や会社が大半だった。かくいう僕も、ミシン会社に勤めながら、実績と経験を重ねたくて多くの下請け仕事を10年ほど経験した。クライアントの意志を尊重しながら、自分たちの経験を集約させて共同制作物の質をあげてゆく。やりがいのある仕事ではあるが、最終決定はクライアントが握っている。最終責任を取らなくていい代わりに、クリエイティブに関するいちばん大切な判断を他人に委ねているところもある。僕にはあまり向いていないように感じていた。

AR三兄弟と名乗るようになってからは、名指しでオファーを頂く以外の仕事は断ることにした。コンペにもほとんど参加していない。おかげさまでAR三兄弟は結成以来、仕事が途切れたことがない。広告代理店への営業や接待もしたことがない。コンペに参加してる時間があったら、僕たちを必要としている人たちからのオファーにひとつでも多く応えたい。次なる斬新へ向けたプロトタイプを開発しておきたい。チームラボやライゾマも、最初期は下請け仕事をこなしながらの表現だったとは思う。ある時点からまだ頼まれていない仕事を自分たちでゼロから作り、プロトタイプを生み出し、それを根拠とした独自のクリエイティブを形成していった。AR三兄弟は、その土壌がある程度整ってから登場している。

独自の技術を開発したり、特許を取ったり、前例のないものを頼まれやすい雰囲気を絶えず作ってはいるが、さきにはじめたのはこの両雄だ。尊敬しているし、半分はファンでもある。憧れがある。にも関わらず、ライゾマやチームラボと対決姿勢をとることもある。青山にあるスパイラルでライゾマと展示が隣り合ったとき、キャプションに「ライゾマさんより目立ちたい」と書いた。チームラボ猪子さんとは、テレビ番組で2回、プレゼン対決をした。相手を挑発する態度も取った。だけど、それは業界が少しでも盛り上がればいいなという願いを込めたうえのこと。歴史も規模もまったく異なる。いつだって敬意をもって対峙している。彼らの存在がなければ、AR三兄弟は存続していない。一枚目、二枚目あっての三枚目。三兄弟なのである。

ライゾマとか、チームラボみたいに、かっこ良くなりませんか?
後続とはいえ、楽なことばかりではない。テクノロジーを使ったアイデアを求められるとき、必ずといっていいほどライゾマとチーラボ(やっぱりこの呼び方かわいいので一瞬だけ戻す)のことを引き合いに出される。「Perfumeのクリエイティブ、つまりライゾマみたいになりませんか?」「チームラボボールみたいなの、作れませんか?」と、露骨に求められることが頻繁であった。油断して、「はい、よろこんで」なんて一度でも回答したら最後、AR三兄弟以前の下請け業者に戻ってしまう。投げ込まれたボールに別の解釈を与えて、新たな競技としてホームランを出さなくてはいけない。その手の苦労はたくさんしたけど、ボールが投げ込まれるプログラミングの競技場自体は存在していた。恵まれていたと思う。両者の前例に甘んじることなく、AR三兄弟はAR三兄弟として独自の見解を示すうちに、どちらとも異なる性質のクリエイティブを確立することができた。

色の三原色から、光の束を取り出すみたいに。
やがて引き合いに出されることは最初期から予想してて、三者を冷静に分析したことがある。その副産物として、チームラボを評する文章をTVBros.に、真鍋くんの活動を補足する文章をBRUTUSに、それぞれ明文化したことがある。この三者、とくに光の扱い方が大きく異なる。チームラボは、現在の技術で照射しうる色という色、輝度という輝度、まさにルーメン数という単位が光の束を表すように、色と光を総動員した表現を得意とする。旧来のメディアアートでは届かなかった場所にまで、そのカラフルな光の束は及んでいる。ライゾマティクスは独自の技術で観客の視点を一点に集めたうえで、テクノロジーの断面図を美しくスパッと見せてくれる。チームラボとは全く異なるアプローチ。そして僕たちAR三兄弟はというと、物語の中に入って持ち帰ったビッグライトやスモールライトを使って、対象を大きく見せたり小さく見せたりしている。ときには自ら舞台へ上がる。率先して笑い者になる。凄いと思われるよりは楽しそうと思わせたいし、単純にウケたい。重たいものを軽く、大き過ぎるものを小さくしたいと思って続けてきた。

ねじれの位置にある三つの光線
猪子さんにはいちど、対戦番組の楽屋で「川田さんはおもしろくなれば何でもいいと思ってるでしょ?」と、言われたことがある。「違うの?」真顔で返した。真鍋さんとは、横井軍平の本が発売された記念のイベントに呼ばれたときに席が隣り合った。そこでお互いの事例を紹介しあった。さきに僕がプレゼンしたこともあって、真鍋さんは僕の内容を冒頭で少し受けた形で口を開いた。「川田さんのようにテクノロジーを物語、連続性で考えていない。あくまで点、点として技術を追求している」とスパッと切り出してて、なるほど。その違いは確かにある。まとめると、技術力の高さと同業者の評価ではライゾマがリード、世界的なメディアアート分野の評価や動員についてはチームラボが独走、AR三兄弟は物語の出入り業者のような独自のスタンス。

ほぼ同世代だというのに、三者が同時に同じ場所で交わったことは今まで一度もない。僕のなかで機運が高まった2017年とかに、猪子さん真鍋さん両雄に連絡して鼎談を申し込んだけど、それぞれがそれぞれの理由で忙しい。スケジュールの問題もあって実現しなかった。とくにお二人は、その世界の代表選手同士だから、おいそれと出会うわけにはいかないのだろう。でもいつか、老後になってからでもいいので三人でじっくり話したい。答え合わせするみたいに。

2018年春、中国で目の当たりにしたこと。
漫画やアニメを含む、日本のカルチャーを大々的にアジアへ紹介しようという目論見の大きな展示会が中国の厦門であって、僕たちAR三兄弟はライゾマの隣で展示をさせてもらった。とはいえ、ライゾマはその場所とは別の大きなスペースで個展に相当する特別展示を同時に進めていたので、扱われ方が別格だった。展示会場には、中国の要人が何人も訪れた。向こうの人たちはかなり目的がはっきりしてて、通訳を介して「この作品はいくらなの?」「いくら出せば我が国のために作ってくれるの?」と露骨な交渉をしてくる。質問に目が眩んで「(なになに)(億って言ったら出してくれるの?)(でもそれは技術流出ってことにならないかな?)」と、僕がモゴモゴしてる隣で同じような質問をされていた真鍋さんは「僕はビジネスマンではない。アーティストなのでそういう質問には答えたくない」という趣旨のことをスパッと返答していた。かっこよかった。僕もかっこよく返答しようと相手を振り返ったら、もう要人はいなかった。かっこ悪かった。

厦門での展示が幕を下ろし、そろそろ帰ろうかなという日。近くでチームラボの展示があるということで厦門展一行で遊びに行った。日本のカルチャーが束になって臨んだ展示よりも、大規模な常設展だった。圧倒された。アジアで、世界で、チームラボは抜きに出ていた。一行のなかには、ライゾマさん達もいた。何かしら思うところがあったはずだ。後日、ヨーロッパでAR三兄弟が別の展示をしたときも、チームラボの存在感を感じた。「君たちは日本から来たの?」「チームラボは知ってる?」「なぜ君たちはチームラボじゃないの?」、わりと失礼な言葉をフランス訛りの英語で浴びせられたが、それもまた現実。チームラボの世界での評価が、圧倒的なのである。

クリエイティブのやけのはら、再起動。
過日の東京オリンピックと比べると、東京パラリンピック開会式は演出家がしっかり存在してて統一感のあるものになっていた。片翼の飛行機の物語に則した世界観に裏打ちされたプロジェクションマッピングや衣装の造形が素敵だった。演出とテクノロジーがピタッと折り合っている。タイムラインにも肯定的な意見が目立った。前任の演出家であるケラリーノ・サンドロヴィッチさんも、今回の演出を手掛けた(事務所の後輩でもある)ウォーリー木下さんに「ウォーリー、お疲れ様でした。よかったよ。いくつかあの頃打ち合わせあるエッセンスが残ってて懐かしかったり。ともかくお疲れ様。おめでとう。」と、タイムライン越しにその出来を褒めていた。

パラリンピックと比較してみると、やっぱりあの東京オリンピックの開会式と閉会式が物凄く残念に思えてきた。そのことはチームラボの猪子さんも感じたみたいで、オリンピック閉会式直後に「オリンピックを競技場から街へ」とだけtwitterでつぶやいて、東京オリンピックの開会式についてチームラボとAR三兄弟がプレゼン対決したときの番組の動画を共有していた。たしかにあのとき猪子さんが発表したアイデアは、閉会式で流れたフランスの映像の中で表現されていたものに近かった。8年くらい前から、チームラボもAR三兄弟も東京オリンピックの開会式はこうあるべきっていうのを、頼まれる前からイメージしてあった。発表もした。未来へ向けたメッセージがあった。それなのに、組織委員会に呼ばれもしない。海外的な知名度でいえばチームラボが独走している。どこか一部でも担当するべきだった。思えば、クリエイティブの選定基準からフェアではなかった。結果的に、イメージもメッセージもないような連中によって、式典はやけのはらみたいになってしまった。ライゾマだって、当初の計画通り直前までデバッグを重ねてきただろう。精神的かつ物理的に眠れない日々をいくつ数えただろう。日本のデジタル表現は、チームラボの一択ではない。あの大舞台で、実力を以って世界へ再び示したいと考えていたはずだ。アイデアも、憧れも、純然たるライバル心も。全てが灰と化してしまった。それがとても悔しい。

チームラボとライゾマティクス、ときどきAR三兄弟。偶然名前を出した三者以外のクリエイティブに従事するすべての人たちだって、それぞれの立場から悔しい思いをしたに違いない。表現に従事するものたちは、繊細かつタフでなければいけない。オリンピックなんかに関係なく、表現を続けるだろう。それぞれ勝手に、それぞれの場所で評価を集めるだろう。新しい感性を持つ人が次々と台頭するだろう。同じ過ちを繰り返さないよう、正々堂々と戦い、ときに共創しながら次の戦いに備えるだろう。そう願いたい。あんな地獄みたいな気分は二度と味わいたくない。

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