遠くて近い他人を想うこと。

自慢の話をする。

大学生の頃パン屋さんでアルバイトをしていた。聞けば誰もが一度は買ったことのあるような大手チェーンで、私の働いた店舗は地元で20年以上愛されるセミ老舗だった。
それなりに大きなレストランが併設されており、土日祝は予約客で常にいっぱいになる。一方で、平日はその規模感に似合わない客数で、夕方を過ぎて暇を持て余すバイトの若者たちは何度もトレイを消毒する。

20年続いていると、常連の数もそれなりだ。こだわりもその数ある。パンに対するこだわりもあれば、販売員へのこだわりもある。難しい要望をぶつけられる時は心の線がぴんと張るが、私が働く時間を狙ってきてくれるマダムのことはとても好きだった。

わかりやすいくらい、私を気に入ってくれる人だった。大体月曜の夕方に、サンドイッチとペストリーを1つ買いに来る。ペストリーは私のおすすめを買っていってくれる。お店ががらがらな時間に来てくれるので私の心にも余裕がある。ご夫婦でテニスが趣味のようで、普段から真っ白なテニスシューズを履いていた。

その人は大体いつも、私と10分ほど雑談し、一言私を褒めてから、手を振りながら帰ってゆく。右手にサーモンとアボカドのサンドの入った袋を下げて。

いよいよ私の就職が迫り、4年続いたアルバイトも最終日までのカウントダウンが始まった。あと何日ですね、寂しくなるわねと何度もマダムは言ってくれた。

最終日のその日、いつものように彼女は私のレジに並び、待つ人がいなくなってからささやかな楽しい話をしてくれた。そして最後に一言こう言った。

しあわせの形は人それぞれだけれど、
どうか幸せになってください。

聞いた瞬間の感想は、「私お嫁に出されたのかもしれない」だった。
後から考えると、この感覚は他人から与えてもらえる最大の幸福だったのではないかと思う。

実は最後まで彼女についての情報は最低限しか知らない。二十歳そこそこの私は、お客様と店員の狭間をどれだけ超えて良いものかよくわからなかった。彼女がくれる褒め言葉も、謙遜以外どんなふうに応えるのが正解か私は常に迷っていた。もしかしたら、彼女は私のことをなんとなくそっけない子だと思っているのではないかと時折心配になった。

しかしマダムは当然のように、そしてとても丁寧な口調で私の幸せを願ってくれた。このことは、あれから3年がたった今も、同じ温度で私の心をあたたかくする。照れくさい言い方をするならば、魔法のようだと思う。
「互いを深く知らない人から幸せを願ってもらえたのだ、そんな私ならもっと頑張れるはずだ」と自分を励ますことができる、そんな魔法なのだ。大きな自信だ。涙がにじむ。

そして同じように、私は彼女の幸せを願っている。もう会えない人だと思う。思うからこそ、願っている。会えないけれどその人の日々が豊かであればいいなと、そう考える時間はなんて平和なんだろう。元気でいてくれたらいいなと、実家に帰るとふと彼女の真っ白なシューズを思い返す。

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