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北杜夫「幽霊」~ある少年時代の思い出とドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」


「甲虫の翅鞘が渦をまき、瑠璃いろの蝶は輝きながら翅をうごかして、さいぜんのフルートの音階を反復させた。あたかも帳(とばり)におおおわれた別の世界からの呼声のように。啄木鳥(きつつき)が幹をつつくと、それは真鍮打楽器の音となって木霊(こだま)をかえした。そしてほんの一瞬、一切の音と光と色とが、かつて覚えのない官能の豊潤さに溢れていた。」

 主人公は、北アルプスの旧制高校に通う、蝶を中心に昆虫を愛でる少年。父は学者なのか蔵書家。母は早世し、主人公は母を思慕している。美しかった姉の死の追憶。戦中しのびよる<死>の恐怖。美少女との淡い恋。なによりも街中で偶然聞いたドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が僕の心をとらえ、アルプスの豊かな自然と呼応するかのように幻想的な心象風景として何度も登場する。リューベックの作家(トーマス・マン)の話を交え、リアルと幻想が入り混じった瑞々しく感慨深い小説です。

 牧神を聴きながら、主人公の僕は、「数々のニムフたちを、そのほっそりとした腕を、愛くるしい肩を、透き通るほどの裸身をぼくはみた。(略)連想のたどる必然の道すじをたどって、ぼくは古い創作のえがく美の誕生、エロスに黄金の矢を与える女神の誕生を夢みた。」と夢想するシーンが若き詩人だなぁと感嘆しました。


曲は、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」。伝説のダンサー、ニジンスキーが躍ったであろうバレエの振り付けで。https://www.youtube.com/watch?v=pU2juDnSTTg

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