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18年前にパカパカ携帯の自撮りからの現在

招待制のSNSに招待されたのは今から18年前になる
当時は現在のようなスマートフォンではなく
パカパカ携帯だった。画素数、写りも全て今とは比べものにならないくらい…。

SNSがサッパリなんなのか?分からないまま招待され手つかずだった…。
もともと、あらゆるモノやコトへ興味をもつ私にとって、このSNSがコンプレックスから自信へと変わったきっかけの1つだったことに過言ではなかった。

SNSに写真。アイコンへアップする写真が無かった私は男子の写真をアップした。
すると男性だと思った方からメッセージや申請が届きはじめた。あまりSNSを理解しないままに時間が過ぎていった… するとオフ会?てメッセージが来て、オフ会?SNSで知り合い繋がった人でリアルに集合する、、、。困った!!
これを、きっかけに、私はパカパカ携帯で試行錯誤しながら自分を撮るようになったのである。

最初は顔だった。
私にとって中学の頃にひとつ上の男子のK先輩から「いつも怒ってる顔すんなよ!」怒っていないのにそう言われて、凄くショックで落ち込んだ
それから写真が私にとって大嫌いな行為となった。
幼少から小学生の時までは母が写真を撮ってくれて、私はファインダーで沢山笑っていた。

1年生ミソッパ

いつの日か、カメラを向けられると、うまく笑えなくなった…。
SNSのアイコン、顔を撮る中で、自分の意外な一面、発見な部分が多かった
それは自分への知らなかった興味だったのだと思う
未知、無限大の可能性…。
人見知りの引っ込み思案だった私を積極的にさせようと背中を押してくれた父と母(小学生の頃、手を挙げる事が出来ず毎日泣いていた私に他人前で歌を歌う事の楽しさ喜びを教えてくれた)
その克服もあってのアイコンをパカパカ携帯で撮るという行為は、これを機に自信へと導いてくれたのだ。
顔のアイコンからパーツ撮影、、、
当時のパカパカ携帯はセルフタイマー、自撮り棒も無かった、手を思いっきり伸ばしてパシャリ
身体全体が収まるように寝転がって撮ったり

寝転がってパシャリ

とにかく私自身、色々な事へ新鮮な気持ちで興味をもち自撮りが楽しくて仕方なかった 

楽しさゆえに、このSNSで繋がった人々は多かった
現在は当時から繋がっているのはひと握りの方たちだけである。この方たちは私にとって月日が流れても大切な繋がりのある方たちだからである。

noteのアイコン

このアイコンは、その中の1人、T氏である。
私はニックネームでSさんと呼んでしまうのですが、私の中で携帯写真の違う視点、素晴らしさを教えてくれた人である。
子供達とSさんの展へ行った時の思い出は26になった娘、23になった息子と3人の思い出である。

Sさんの個展

この時をきっかけに撮ることは、子供達にとって良い刺激になりました
(Sさんが当時の写真をアップされていた写真、私の中で大切にしたい記録、記憶です)

アンパンマンみたいだった息子も大きくなりました
黒髪だった髪もヘアスタイルに興味をもつように…

自撮り カメラ

SNSのカメラの繋がり、今思うと、良いことも、悪いことも経験しました。
あの頃だったから、現在のようなことが多く(言葉失う事件など)無かったのかもしれません。(悪いこと、怖い経験は、また次に書きたいと思います)

とにかく、私にとって尊敬する携帯写真家というか映像を記憶の中に鮮明に3Dのように立体化されるような写真を撮るT氏は偉大です。
ここはどこなのだろう、、とタイムスリップしてしまう そんな世界観を体験、経験出来たことは、ど素人のアートモデルの私にとって生涯の中で記憶に遺る事だと思っています。

Sさんとの初めてのPhoto Walk
Sさんの世界観、初めての経験portrait


シングルになった頃、個展へ家族3人で足を運びました。1年後、、、ココロの深いキズで不登校になった我が子、表面に出ないココロキズは「離婚」によって子供達へキズをつけたのだと…
だからこそ、人との関わり、思いやり(優しさ)感謝、忘れてはいけない


育ち盛りな小5と中1、テレビも無い、何一つ無い
裸一貫で不自由ばかりだったけれど
私にとって今は自撮りはココロを撮る記憶の1枚の行為だと思います。


noteへ自分の人生を 1つずつ忘れないように、これからも書いて行きます。

私のnoteへ足を運んだ皆様との縁を大切にしたいと思います。



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