わたしの一部は、きっとnoteでできている
2021年3月にnoteを開始してから2年と4ヶ月。ほそぼそとではあるが、確実に「継続」している習慣のひとつだと気づく。
初期のころに、よくみていたひと/みてくれていたひとのほとんどがいなくなった。事情はそれぞれあるのだろうと推測する。
飽きっぽい性格のわたしでもコンスタントにつづけられているのは、ほかでもないnoterさんのおかげだ。読んで共感するもの、耳寄りな情報が満載のもの、暮らしが垣間みれるもの。noteにくるとそんな出会いがあるから、自身もそこに存在していたいと願う。
わたしには5つのルールがある。noteをはじめてから今日まで、それは変わっていない。
①スキなnoterさんをつくる
更新されたときのトキメキをつねに感じていたいから、ここのアップデートはマメにしておく。
②ときどきコメントをしてみる
こころが動かされるnoteに出会ったら、それを相手に伝えている。読んでおしまいではない関係も、いいものだと思うから。
③スキをしにいく
自分のnoteさえ読まれればいいという考えはないから、時間の許すかぎり多くのnoterさんの投稿に触れ、「スキ」であいさつをしている。
④ネタにする
ほかのnoterさんの記事内容を、noteで取り上げるときがある。そのときに、かならずそのひとのアカウントに飛べるリンク先設定も忘れない。相手へのリスペクトをこめた、欠かせない行為だから。
⑤行ってみる/会ってみる/やってみる
おすすめしていたお店やグッズなどに自分も興味を持ったのなら、できるかぎり体験しにいく。そこからまた新たな会話がみつかったり、親近感が湧いてきたりするものだ。
ごく最近は、こんな刺激を受けた。
遠いどこかに置き去ってきた「七夕」というものに意識を向けさせてくださったのはもちろん、笹井純子さんの何気ない日常にほっこりした。
わたしもやってみようと思った。
ちょっとだけ手間をかけたチーズプレートが、極上のひとときをもたらしてくれる。
ちなみにこのときにつかっているランチョンマットは、実際に京都でお会いしたnoter、吉河知恵さんおすすめのお店で購入したものだ。
ひとりでは知り得ないこと、成し得ないことがnoteにはある。
この2年と4ヶ月を経て思う。
わたしの一部は、きっとnoteでできている。