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映画「ハンナ・アーレント」を見て考えたこと

放送大学の授業を聴こうとしたら、ハンナアーレントの映画があることを担当教授が話していた。そこで、検索したらU-NEXTの無料視聴で「ハンナ・アーレント」を見ることができるので、登録して見てみた。

内容は、『エルサレムのアイヒマン』としてまとめられているニューヨーカー誌の記事をめぐる騒動が中心で、ドイツ系ユダヤ人のアーレントが実際にイスラエルで行われた裁判でのアイヒマンの様子を見て、書かれた記事についての話となっていた。

以降、ネタバレありなので、見てない方はスルーしてください。

ドイツ系ユダヤ人の政治哲学者という肩書きで、裁判の傍聴券を得たアーレントは、周囲のユダヤ人たちの思惑とは正反対に、アイヒマンがユダヤ人たちに行った行為は、上からの指示を守った結果であり、彼自身がユダヤ人に対して悪意を持っていたということではないということを強調していた。

そして、ユダヤ人の大量虐殺の裏には、ユダヤ人集団の中での指導的立場の人たちが、進んで強制収容に手を貸したことによって、その規模が拡大したというようなことを書いていたらしい。

つまり、ドイツ系ユダヤ人であるアーレントがナチのSSであるアイヒマン個人に対して、彼は悪意を持ってユダヤ人を虐殺に導いたのではなく、一人のナチ党員として、上からの命令にただ従っただけということ、つまりは、罪を憎んで人を憎まずという立場を貫いたということなのだ。

映画の話は、ひとまず終わり。

この映画を見ていて考えたことは、いまウクライナとロシアの間で起こっている戦闘にも、たくさんのアイヒマンが関わっているのだということ。アイヒマン的な存在は、ロシア人の中にも、ウクライナ人の中にも、NATO加盟国の中にも、それ以外のどちらかの国だけに軍事侵攻の責任を問う人の中にも存在しているということだ。

多大な被害を受けて、たくさんの難民を生んでしまったウクライナを擁護しようにも、ウクライナ軍、武器を提供する西側諸国、および民間人までもがロシアに抵抗し続け、戦闘を長期化させているという点は否めない。

多くの西側諸国から牽制されようと、ウクライナ侵攻を止めようとしないロシアとその支援国も、どんな理由を持ってしても国際社会への非協調という意味では、批判を免れない。

そして、我が国日本の対応はどうだろうか。

第二次世界大戦の敗戦(終戦と言いたい人は多いでしょうが、あれは敗戦です)、2度に渡る核兵器攻撃を受けた日本という国は、アジアと真珠湾における加害者であり、広島、長崎、沖縄、その他主要都市においての被害者でもあるわけだ。

にもかかわらず、憲法第九条を改憲してまで、戦争のできる国にしようとしているいまの与党体制は、ほんと懲りてないというか。

自衛隊と呼ばれ、先制攻撃はしないと言っていても、法律の条文を変えただけで軍隊になってしまう組織が存在していたり・・・・

それは何を意味するかというと、このままでは、近い将来、アジアのとこかでも、国境を巡る紛争が起きないとも限らないということだ。

だから、きっちり、憲法9条を守る政治家に、投票しないといけないのだよ。

と、そんなことを考えてしまった。

たあこ



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