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ロックプール財団秘話

 2020年、東京の街は五色の輪に彩られ、誰もが選手たちの到着を待ちわびていた。一足早く日本に届けられた聖火は、選ばれた土地にその姿を印象づけながら、人々の手から手へと運ばれていた。

 白井みずきは、浦河町の聖火ランナーに選ばれた一人だ。ただのひとり
ではない。彼女は精神障害者の町浦河を、そして日本だけでなく世界の精神障害者を背負って走ることになっていた。

 何故、このような過疎の町、しかも精神障害者を売り出す町に聖火が届くことになったのか。これには7年前のある出来事が深くかかわっている。

 当然、選ばれたみずき本人も、そのことと無関係ではない。

 2013年。この年の秋に決定するはずのオリンピックの新種目の候補団体たちは、慌ただしい春を迎えていた。IOCの委員に対するロビー活動もさることながら、オリンピックに投資してくれる関係者の顔色を注意深く観察しては、適宜イベントの旨味を伝えていかなければならない。

 今日、スポーツ=健康というイメージで、金権主義といわれながらもオリンピックそのものは歓迎される傾向にある。だからこそ、投資も集まるが失敗するわけにはいかない。主催者と競技者だけでなく、資本家、顧客=観客を満足させなければ成功とは呼べないのである。

 みずきが聖火ランナーに選ばれたのは、クライミングがオリンピック種目に採用されたことと関係がある。だからといってみずきがクライミングの選手であるわけもなく、今も昔もクライミングなどというスポーツについては何も知らないままだ。

 ただ、みずきがクライマーではないかというとそういうわけでもなく、岩を登る彼女の姿は力強く美しい。彼女が肯定しようと否定しようと彼女の登はん力は群を抜いていて、少しやせ気味の体についた筋肉が彼女がアスリートの一員であることを示していた。

 海原以外何も無いような町で、みずきはなぜクライミングをはじめたかとえば、彼女の父親のことを語らなければいけない。漁師だったみずきの父親は、東北大震災の津波で海にのまれた。たった一人の肉親だった父親が遺したものは、海にほど近い崖地だったのだ。

 幼い頃に妻を亡くしたみずきの父は、男手で育てるのだからと人一倍みずきの成長に気を配っていた。女の子らしく幸せになれるように。しかしその過剰なまでの心配が、みずきに病を与えてしまったのかもしれない。

みずきの病名は、統合失調症という。この病気はいくつかの異なる症状を表すが、その多くが幻覚、幻聴、妄想などの神経攪乱をともない、ひどくなると暴れるなどの発作を繰り返す。投薬治療では完治せず、日本では主に入院させ世間から隔離される処置が行われてきた。

みずきの場合は幻覚と幻聴がみられるが、攻撃的な発作が無いため投薬治療のみで入院はない。

苦しさはどこからくるのか。たぶん、記憶なのではないかと思う。

場所、時間、匂い、空気、様々な要素によって引き出される記憶。それが、苦しさの引き金を引く。

忘れてしまえばいいという。記憶を自由に処理出来るなら、忘れてしまいたいと思うのはみずきだけではないはずだ。

みずきが精神障害だということは、決して彼女に有利に働くことはなかった。彼女の病気の原因をあれこれ詮索される中行き場を失った親子は、流れに任せここ浦河町に移り住んだのだった。

 ある日、みずきが父親の土地を散策していると、一人の男性が岩に取り付いていた。マットを敷いただけの空身で岩と格闘する男性をみたとき、みずきは父親が帰ってきたのではないかと思った。

 おそるおそる声をかけると、男性は父親ではなく、クライミングを楽しみに北海道を回る途中だという。男性は、みずきにクライミングの基本を簡単に教え名前も告げずに去っていった。

 男性の父親とよく似た後ろ姿が岩に取り付き登っていく様は、みずきの失われた好奇心を呼び覚ました。翌日からみずきは、男性が登ろうとしたラインに取り付いた。来る日も来る日も岩に来て、そのラインを打ち続けた。

満月の夜は明るい。いつまでも消されない照明のように、月が岩場を照らし続ける。

夕方を過ぎると徐々に人が集まり続け、やがて夜半までのセッションが始まる。

岩壁は、持ちやすい突起もあれば、とりかかりの無いものも多い。

誰がこんな遊びを考えたのだろう。家の塀くらい登りたくなる気持ちは誰にでもあると思うが、むき出しの岩にへばりつくなんて。

人々は、突起と突起をつなぐラインを引き、必死でそれをつなごうとする。たどり着けない課題もある。治らない病気のように。

 彼女はたった一人で登っていても、時折岩や周囲に話しかけることがあった。笑いながら岩の前に佇む彼女を見た人は、彼女が明るい性格なのだと思ったことだろう。彼女に笑いかける幻覚の姿は、我々にはわからない。

 岩に登り初めて数年が経ったある日、旅行客がみずきの写真を撮って行った。声をかけられたが特に話すこともなく、写真を撮られてから半年が過ぎた。その半年の間に、旅行客の写真とみずきの様子を伝えるブログが彼女の存在を社会に認知させているとも知らず。

 IOCの委員が、みずきの名前を聞いたのはほんの偶然からだ。彼はパラリンピックの活動にも力を入れていて、身体障害ばかりか精神障害者のオリンピックへの参加機会を模索していた。

 精神障害者は投薬が多い。ただ、人口の数パーセントを占める受難者たちがスポーツの祭典から除外されるのは如何なものかと感じていた。投薬の副作用などは競技での危険を増すため、どのような競技なら参加者を募れるのか検討をしていたのだ。

 ある日、視察を兼ねて立ち寄った東京のジムの掲示板に岩を登る彼女の写真が貼ってあった。

 窓際さん、アウトドアは行ったことありますか?

 いいえ、競技選考だから見学もインドアばかりですよ。

 あ、この彼女ね、プロじゃないんだけどすごい腕前らしいですよ。精神病じゃなけりゃねー。

 統合失調症を抱えながら、一人岩に挑み続ける一人の少女。岩に取り付く彼女の写真を見ながら窓際は考えた。東京に聖火を運ぶならここを経由するしかないだろう。

 2013年秋、クライミングがオリンピックの正式種目に採用され、IOCと山岳団体も、クライミングを代表する新たなアイコンを探していた時期だった。

 精神障害者のオリンピック参加はまだ検討の段階で、7年の間にみずきは選手としてのトレーニングを始めるのは遅い年齢になってしまった。しかし、みずきはクライミングをやめないし、クライマーである自分を自覚するようにもなった。

 ロックプール財団の支援を受ける窓際氏がそんなみずきを気にかけないわけがなかった。週末のオフにチケットを準備して、窓際氏は北海道へと飛んだ。

 そして7年の月日が流れ、過疎の町浦河はきょうもさびれていた。

 さびれてはいたけれど、べてるの家と当事者たちのおかげで活気には満ちていた。

 会長、みずきを財団で保護しましょうか?

 いや、彼女はそれを望まないだろう。我々がいつもついていることを伝えてやってくれ。

 ことしの夏には東京でオリンピックが開催される。そんな空気が日本中をくるんで、微熱を持ったような春だった。

 船で苫小牧に運ばれた聖火は、陸路浦河に届けられた。町役場前にこじんまりとした人だかりが見える。ここが聖火のスタート地点らしい。

 歓声があがり、しばらくすると人垣を抜け一人の女性が走り出す。

 一般人には重い聖火の灯されたトーチを軽々と空に掲げながら、みずきは浦河の港から岩場を抜けて隣町へと聖火を運んでいった。

 彼女の胸には、赤く縫い取られた「RP」の文字。ロックプール財団のメンバーの証だ。

 みずきは走りながら沿道並んだ人々の姿を不思議そうに眺めた。こんなにたくさんの人がいたらあの人が来ても見つからない。でも、きっともう会えない人たちもこの中に見つかるかもしれない。

 そして、市街地を抜けて海にでる道を渡ろうとしたそのとき、遠くの人垣のなかに懐かしい父の姿を見出したのだ。

おわり

ろっくぷーる たあこ

※ この物語は、フィクションです。現実の浦河町役場は、海を背にして建っております。

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